世の中は、ひとりで生きていけるものだと思っていた。誰の手を借りずとも、うまく生き抜くことが、少なくとも自分には可能だと考えていた。それが、三井平助という男であった。 平助は大阪の田舎の出身だった。大正が昭和の風に塗り替えられる最中の夏、人が集まる場所とはかけ離れた農村の、とある一家に四人目の子として生まれた。上には三人の兄がいた。下に子はおらず、平助は末の子として育て上げられた。両親の保護下にあるうちは、勉学、運動、あらゆるくだんをそつなくこなす、聞き分けの良い子であった
一 四谷の飛一 といえば、このあたりで剣を学ぶ者ならまず知っている。 輓近、四谷まわりで噂のたねになっている道場破りは、大方この男の仕業である。 彼に破られた門弟たちはみな、口を揃えてこう漏らす。 兎角、強い。 我流の剣を巧緻に操り、道場剣術からは予測すらつかない一手を、おおよそ人間とは思えない速さにて打つ。はっと覚めれば負けている。時間を与えられねば、一体どこに打たれて敗北を噛んでいるのか、それすらも理解に難い。 それだけではない。四谷の飛一が人々の耳目を吸
この国の者はみな、どうにも好きらしい、新しいということが。 真っ黒な船に乗った真っ白な肌、政治権力を捨てた丁髷とだだっ広い部屋のお辞儀が江戸の名を東京に変える、金釦の解れた糸。冬が朽ちるとともに徳川は散った。桜が咲くように文明は開花、江戸の面影はブーツの下に、閃く刀は時代遅れの勲章に。訪れた黒船にぺるりに、怯えた民族だったのが、いざ明治が訪れれば流行を身に纏うように粋がった顔をする。 緩やかな小川の流れに浸っていたのが突然懸河にさらわれたような心持を引き摺って、草鞋の底
私という人間はたいそうな捻くれ者であるから、素直に憧憬を認められる人物はそういない。小さい頃よりおおよそのことならばなんでも半端に出来てしまって、苦手というものをそれほど強烈に知らないせいで、うら若い学生の時分などはまったく自身の及ばぬところにおいても誰かを素直に褒めるということが苦痛であった。褒めるということはすなわち、自身の負けを認めるということであり、それが出来んということはすなわち、途方もない物怪のような劣等感に苛まれている証左でもあって、今となってはこれほど醜いこ
「あーあ、秋ってどうして誰かと話してたいのかなあ」 滑り台がある。砂場がある。ブランコがある。鉄棒のすぐ傍のベンチには、参考書片手に嘆息する彼女がいる。 「さあね。寂しいからじゃない?」 今、そして彼女の隣にはわたしがいる。 「なんで秋は寂しいのかなあ」 「さあね。でも、昔から秋ってそういうものよ」 手元のページにはずらり、百人一首。それをちらりと横目で覗いた彼女が、納得の意を込めて小さく唸る。秋の情景の奥ゆかしさにやり場のない寂寥を潜めて詠むのは、八百年前の常套だ。
やってやった。私。やってやりました。 大きなお屋敷の中で一番みすぼらしい部屋の扉がばたむと閉まって、低いヒイルが床をぎいぎい泣かす。それに応えるように私の喉がひとりでに震えて、くつくつ、笑声。 こんなこと、許されないでしょう、仏陀も、基督も、地獄の閻魔様でさえ、この端女の、ただのメードのあまりの卑しさには腰を抜かすに間違いない。坊ちゃんが知ったらどんな顔をなさるかしら、だけど、ね、私怖くありません。恐怖どころか、今のこころは、愉快、清爽、快感! 鼻孔を膨らませてからだ
