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こんにちは。ツマです。

こちらの記事は出産記録です。グロテスクな表現が含まれる為、読む方によっては気分を悪くする可能性があります。これから出産を控える方に怖い脅しをしたい訳でも、読んで下さった方をトラウマにしたい訳でもありませんのでご注意下さい。

Attention

◆予定日当日◆

ついに来た予定日。
初夏の暖かな天気の中、妊婦健診へ向かう。
家ではうんともすんとも言わず?普通に過ごしました。

結果はエコーで子宮頸管1.5センチ。
まだまだとの事で、そのまま自宅待機で
数日後、再受診になりました。


◆予定日超過4日目◆

再び妊婦健診。
エコーで子宮口1センチ。あれ?縮んだ??

よく分からないが、先生いわく
羊水の量が少しずつ漏れてたらしく
ギリギリの為、急遽翌日、計画入院することに。


◆予定日超過5日目◆

予約通り10時に入院です。
荷物をオットーさんに運んで貰い、仕事のためお別れ。
自室(二人部屋)で簡単に荷解きしてから
11時、診察にてラミナミア6本を入れて
子宮口拡張を促す為に一晩様子見ることに。

シャワーの時間が予約制で微妙に時期に入った私は
予約時間外に入る必要があるりややこしいので
夕飯はささっと素早く食べ
被らない時間にさっとシャワーを浴びました。

夜中、20分おきに、重い鈍痛の腰痛がきて
寝れなくなりました。
激痛ではないものの、同室のベビーちゃんの夜泣きで目が覚めトイレに行ったりしているうちに
ちょっと寝不足気味で朝を迎える。



◆予定日超過6日目◆


時折くる腰の痛みに耐えながら朝食を食べ、10時に診察へ呼ばれました。
結果は子宮口4センチまで順調に開いているとの事で

この日は出産予定の人が少ないみたいで
診察後すぐに分娩室に移動となりました。

心の準備も出来ないまま、
急いでオットーさんに分娩室に移動になった、とすぐ連絡を入れ、
部屋まで迎えにきた助産師さんと共に
荷物を持って分娩室へ移動しました。

時計を見ると11時。
オットーさんもすぐ駆けつけてくれました。
分娩台に横になり、点滴で促進剤スタート。
30分ごとに量を増やしていくと説明を受けました。

ほどなくして、
お腹の奥からお尻にかけて強い圧力がかかる様な…
なんとも説明出来ない痛みが
徐々に襲ってくる様になりました。

この時陣痛は15~20分置きだったと思います。
まだしゃべる余裕はありますが、
痛みを逃す為に息を吐くのは、
力を入れて耐えるより、かなり体力を消耗しました。

陣痛に耐える中
隣の分娩室にも一組入ったようですが

私とは違い既に3分置きに陣痛が来ている様で
悲鳴の様な声が時折聞こえてきて

私もこれからあんな風に叫ぶくらい
痛くなるのかなと怖くなりました。

12時。オットーさんは一度昼食に家に戻り
私はひとり分娩室にトレーを運んでもらい
昼食を食べました。

正直食欲はなかったものの
食べないとこの後がしんどいだろうなと思い
陣痛が来ない間にかっ込みました

昼食の途中、地震で部屋が揺れ
このまま避難になったらどうするんだろうと
ドキドキしました。

13時。旦那が戻ってきました。
陣痛は来ているものの
赤ちゃんの体がうまく回転出来ていない
という事で姿勢を変えたり
特殊な椅子に座って陣痛に耐えます。


14時。先生が来て診察。子宮口は5センチ。
内診した刺激もあり、しゃべる余裕もないほどの
激痛が始まりました。


オットーさんにはテニスボールで肛門を強く押してもらい
呼吸法と合わせて陣痛の痛みを逃していました。

持病のあるオットーさんも途中発作が何度も来て
大変だったと思いますが
これをやってもらうのとないのでは
痛みが全然違ったので本当に助かりました。

16時。オットーさんが薬を取りに家に戻る事になりました。
よく経験談で「旦那は役に立たなかった」と
いう話がありますが、
私はオットーさんが帰ってしまうと、
陣痛もひとりで耐えなければならず
かなり心細かったので
いてもらうだけで充分有り難かったです。

ひとり耐える間
一度トイレに行きましたが
かなり恥ずかしい思いをしました。

陣痛中は万が一力んでトイレで
出産してしまわない様に
助産師さんが同伴し膣口を手で押さえてくれます。

分娩室のすぐ側にトイレがあるのに
歩いてる最中に陣痛が来ると立ち止まって
耐えるを繰り返すので
往復だけでぐったりしました。

(とは言っても、私は6時間程度だったので
たった1回きりでしたが
長く掛かる初産の方はもっと回数あると思うと
大変だったろうなと今では思います。)

