就活日記3 夢がまた一つ出来ました

学生の特権はいくつかあると思うのですが、その中の一つに夢を語り放題っていうのがあると思います。良くも悪くも現実を知らないからね。

就活って本当に色々と夢を見れるんですよ。色々な企業や、色々な大人と会えるから。大学なんて同じレベルの人が殆どで。その点社会には本当に様々な人がいて、「こんな人になりたい」っていうのが見つけやすいのです。

さて本題の夢、それは「編集者」になることです。
きっかけは以下の記事を読んだから。とても素敵でした。

書く人/編集する人、そしてメディアが果たせる役割とは──編集者 若林恵×クラシコム 青木耕平対談 前編

青木
僕も、あらゆる専門職の中でも編集者って特異だと思っています。編集者は最初にマテリアルがあって、それらをブリコラージュしていく仕事ですよね。
でも、多くの専門職が極めているのはエンジニアリングで、完成形や設計図に向けて要素を積み上げる仕事です。スキルとエンジニアリングが幅を利かせる世の中において、ブリコラージュとセンスで仕事をする世界はかなり特殊だと見ているんです。
僕が一時期考えていたのは、なぜ大企業は何万人と社員を抱えているのに、外部からアートディレクターを招聘するんだろう、と。何万人といれば一人くらいはその役割ができる人がいてもよさそうなものですが、ほとんどの専門職はエンジニアリングの訓練を受けているだけで、ブリコラージュの訓練を受けていないからなんですよね。

若林
なるほど、なるほどね。

青木
今後は「ブリコラージュできる人の活かし方」が大きなテーマになるはずです。加えて言うなら、そういった人がスキルを向上させると、センスが壊れてしまうという逆相関の関係もあるのではと考えています。
あくまで僕の見解なんですが、センスって「好き嫌いにおける一貫性のある文脈」だと思っているんですね。今までの世界はモノの有無が重要だったので、モノが作れるのか否か、あるいは作業ができるのか否かにおいては、早い段階でスキルを身につけて好き嫌いを克服させるというイニシエーションが発生していた。ここでおそらく、みんなに備わっていたはずのセンスが破壊されてしまった。
だから、現在は「好き嫌いを克服できなかった人」こそがセンスを維持できていて、ブリコラージュもできていると思うんです。それこそ僕や、失礼な言い方になりますが若林さんも含めて。
ブリコラージュは、理論や設計図に基づいて物を作る「エンジニアリング」とは対照的なもので、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ることである。 ブリコラージュする職人などの人物を「ブリコルール」(bricoleur)という。
ブリコラージュ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブリコラージュ

ブリコラージュって、言ってみれば「創造的アウトプット」なのだと思います。本質的に言えばコンサルティングとかも近そう。

ただしコンサルと編集者には違いがあって、上の対談にもある通りスキルやエンジニアリングが幅を利かせるかどうかだと思います。結局コンサルってナレッジやノウハウがある人が勝つと思うんです。なぜなら目指すべきゴールがあって、そこには理論が存在するから。

でも編集者はそうじゃない。「相性」が存在します。「貴方だから頼みたい」なんていうのが介在するのだと思います。
実際僕が感銘を受けた本である「お金2.0」はそんな感じで箕輪さんに編集を依頼したみたいで。

大分話がそれましたが。自分でいうのもあれですが、僕はすごく「好き嫌いが多い」人間だと感じます。野菜は嫌いだし、ちょっと変わったところで言えばビールが嫌いです。苦いし美味しくないし。しかも酒税乗って高いのに馬鹿じゃないの??って思っちゃうタイプです。

なんでそうなったかと言えば、何不自由なく生活してきたからだと思います。僕の家は一人っ子で、所得層としてもそれなりに裕福でした。家庭は円満で、両親に甘やかされて、親の脛をかじりながら今日も生活しています。

そんななので、僕は頑張ることが嫌でした。だから、単純なノウハウ量が有無をいう仕事には就きたくないんですよね。

勿論編集者だって、頑張る必要はあるのでしょうけど。自分の「嫌い」が「センス」として価値をもてる仕事ってとても素敵だなと思うのです。

実際何をやればいいかは全く分かりませんが、とりあえずはライターのインターンでも申し込もうかなと思います。どうなるんだろうね?


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