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時代の波に埋もれたソナタ

今回はフランスの作曲家、シャルル=ヴァランタン・アルカンが作曲した「グランドソナタ-4つの時代-」という曲を紹介します。僕が1番好きな作曲家の1番好きな曲なんですけど、全然知名度がなくて悲しいので布教用に書きます。

一刻も早くその魅力的に触れたいのですが、あまりにも知名度が低い作曲家なのでひとまずは冷静にアルカンの人となりや諸々のエピソードについて箇条書きで紹介したいと思います。

・1818年にフランスに生まれ、ショパンやリストと同時代に活躍したロマン派の作曲家・ピアニスト

・ショパンやリストとは極めて親密な関係にあった

・聞いてる分にはなかなか気が付かないが非常に論理的で知的な作風

・パリ音楽院の権力争いに負けた後に隠居生活に入りそのまま時代の波に飲まれ忘れられる

・極度の人嫌いで写真もごくわずかしか残っていなく、そのうち一枚は背中を向けて撮られたもの

・死因がいまだに分かってない。棚の上にある経典を取ろうとしたところ本棚が崩れて下敷きになり無くなった説と食事中に心臓発作で亡くなった説の二つが有名(?)

・ブゾーニからは「ベートーヴェン以降の最も重要な作曲家はショパン、シューマン、リスト、ブラームス、アルカンの5人だ」と称されている

・信じられないくらい難しい曲が何曲かある。世間的に超難曲と呼ばれる有名曲もアルカン基準での難曲と比べれば割と易しくみえる。リストのように自分の曲に後から手を加えて易しくしたりという手加減がなく、論理的に導かれた結果であれば容赦なく音符に変換していく鬼

・知名度がなく楽譜もあまり出版されないので基本的に楽譜はIMSLPから落とすしか無いが、画質が終焉してて譜読みにフラストレーションが溜まる作品もある。でも良い曲が多いのでギリ許してる(それってあなたの感s...

グランドソナタ-4つの時代-

この曲は1848年に作曲されました。4楽章からなる長大なソナタで演奏には45分程度かかります。各楽章には順に「20代」、「30代-ファウストのように-」、「40代-幸せな家族-」、「50代-縛られしプロメーテウス」という副題がついています。この副題からこの曲は人の一生を表しているソナタと考えられます。

このソナタが他のソナタと大きく異なるところとして1楽章がスケルツォから始まり、2楽章でようやく拡張されたソナタ形式、3楽章が緩徐楽章、4楽章が極めて遅い(Extrement Lent)フィナーレという従来のソナタからは考えられない構成となっているところが挙げられます。さらに調設定も従来のソナタでは考えられない設定になっていますが、さすが知的なアルカンできちんとそこにはロジックがあります。(長くなるので書きませんが。)

リストが単一楽章の二重ソナタ形式のソナタロ短調を世に送り出し大論争になったのが1853年であることを考えると伝統的なソナタ形式をぶち壊しつつも一貫性のある曲として仕上げたこの作品は極めて画期的であったと言えます。しかし、この曲を作曲した当時パリは暴動が激化しており誰もこの画期的なソナタには目を向けないのでした。
そしてついにはこの曲は1973年にロナルド・スミスが演奏するまで一度も日の目を浴びることはありませんでした。この素晴らしいソナタは130年も忘れられていたというわけです。
さて、各楽章について聞きどころを紹介していきます。

1楽章「20代」

A-B-Aの3部形式になっていますが、Aの部分の右手が何箇所か本当に辛いんですよね。でも、要らない音は一つもありません。楽譜を見ながら聴くとそれがよくわかると思います。1楽章の美しいところはなんといっても中間部のBの部分のメロディーですね。この美しさがAの部分の切羽詰まったような急速なスケルツォを引き立てています。あと、コーダに移行する前のBの再現部が美しすぎて心が洗われます。ショパンのスケ1の中間部にも負けない美しいメロディーなのでぜひ聞いてみてください。
あと、地味に集結部の本当に最後の部分に、続く2楽章の冒頭の音と同じパーツが含まれているのも面白いです。

2楽章「30代-ファウストのように」

この長大なソナタの中心となる楽章です。信じられないくらい難しいです。譜読み初めて4年経つけどいまだにちゃんと弾き通せないです。でも、全てが美しいです。超絶技巧の持ち主として有名なマルカンドレ・アムラン氏は「私だってこんなに汗をかきながら弾きたくない。もっと簡単であればより詳細にこだわって伝えられるのに。でも、この曲はそれらを克服するに値するだけの価値がある。」と述べています。(意訳)
この2楽章の面白い所や魅力を紹介します。

①8声のフーガ
なんといってもこのソナタの目玉は終盤にやってくる鍵盤の下から上までを駆け上がる非常に大きな分散和音(冒頭のモチーフの逆行になってる)の後にやってくるフーガです。
4小説ごとに転調して1声ずつ増えます。最後は嬰イ長調に転調して8声になります。もう全てが意味不明ですが、きちんとアルカンは計算ずくでこの調に転調していきます。嬰イ長調はシャープが7つとファとドとソにダブルシャープが付いた調です。一応パリ音楽院の教本にきちんと記述がある調で、アルカンはパリ音楽院の出身なのでおそらくこれを既知のものとして作曲しているはずです。
この嬰イ長調をシャープ6つの嬰ヘ長調の楽譜で記述したことによってとんでもない臨時記号が出現します。それはトリプルシャープです。

