いつだって今全力が未来にも過去にも良薬なんだろうさ
明日できることは明日やればいいのか、今日できることは今日やるべきなのか。
これは今の部署に異動してからの僕の永遠のテーマだ。そもそも明日やればいいことはやらなきゃいけないことなのだろうか。ずっとやらなくてもいいことなんじゃないか?
まぁ現実的なことを言うと期限が先にあるので、今日やらなくてよくても、明日やればいいのだ。
だけれど、テスト勉強を、夏休みの宿題を思い出すと、そうやって後回しにしたことは往々にして未来の自分の首をしめる。
そして、思うのだ。なぜあの時やらなかったのだ、と。できるときにできることをやるのはいつだって大事なことだと信じられている。それをしなくては、必ず後悔は募る。あのときもう少し頑張ってれば、踏み込んでれば、そんな思いはとどまることをしらず、湧き立ち上る。
自身の経験を振り返ってもそんな経験は多い。
でも、だ。
その時の自分にはその時の自分なりのそれをやらない理由がある。だからぼくは後悔をしそうになったときはなるべくその時の自分を信じてあげることにしている。振り返ってみたらできることは、それはもちろん、沢山ある。だから次にその場面と似たような場に出くわしたら、それを繰り返さなければいい。
でもその時にその視座は、ない。だからそのときの自分を信じる。その時の自分はそれが限界だったと考える。過去の自分をスターにしない。過去の自分の判断を信じる。その時の自分なりの答えはそれしかなかったと。
だから、ぼくはどの時間軸の自分も信じるために、どの瞬間もなるべく考えることをやめないように、考え続けることを心がけている。
そうすれば、未来に自分は新しい視座を得るだろうし、今の自分は限界を詰めていると信じられるからだ。今を懸命にい生きることは過去を信頼のあるもにし、未来に遺産を遺すことができるということなのかもしれない。
でも、最近思ってしまうよ。
今のぼくは限界を詰めているのか、未来の自分は過去のぼくを悔いはしないかって。
今日も最後の読んでくださってありがとうございます。未来からの視点というのは後出しじゃんけんなので、そりゃあ勝ち手がわかるよね。グーならパーを、パーならチョキを出せばいいんだよね。でも、その時出せなかった手を悔やむのはやっぱりどうにもならないよね。今はもう未来が現在なので、過去に干渉はできない…。生きるはつらいね。無理せずかんばろう。
では、また明日。
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