見出し画像

受け入れるということ

「自分をあるがままに受け入れる」「ありのままの自分を〜」「自分の全てを受け入れる」「自分を愛する」「自己受容」
etc…

それができたらきっと救われるだろう…
とずっと思っていました。

でも私には、それがいったい何なのか、どうすればそれができるのかが分かりませんでした。

分からずに、今 自分はそれをしているのだと勘違いし、暴走列車のように苦しみの中を暴走していました。

今もきっと分かってはいないのだと思います。

いったい「受け入れる」とは何なのでしょうか…


恐らく私はずっと、「自分なんてどうせこんなものだ…」「どうせ自分の人生なんて…」「人生なんてどうせ苦しみでしかない…」「ダメな自分を受け入れなきゃ…」etc…

そういうニュアンスの考えを、「受け入れる」ことだと考えていたのだと思います。

私がずっとしようとしていたことは、きっと自分の考えている妄想(幻想)を真実であると信じた上で、その妄想の中にどっぷりと浸りきったまま、必死でその妄想を受け入れようともがく行為だったのだと思います。


それでは苦しみから脱出することなどできるはずがありませんね…

溺れるだけです。


…私(たち)が妄想(幻想)から出るためには、やはり妄想の外に目をやる必要があるのです。
妄想の外にいる「存在」の助けが必要なのです。


妄想の中に浸りきって、自分の妄想を真実であると信じてしまっている内は、妄想(苦しみ)から出ることなどできません。

例えその妄想の中で誰か「他の人」に助けを求めたところで、妄想の中で私(たち)が見るものはその妄想を反映した影でしかありませんから、最終的な救いになどなるはずがありません。


やはり、私(たち)は真理(真実)を知る必要があるのです。


ここで「受け入れる」ということに話を戻すと、私たちには「いったい何を受け入れるのか」という問題があることに気づきます。

あるがままを受け入れる、という言葉を実践しようとするときに、私(たち)の中には「あるがまま」とは何なのかが分かっていない、という問題が出てくるのだと思います。


では「あるがまま」とは何なのでしょう。

それはやはり、「真理(真実)」なのだと思います。
だから私たちは真理を知る必要があるのです。


……自分の妄想を受け入れてしまうことは、決してあるがままを受け入れることではありません。
それでは苦しみが増すだけです。

ではどうすればいいのでしょうか。
どうすれば真理(真実)を知ることができるのでしょうか。


まずは、自分が妄想(幻想)の中にいるのだと十分認識することが必要なのだと思います。
自分が妄想の中にいるのだと、自分の考えていることは(特に自分を苦しめるような考え、自分を怖れさせるような考えは)みな自分自身への嘘なのだと認識することが必要なのだと思います。

その上で真理(真実)について学ぶ(聞く)ことが必要なのだと思います。


自分は100%正しい、と思っている人は何も学ぶ(聞く)ことなどできません。

だからまずは自分は間違っているのだということを認める必要があるのだと思います。


ではその上で実際、どうすれば真理を知る(学ぶ/聞く)ことができるのでしょう。

もちろん最初のうちは本や教師など外側の何かから学ぶ必要もあるのかもしれません。
でもいずれ、最終的には必ず自分の中に答えを見つけ出さなければならない時が来るのだと思います。

やはり真の教師、真の教えは自分自身の中にしか存在し得ないのだし、それを見つけ出さなければならない時がいずれ来るのだと思います。


最終的には、そこにしか私たちの真の救いはないのです。
そこ(自分自身の中)に聞かなければならないのです。

なぜなら、自分の外側に見えているものは自分自身の影でしかないからです。
自分自身の影は自分の信念を証明するだけのものですから、やはり最終的な救いにはなり得ないのだと思います。


では結局、「受け入れる」とは何なのでしょう。

それは、自分の考えていること、自分の(肉眼が)見ているものが、「無」なのだと認識した上で、それをそのままにすることなのだと思います。

それが存在しないからこそ、それが「無」だからこそ、それをそのままにする。
それは自分自身で作り出した幻なのだと、受け入れることなのだと思います。

そしてその上で自分の、人の、世界の真実(真理)を信じることなのだと思います。

自分の妄想(幻想)を超えた「存在」に聞き、学び、真実を見る(体験する)こと。
真理(リアリティ/実在)を受け入れることなのだと思います。


ここまで書いていて気づきましたが、結局「受け入れる」ことは「赦す」ことと同じなのですね……

フー、文章作るの難しい…しかもこの文章ちょっとループしてるかも…(笑)


…私は、あなたと共に真理を学んでいきたいと思っています。

私は世界を、人を、そして自分を受け入れられるようになりたい。
それらのものの真実が見たい。

だからこう言います。


「神さま、私は何も知りません、どうか私に真理を教えてください。
あなたは今も私の中に息づいています。

だからどうか、私をあなたの光で満たしてください…」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?