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天上の回廊 第十三話

それから数日の間、はるかと翔太は直接は会う暇もなく、LINEで連絡を取り合った。翔太ははるかが茂夫の話した真希のことについて気にしているのではと心配していたが、はるかは一言もそれについては触れなかった。翔太ははるかがどう思っているのか知りたかったが、彼もなかなか言い出すことが出来なかった。そのまま、また週末になり、土曜日の朝、翔太に彼女からLINEが来た。
「翔太、おはよう」
「おはよう」
「今夜会えない?」
「今夜?」
翔太は少し唐突な提案に若干戸惑ったが、すぐに
「いいよ」と送った。
今夜八時に池袋のスターバックスで、ということで合意して、二人ともすぐに忙しい日常に戻った。

目まぐるしい一日は息を呑む間に終わり、二人が待ち兼ねた夜が来た。翔太は例によって、一足早く待ち合わせ場所に到着しようとしていた。久しぶりの池袋の街は下品なネオンが瞬く掃き溜めのようだったが、今の翔太には、活気があって、ひとの息吹きが感じられるエネルギッシュな街に見えた。道端でまた誰か喧嘩をしていた。
彼は野次馬に混ざり、居並ぶ人々の頭の上から背伸びをして覗き込んだ。

見ると、家電量販店の前で二人の男が罵りあい、時々殴りあっている。物見高い見物人達は、口々にやめろ、やめるなと叫んでいる。
翔太はその姿を間近に見て、急に自分が恥ずかしくなった。そしてすぐに踵を返した。

デパートの中にある喫茶店に着くと、案の定そこは人に溢れていた。本屋と併設されていて、膨大な数の本が書棚に並ぶが、翔太はとりあえず席を確保することを強制させられる。暫く待って、やっと二人分席が空いた。彼は鞄を置き、カウンターに並んだ。ドリップコーヒーのトールをアイスでオーダーして、席にどっかりと腰掛けた。皆は思い思いに好きな本を読んだり、携帯を弄ったりしていた。

10分ほどして、彼が辺りを見回したとき、ちょうどはるかの姿が目に入った。彼女は少し急いでこちらに近付いて来た。
「ごめん、ちょっと遅れたかな?」
「大丈夫」
「私も買ってくるね」
彼は今夜の彼女の後ろ姿を何気無しに眺めた。紺のワンピースにガーリーなスニーカーを履いている。
彼女はいつ見ても美しかった。翔太は久々に会うはるかに暫し目を奪われていた。
彼女は両足を揃えて席に行儀よく腰掛け、翔太をいつもの大きな瞳でじっと見詰めた。
「どうしたの?」
翔太ははるかが余りにまじまじと自分の顔を覗き込んでいるので、不思議に思って声を掛けた。
「ううん、久しぶりだから、よく見とこうと思って」
彼はそれを聞いて、とても嬉しかった。全然変わらない様子のはるかを見て、少し安心した。
「ふふ、そうか。オレもよく見ておこう」
そう言って翔太もはるかを凝視した。
「やだ、怖い、ふふふ」
はるかは照れたように笑い、翔太も表情を崩した。

翔太はあの事を説明しなければな、と思った。
「あのさ、はるか」
「なに?」
「真希っていう娘のことだ、ちゃんと説明する」
彼女は眉を下げて、やや不安気な表情になった。
「うん」
「その娘はな…」
「なんかあんまり聞きたくないわ」
翔太はそれでも続けた。
「真希は東都大学の三回生だ、友達の甥の同級生で」
「ややこしいわね、どうしてそんな若い娘と知り合ったの?」
「友達の甥の誕生日をお祝いに行って、そこで知り合った」
「ふうん」
はるかはやや不機嫌そうに顔を曇らせた。
「それで、最初は皆で会っていた」
「うん」
「そのうちにオレから食事に誘った」
「女たらしなのね」
彼は次の言葉に窮した。
「だって、誰とも付き合ってなかった訳だし」
「でも、そんな若い娘と?いいのかしら」
「大学三年生だぞ?もう成人してるし、大人だろ」
「お盛んなのね」
翔太は事態がどんどん悪くなる気がした。弁解などするべきではなかったのだろうか。
「妬いてるの?」
「妬けるわね」
はるかは、ついに露骨に不快感を表した。
「でも、はっきりさせたいだろ?」
「男はいつもそう。なんでもはっきりさせたがる。そこが嫌なのよ」
翔太は困り果てて言った。
「じゃあどうしたらいいの?」
「自慢してるみたいに聞こえるわよ。自分で考えたら」
「じゃあもうやめるよ!」
彼は少し語気を強めて言った。
はるかは、大きく息を付いて、
「ごめんなさい」
とだけ言った。
その眼には溢れるものが溜まっている。
翔太は初めて自分が余計なことをしたと気付いた。
「ごめん、オレの方こそ」
彼女はまた口角を無理に上げるようにして言う。
「もうやめてね。いいのよ。私は翔太が好き」
「はるか…」
「それでいいのよ。それで」
「ありがとう。オレは本当にわかってない」
「そうね。わかってない」
はるかは頬に涙を伝わらせて言った。表情はさっきまでとは違い、穏やかな微笑を湛えている。
翔太ははるかの愛を肌で感じた。 はるかの無償の愛を思い知り、それに応えるのは、これからの自分の行動だと新たに決意した。
「はるか、ごめんな、愛してるよ」
「わかってるわ。私もよ」
二人は強く手を握りあい、頷きあった。


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