30分程で旦那が戻り、17時過ぎ。
再び先生が来て診察となりました。
結果は子宮口7センチ。


ここから話は急展開します。


数分おきの陣痛に耐えてる間に
助産師や先生達がワラワラと分娩室に
集まってきました。

説明はされないものの
先生達の会話から「促進剤投与はこれ以上は…」
「赤ちゃんの心拍が低下しています」
「鉗子分娩か…」
「帝王切開の準備できてます」と聞こえてきます。

助産師から『どうしますか?』選択を迫られ
担当医が悩み『〇〇分娩でいきましょう』と一言。
医師?スタッフ?達が一斉に準備を始めました。
分娩台の脇には男の先生?が一人。
左には旦那がいて足元には助産師や先生が数名
いたような気がします。

そして、裏には小児科の先生待機されたと
声がかかりました。


訳のわからないまま、説明もほどほどに
右にいた先生に突然いきむ様に言われ
陣痛に合わせ3回いきみました。
※このとき、いきむ声は出してはいけないそうです。
(力が抜けるから)

そして17時29分 3372gの男の子を出産。
泣かない息子は裏へ連れて行かれ
少しして泣き声が聞こえ、ほっとしました。



◆出産直後◆


お腹を押される様な鈍痛が続き
お腹が空っぽになったような軽くなり
恐らく胎盤が出たようでした。

そして出口の切開した所と間に合わず裂けた所
(膣入り口・子宮頸管左右・膣内部)を縫う作業に入りました。

縫うのはすぐ終わると思いきや
30分~45分くらいやたら長く掛かった様に
感じました。正直、陣痛より激痛でした。

中が裂け出血が続くためガーゼを入れました。
これもめちゃいたい…

取り敢えず、陣痛やいきみの疲れと
お股が痛すぎて体を動かす事もできませんでした。


◆出産1時間後◆


カンガルーケアを15分ほどさせてもらいました。
まだ母乳は出ませんが胸元から
一生懸命擦り寄る姿が生きてるなぁと感じさせました。
事前に希望を出しておいたのでオットーさんにも
カンガルーケアをしてもらいました。
泣くかと思いきやくぅくぅ寝てました。

また休憩中
助産師さんが胎盤を見せてくれました。
通常より大きく750gもあったそうでかなり
体積がありました笑



◆出産1時間半後◆


左の内側が、定期的に鈍痛がするようになり
股からゴポリと大量の液体が流れる感じがありました。

助産師さん呼びシートを替えてもらいながら
2つの違和感を伝えました。

すると、慌てて助産師さんが先生を呼びに退室。

先生が到着し、診てもらうと
何故か出血が収まらず続いている様で
また、左側の肛門の側を押されると
激痛がする事を伝えて診てもらうと
まさかの血腫が見つかりました。

先程縫った糸を一度抜糸し
血抜きする事になったのですが
歯を食いしばる程の耐えられない程の激痛。

分娩室から移動せずに行ってましたが
先生に痛くて無理です!…と叫びました。
先生の判断でオペ室へ移動となりました。


◆出産後2時間経過◆

オットーさんも息子を抱いたまま
何が起こったのか何を処置するのか
よくわからない顔をしてましたが
分娩室で別れました。
このときはもしかしたら会えなくなるかも
しれないなんて1ミリも思ってませんでした。

分娩台がコンパクトになり
そのままオペ室に移動。

スタッフ数人でオペ台に移動して貰い
(内心重くてスミマセンスミマセン🥶土下座)

麻酔の準備に入りました。
今回は下半身麻酔ということで
人生初の脊髄麻酔でした。
思ったより痛くなく大丈夫でしたが
背中を丸める姿勢はちょっと恥ずかしさが
ありました。
ここまでやるなら帝王切開でも良かったんじゃ…
と少し思いました。

その後、酸素マスクをつけ
点滴を両腕に1本ずつ刺すことになりました。

少しして、麻酔の効きを確認して
下半身の感覚がなくなり
血腫の処置が始まったようです。

ドクターXで見るようなオペ室の照明を
ほわーと見てましたが

ふと左にたってる看護婦さんの言葉に驚きました

『先生が帰ってしまわれたようで…』
『電話が繋がりません』

その内、酸素マスクしてるはずなのに
息を吸っても空気が入ってこなくて
苦しくパニックで過呼吸になってしまいました。

隣の看護師さんが麻酔が効きすぎてるとそうなると
教えてくれて、意識して吐いて、吸うと
楽になりました。

呼吸が楽になったなと思ったら
今度は寒くないのに腕がガタガタと
震え?痙攣?が止まらなくなり
自分でも、止めたくても抑えられません。
タオルをかけられると
少し暖かいなと感じる程度でした。

