前回アップした前世の候補者を絞り込むの記事よりも、今回は更に前進した場合について書きます。このnoteを「フィールドワークで究明する」と銘打ってますが、ここで遂に、実際的なフィールドワーク的な要素が強い側面に入っていくことになります。
では、具体的には、どんなアクションがあるのでしょうか?その辺りを、お伝えしていきたいと思います。ちなみに、結論を先に書いてしまうと、実際に足を動かすことです。

所縁の地に行ってみる

その人物と所縁のある場所や史跡に実際に足を運んでみることが、一番お勧めしたいことであり、同時に最大の楽しみでもあります。その人物が住んでいた場所、訪れたり滞在したと記録が残っている寺社、戦国時代の人物であれば、関わった戦の跡地、何でも構いません。
最近、前世と判明した源経基という人物の屋敷跡とされている地が、現在はお寺になっていて、近くを通ると、寄るようにしています。そこで、興味深いシンクロニシティだなと思っていることがあります。そのお寺は時宗という浄土宗系の宗派のお寺です。今のわたしの実家の菩提寺も同じ時宗であること。また、前世の候補として挙がっている井上円了は、やはり浄土宗系の浄土真宗のお寺に生まれていることです。
また、今世のわたしは、縁あってキリスト教的な神秘学を学んでいますが、ここで学んだものによると、イエスと、浄土教で崇める阿弥陀如来は同じ実体(要は、イエスの前世)であるということです。この点からも、何らかの繋がりを感じることができます。

博物館などに行く

博物館などで、その候補となっている人物にまつわる品が展示されることがあります。単に名前が残っているだけでなく、それなりに有名な人物が候補として挙がらなければ難しいかもしれませんが、もしあれば、極力、足を運ぶようにします。例え、全国的には有名ではなくても、特定の土地では、地元の名士のような存在で、その土地に行けば、所縁の品を所蔵している施設などもあったりもします。
例えば、わたしは井上円了という人物を前世の候補として挙げています。彼は中野区に晩年の住まいがあったため、中野区立歴史民俗資料館という小さな施設に、彼にまつわる品が所蔵されていたりします。

また、候補として挙がっている人物の周辺の人物、例えば肉親、師弟関係にあった人物や、同じ組織に所属していた人物などについての企画があっても、見つけられれば、できるだけ足を運ぶことをお薦めします(「見つけられる」というのも、一つのサインです)。これは、前項の所縁の地に行ってみることにも通じることです。
わたしの体験をご紹介すると、ある鎌倉時代の有名な僧侶(以後「S」)にまつわる品を集めた企画展に足を運んだ時のことです。Sは、今の時代にも転生していて、鎌倉時代の前世でも、今世でも、ご縁があった関係で足を運びました。
その展示物の中で、他の展示物から少し離れてポツンと置かれていた像がありました。その像は、わたしの生まれ故郷である鎌倉のお寺から運ばれたものでした。そのSは、鎌倉幕府が敬遠していた宗派だったため、鎌倉(幕府)とはあまり接点がありませんでした。その為、鎌倉に遺された所縁の品は僅かで、その展示会でも、唯一の鎌倉の地から来た品ということで、他のものとは少し距離が置かれていたのです。
その仏像を目にした瞬間、全身に電流が走るような感覚を覚えました。その、あまりに強烈な感覚に驚いて、慌ててその仏像の説明書きを見てみました。すると、わたしの弟の前世の人物が、Sから直接授かった品である旨が書いてあったのです。
弟も鎌倉時代の前世が判明しており、その時は、きょうだいではありませんでしたが、同時代に生まれ、立場も近かったため、ある程度の交流はあったはずです。その関係で、当時のわたしも、その像を目にしていたのだと推測できます。この様に、所縁の人物を調べることで、自分の前世の輪郭が見えてくることもあります。
なお、前世で所縁のある品を目にする度に、毎回、毎回、こんな電流が走るような体験はありません。でも前世で実際に目にした品を、数百年、千数百年ぶりに目にすると、何かしら魂が揺り動かされるような体験が起きることは多いです。
フィールドワークとして、こうして足を運ぶのは、こうした体験が重要なポイントになることが多いのです。

観察する

ここまでお読みいただいて、お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、実際に目的地に到着したら、ただそれで終わりではもったいないことです。次のような点に意識を向けて、(自分自身を)観察してみてください。

1.自分の感情の動き
その地に近づいていく中で、或いは所縁の品を目の当たりにした時の感情の動きに観察するのです。特に根拠の無い感情が重要です。何だか分からないけど嬉しい。何だか分からないけど悲しい。そんな感情の動きが無いかを観察するのです。

2.シンクロニシティ
前項では、内面の動きを観察するとお伝えしましたが、こちらは外側の動きを観察するということになります。前世を探求する中で、偶然を偶然として片付けてしまうのは勿体ないことです。その場に居合わせた人に気になる人がいるか、聞こえてくる音や会話の内容、或いは天気の変化などを観察します。そして、それもまた、そこから引き起こされる感情の動きを観察するのです。

3.体調の変化など
これは、わたし個人では起きにくいのですが、所縁の地や品を前にすると、体調を崩すことがあります。理由は様々ですが、体調の変化も宗教で「カルマ」と表現されるものが動いた証である可能性が高いです。その地(や品)との関わりがあるからこそ、カルマがあるのですから。

こういった情報を受け取り、観察し、意味づけながら、候補としての純度を上げていく(或いは、違っていることを確認する)のです。

補足:カルマと言われると、一種の罪のようなものと思われがちですが、実際には、それは「カルマ」の一側面だけのものにです。カルマは、大きく分けると、「良いカルマ」と「悪いカルマ」があり、本稿で扱っているカルマは、この両方を総称しています。
(本質的には、良いも悪いも無いのですが。。。)

まとめ

前世探求における候補者の絞り込み作業のパート2。今回は、実際に所縁の地や品に会いに足を運んでみるということについてでした。

今回がパート2になりましたが、このあたりの順番は、強いて順番を付ければという程度のことであり、重要ではありません。
わたしの体験としても、今回ご紹介した所縁の地(神社)を訪ねるというのが契機になり、前世が判明したということもあります。(その神社を訪ねた時は、前世探求の意図はありませんでした。)詳しくは、改めて機会を設けますが、いずれにせよ、前世が判明するまでの流れは、千差万別というか融通無碍というか、様々なパターンがあって、言葉では表現しきれないほどです。その中でも、ある種のパターンを言語化してご紹介しております。

引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。

お読みくださり、ありがとうございます! サポートをお願いします!! 今後の探求のための資料の入手や、実際に所縁の地へ足を運ぶための資金として使わせていただきます。