トリプルシャープ

このフーガは悪魔祓いの儀式と捉えられており、フーガの終わりには「Le Seigneur(主たる神)」と書かれてあります。
おそらく昇華していくイメージと人間の住む俗世には存在しないものを表現したかったから実用としては存在しない嬰イ長調に転調して行ったのだと考えられています。
なお、あまりに譜読みが大変なのでアルカン自身が「Facilite」として演奏者向けに見やすくしたバージョンの楽譜が5声以降は付けられています。

②殺人的な跳躍
バカカッコいい所なのにインテンポで弾くのは不可能な超大跳躍です。マルカンドレ・アムランでさえもライブでがっつり外してますしもう無理なんでしょう。前後の和音もそもそも重くて体力的に厳しいのに...

③片手ポリリズム+絶対に届かない10度の和音連打
マジで脳がバグります。片手ポリリズムは本当に譜読みがしんどくなります。ようやくポリリズム地帯が終わったかと思えばアルペジオ必須の10度が出現します。これの厄介なところはアルペジオで誤魔化そうとしても音が多すぎて元のテンポで弾くのはほぼ不可能に近い点です。白鍵11度届くくらいの手の大きさが無いとこれは無理ですね。めちゃくちゃ音としては良いだけに残念...

片手ポリリズム→青
10度連打→赤

④体がひん曲がる手の交差+オクターブの大跳躍
音を省かずに弾こうとすると体がひん曲がります。
鍵盤の前に座って試してみてください。マジでひん曲がります。参考映像もつけておきます。(1:51あたり)
燃え上がるような激しい和音のベースの上に奏でられる主題が素晴らしいんですけど、これ演奏者はそんなの楽しむ余裕ないんですよね。両手でうまく振り分けて少しでも負担が小さくなるような運指を研究してるんですけど、焼け石に水です。ここの譜読み、マジで右手と左手がこんがらがって脳がバグります。

地味な10度の連打もキツい。

3楽章「40代-幸せな家族-」

2楽章とは打って変わって穏やかな緩徐楽章です。
この曲の面白いところは至る所に何を描写しているのかが言葉で明確に書かれています。「子供たち」「10時(アルカンが帰宅する時間)」「祈り」がそれに該当します。敬虔なユダヤ教徒であったアルカンらしい言葉の数々です。
作曲時アルカンは30代前半だったため、3楽章と4楽章はあくまでアルカンの想像の世界で書かれたものとなっています。全体的に明るい雰囲気が漂っており、割と現実的な目線で自身の人生を投影した1〜2楽章に比べて理想的な世界を思い浮かべたのかもしれません。
途中で2楽章にも出てきた左手の音形が再出現します。こういうところで一貫性を感じさせてくるのがやっぱりアルカンは知的だなぁと思わせますね。

4楽章「50代-縛られたプロメーテウス-」

3楽章での穏やかな家族との生活を夢見たアルカンは4楽章でアイスキュロスの詩を冒頭に引用し文学的な世界を敷衍して死を見つめます。

赤→アイスキュロスの詩
青→128分音符


この曲は128分音符が出てきたりとなかなか正確なリズムで演奏するのが大変です。最初バーコードかと思いましたよほんと。速度の指示はExtrement Lentという指示でBPMにすると20〜25くらいですかね。一応今はBPM100に設定してメトロノームを鳴らしながら練習しています。
曲の形式ですが、展開部のないソナタ形式と思われます。
冒頭の主題はなんと1楽章からきちんと受け継いだ2楽章冒頭にも現れるパーツです。(3楽章でも触れなかったですがほんの一部出てきます。)
1人の人間の一生を表すソナタとしてきちんと全楽章を通して出現するモチーフがあるのは本当に恐れ入りましたね。
ラストはソナタのフィナーレとは思えないような弱々しい和音を3回鳴らして終わります。おそらく死を意味しているものと思います。
下へ下へと向かうずっしりと重い和音の連なりが本当に死を見つめる人間の陰鬱とした感情を表現できている素晴らしい作品だと思います。

長々と僕が1番好きな作品について書いてきました。
最後に録音を貼っておくので是非聴いてみてね!

2楽章のみ(マルカンドレ・アムラン)
記念碑的な録音です。なんとこれ、日本公演です。
まずはこれを聞いて!

全楽章(ロナルド・スミス)
この曲の初演を行った人の録音です。技術的に苦しいところは否めないですが、この曲を人間界に蘇らせた立役者の模範的演奏の録音です。ロナルド・スミス氏がいなければこの素晴らしいソナタに出会うことはありませんでした。感謝してもしきれません。
楽譜を見ながら聴きたい人はこれが良いと思います。

全楽章(ヴィンチェンツォ・マルテンポ)
上手い。アムランに比べると粗いところはあるけど十分魅力は伝わる。

他にもアルカンにはたくさん名曲があるのでいろいろ聴いてみてください!
また気が向いたらアルカンの曲をたくさん紹介するnote書くのでその時はまた読んでもらえたら嬉しいです。

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