その内、意識が遠くなるような…
少し眠くなってきました。

疲れかな…と思ってたのですが
近くにいた看護師さんがぎょっとして
震え続ける手を握られ
『○○さん!』『○○さん!』と
名前を何度も呼ばれ続けられ、
はっと少し意識が戻ると
〔キンコーン〕〔キンコーン〕〔キンコーン〕
けたたましいアラーム音がなり続けている事に
気付きました。

顔は動かせたので音の元を辿ると
頭上右にモニターがあり、黄緑の波線が流れていて
数字には48〜43を行ったり来たりと
表示されていました。

私はドラマみたいだな~と
そのモニターを見てアラームを聞いてると

看護師さんたちは焦った様子で
『食塩水をいれて!』

と私の頭部の両脇に立ってた看護師さんたちが
釣ってある食塩水のパックを両手で押し始めました。

点滴って力技?と、異様な光景を眺めつつ
はっきりしない意識の中で
オットーさんと息子の姿を思い出していました。

急のオペで、オットーさんも混乱したでしょう。
待合室?で書類にサインしたり、親族に電話したり
忙しくしていたようです。

大量の点滴のせいか
途中から吐き気がしてきてしまい
トレーを顔の横に置かれ
顔を横に向ける様に看護師さんから
指示されました。

そして輸血に必要な血液型検査の為に
採血することに。
この段階で点滴右1本、左1本+注射。

『まだ先生とは連絡取れません』
病院に戻るのに時間掛かるのをスタッフの会話から聞き取れました。

食塩水を力技で入れられながら
待つこと??分

『先生到着しました』
『輸血パック解凍間に合ってません』
そんな声が聞こえてきます。

到着した先生からは血腫の処置としては
また血が貯まらないよう
血腫の出来た所には血抜きの方法として
ドレーン(細い管)いれ、肛門近くの傷口から
出し一晩様子見ましょう、とのこと。
他、膣内部の裂けた所を綺麗に縫い直しましたと
簡単に説明を受けました。

食塩水パックは4〜5パック使われてた気がします。

◆出産6時間後◆

オペ終了。日付が変わるくらいの時間でした。
経過を見るためと輸血のため
再度分娩室へ移動し、翌日診察と抜糸の為に一晩過ごすことに。

トイレに行けないため、カテーテルが入る。
輸血パックの解凍が終わり、
輸血開始、用意されたのは計10パック。
腕には2本ずつ計4本の点滴が常に刺さっていて
見た目が痛々しい。

何より身体中が痛くて寝返りも出来ず
また夕飯食べ残ったので空腹でしたが
麻酔をしたため、腸の動きが悪いという理由で
朝食まで飲み物で過ごしました。

分娩台のせいか少し寒く感じました。
麻酔で浮腫むとのことで看護師さんが二人がかりで足に着圧ソックスを履かせてくれました。

輸血の影響か、ひと晩中、熱が38度出て頭痛が収まらず。

それから、30分置きにスタッフが血圧と熱を計りに来る。

遠くからベビーの泣き声が聞こえ、
うちの子かなぁ…と思ったり。

◆出産10時間後◆

麻酔が切れてしまったようで
縫った箇所がドクドクとひどく痛み寝れなくなり
流石に看護師さんを呼んで痛み止めの薬を貰いました。


◆出産11時間後◆

痛み止めの薬が効いてきて、我慢できる痛みに。
2時間ほど寝ることができました。


◆出産翌日◆

朝ごはんは体を起こすことも出来ず
横になったまま食べれるものを食べました。

そしてあさイチの診察
血の溜まりはなかったので抜糸することに。
…がやっぱ痛い。入れてたガーゼを出す。これも痛い


昼食頃、旦那と実母がお見舞いに。
息子は、私が母乳出せる体調じゃないので
哺乳瓶で粉ミルクを飲み尽くす笑

熱は37℃代まで下がっかものの、平熱には
ならず…でも他の人も使用するだろうしと
無理をして、もう熱は大丈夫ですと
看護師さんに伝えました。

分娩室から向かいの部屋に移動。
本当はこの部屋は分娩室の待機部屋らしいけど
特別使わせて貰えることに。


なんとかカテーテルを早く外したくて
歩く練習をするが、酷く眩暈がして断念。


まだまだ辛い入院生活は続く…


【解 説】

何が起きてたかというと、
鉗子分娩の際、急きょ分娩に進んだため、
子宮頸管裂傷し、また窒内の血管が傷つき、
内側から裂けてしまう状態に。
また一部出口を切開できたものの、
残りは間に合わず肛門方向にも表面が裂け
その奥で膣壁(外)血腫になってしまったので
縫っても出血が止まらなかったそうです。

出血が出産時約1000ml、オペ中約1000ml
計2000mlになり、オペ中に出血性ショックを
起こし、輸血を8パックしました。

どんなに医療が発達しても
出産は100%安全はないですし、ハプニングも
つきものです。
結果として、死期が伸びる結果となりましたが
ひとつの良き経験になったかなと感じています。

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