自我って
何かいまいち、どうしたらいいのかがよく分かっていないけど……
自我って、まるで悪魔や鬼のように語られることも多いけれど…
自我って本当は、とても純粋な存在でもあるような気もする。
ただただ本気で罪を怖れていて、不安で心配だから、一生懸命に私を守ろうとして必死に私のために働いてくれている存在なのかなという気もしてる。
だから自分が真理に、救済に向かっていくとしても、自我という存在を切り捨て、置き去りにするようなイメージはなんか違うのかな…という感覚もある。
ACIM的にというか、真理に照らし合わせたら実際どうなのかな…とも思う。
不勉強だ。
自我が実際狡猾な存在だというのも確かなことではある気はするし…
でも何となく、自我を切り捨て置き去りにするというイメージよりは、自我の手を取って…まるで小さい子供の手を取るように、一緒に真理に向かって歩いていく…
そんなイメージで自分も真理に向かっていく方が良いのかな、という気もする。
真理の道は頭で理解できるようなものではないのかもしれないけど、やっぱりどうしても考えてしまう。
できれば寄り道せずに真っ直ぐに真理に向かって行ければ一番いいのかもしれないけれど…
なかなか難しいものだ……
追記
自我の思考体系を真理の光の下に運ぶ…
自我と同一化せずに(自我そのものになりきることなく)、自我の手を取り、共に真理の光に向かい歩いていく…
あなたと一緒じゃなきゃ、あなたを置き去りにして私一人でここを出ることなどできない…
追々記
あなたの頭はすでにトラの口の中にある…
何をどうあがこうと、全ては神の肚の中でのこと、全てはお釈迦様の掌の上…
私たちはどうあがこうと、(幸福で在ることからは)逃げられない。
私たちは本当に不幸であることなどできない存在であり、どうあがいても暴れ回っても、「幸福」という運命、宿命から、そして神から逃れることなど決してできない。
「あなたは完全に私に包囲されている、無駄な抵抗は止めて、手を上げて早く私のもとに帰って来なさい!」
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