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リキッドルームと本音(1/19)

リキッドルームにて、しゅけちゃんのバンド MONO NO AWAREとKID FRESINOさんの公演。来場するまで対バン形式だということも把握していなかったのだが、FRESINOさんはステージを観てみたい人だったので得した気分になった。華がありスター性もあり声も良くラップもトラックも良くて、どこかドライだけど他者を突き放さないような姿に、人気が出るのもよくわかるなぁと思った。最近はソロ名義でも大人数のバンドメンバーがいるステージが多い気がする。どのように運営が成り立っているのだろうかと、同業者丸出しの余計なお世話に考えを巡らせたりした。

「Raw Scaramanga」をリリースした頃の自分はずっとリキッドでワンマンをやるのが目標で、自分の音源は最高にイケていて誰にも似てなくて、きっと多くの人に少しの驚きを持って受け入れられるだろうと思っていた。本当はアルバムタイトルではなく、Raw Scaramangaと言う国籍も性別も持たない名前で、いろんな足枷やネットでの誹謗中傷や自分の未熟さから再出発したいアルバムだった。大人の事情でそれは叶わず、世武裕子のまま続けることになった。あれは自分の活動歴でも最大の判断ミスだったと思うが、当時の担当さんは私の音楽を信じて頑張ってくれていたから昔も今も彼女を責めたいとは思わない。この話に関しては、日本社会やメディアや会社の仕組み問題に直結してしまうので今は割愛。

しかしまあ、その頃の自分のあまりのピュアさを懐かしく思う。私はステージで脚光を浴びるには客観的で正気すぎるし、大勢で合奏をやるには求心力も愛嬌も無さすぎる。聴いてほしい音楽、自分がかっこいいと信じている音楽のあるべき場所や音楽的能力(推測)と、自分自身の人間的な素質が全然噛み合っていなくて、それに悩まされ続けた15年くらいだった。

プロセスは大切にしているけれど、結果が全てだと思っている。

自分がかっこいいと信じている音楽のことを上手く伝えられなかったと言うことだと思う。もっと素直に「私の音楽を、それ以前に私を愛してください」と言えたら良かったかもしれない。幼い頃から親や弟達に「あなたは口調も気も強くて自分の思い通りに生きていて誰の助けも必要としていない」と呪文のように言われて生きてきたので、弱音を打ち明けたり誰かに泣きつくやり方が分からない。勿論それだけが理由ではないのだけれども、まず私自身が音楽家としての自分を蔑ろにし激しく痛めつけていたし、逆によくぞ耐えて生き残ってきたなとも思う。音楽家である前に人間なのだから当然だが、それを誤魔化すようにして「私は人間である前に音楽家です」などと言ってきた。

話をリキッドルームに戻すと、実はMONO NO AWAREのステージもちゃんと観たのは初めてだった。単純にボーカルの周啓はよく会い気も合う友人で、強めの縁を感じている人のひとりだ。ただ、同じようにカオティックで多面的な性格の持ち主でも、彼は自身の人間性と創作方法を繋げる技術を持っているし、島育ちならではの温厚なアウトプットによって正しく程よく誤解されていて、それが人間世界には必要なのかなと思う。そして彼や彼の創作物を好きだと思う人たちが集まってくる感じは、私も彼のことがとても好きなのでよく分かる。グルーヴもロングトーンの音程もヨレヨレなのだが彼らにしか出せない魅力があって、みんなその愛おしさを見守るようにステージを観ていたことだろう。

MONO NO AWAREも「東京」という曲を披露していた。
「東京にまつわる名曲が多い」と言われるのは、思い出や気持ちなんかを共有できる(共有したい)人たちが多いからなのかなと思う。

私はというと、パリから仕方なく東京に移ってきた上に、故郷への愛情とか執着も皆無。分かりたくて仕方のない、輪に入りたくて仕方のない寂しさを今日も抱えながら聴いた。
目の前のマジョリティー(のように見える人間の集まり)から気化していく"共感"みたいなものを会場の後ろの方でぼんやり観ていると、圧倒的に排除されているような気持ちになって、それを上手く丸め込んでなかったことにしようと思考が即座に処理を始めるのを感じたが、とても好きな友人とそのバンドメンバーが祝福されていることが本当に嬉しいという気持ちもまた本当で、これらが混ぜこぜになり、彼らには自分がかっこいいと思う音楽をずっとやっていて欲しいと宙に向かって懇願するように家路に着いた。

普段あまり人に打ち明けることのない自分の本音を書くのはそれなりに勇気がいるんだな。バカらしく軽快な日記シリーズを始めたはずが、シリアスになってしまった。人のライブを観て考えていることが自分のこととは、とても私らしくて嫌になるわ。


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