がらがらと音を立てて開閉される玄関扉、くもり硝子の向こうが白くなる。私の水槽にもどこからか光が差し込み、屈折しながら底に敷かれた石の粒を照らす。酸素を送るモーターの音しか聞こえていなかったのが、生活音にかき消され、動く音、歩く音、話す音、喧しい。やってきた、朝だ。 少し経つと、ばたばたと最も水に響く音が来る。動じない。寧ろ、これがあって初めて朝の出勤を実感するほどだ。 「おまえ、ほんとばかみたいな顔してるね」 地響きにも似た足音が止めば、今度はそんな台詞と私の朝食
春月の微光が女の鼻筋を明るくした。虫の羽音さえ煩く思えてしまうほど静かな部屋、不幸な白いベッドで、女は上下の睫毛をぴったりと合わせている。そうしていたら、女は生きているのか、死んでしまっているのか、不明、しかしそれをどちらかに判断させるものも、ここには無い。 傍らには男がいる。音のしない呼吸を繰り返す女の、手を握ることもせず、髪を撫ぜることもせず、ただ見つめる。見つめる瞳は真黒、表面には女の中高の容貌をいっぱいに湛え、それでいて真黒のもっと奥の深い、暗いところには、執着、
その年は、前年の秋彼岸を過ぎたあたりから疫病が流行りだして、春を迎える頃には京もすっかり人が減ってしまった。労咳の如き空咳、ほんの僅かな発熱を伴ってしまえば、十と日が経たぬうちにみなコロリと息絶えて、まちは道の端に河原に、忽ち綺麗な死体が積みあがる事態となった。往来をゆけば誰となくその病にかかると見えて昨今、健やかなものまでみな戸を閉め切って畳に座り込めば、花見もなく、歌舞伎もなく、世上は恐ろしいまでに静まり返って異様であった。 そうして閑古鳥さえ逃げ出した通りを、或る男
世は不条理だ、などというのはもう中年と呼ばれるこの年齢にもなれば嫌と言うほど理解しているのだが、どうにも、そうは信じたくないのが人間というものらしい。 葬式の日は雨が降っていて、霊柩車を見送った外套には雨粒、それがなんだかいやに美しく、この醜い現世でただ唯一の美しさにも思えて、私はきりがないのを承知で懸命に手で払ったのだ。 骨が焼きあがるまでの間、私は存外笑って話をしている一族の下を離れてひとり煙草を吹かした。雨の香りと煙草の煙が交じって視界を霞ませた。 そして戦争の
2020年の5月24日。暑い日だった。新京極通を歩く私の脇の下には、じっとりとした汗が潜んでいた。些か遅々とした歩調で進む友人と私はこの日、ある映画を見るためにわざわざやってきたのだ。 『三島由紀夫VS東大全共闘』。とてもはたちを過ぎたばかり、華の女子大生が連れだって見に行くようなものではなかった。 世はコロナコロナと騒がしい中だが、京都府の緊急事態宣言が解除されたならばいいだろうと、私たちは少々焦りながら映画の予定をたてた。それは早く見なければ上映が終了してしまうと思
嗚呼、友よ。いま、君のために僕は泣こう。 君の崇高な信念と、打ち砕かれし安寧とを、この胸に抱いて眠ろう。 今、君の柔らかな手が恋しいのだ。 今、君の暖かな瞳が恋しいのだ。 僕はただ、紙きれ一枚、それから口伝いに君の死を知った。 亡骸も、遺髪も、なにも見せないままに、君が骨になってしまってから、知ったのだ。 君はだれかの命をこの身で助けんと、白い鎧を纏った戦士。 眠らず、休まず、あらゆる君を犠牲にして、病魔の巣窟を征く天使。 慈しみ深きサンタマリア。美しくも儚
タイトルの通りです。 ※この一連の文章には大阪芸術大学文芸学科及び大阪芸術大学文芸学科の学生の名誉を毀損するかもしれない表現が多々登場します。大阪芸術大学文芸学科及び大阪芸術大学文芸学科の学生が好きな人は見ないでください。 私はこの春、無事に大阪芸術大学芸術学部文芸学科の2回生に進級した。 文芸学科という言葉を初めて聞く人も多いかもしれない。 文芸学科とは、文学研究を主とする一般大学の文学部とは違い、創作分野に重点を置き、自分自身で表現することを目的とし