前世を知るメリット(一部デメリット)

何故、前世を知ろうとするのか?

わたし個人としては、自分のアイデンティティを強烈に求めていたんだなと、今になって思っています。少なくとも、知的好奇心ではありませんでした。

では、そんな願いからではありましたが、実際に探求を続けていて感じているメリットやデメリットを、まとめてみます。

自分を深く知ることになる

これは、冒頭に書いた「自分のアイデンティティ」にも関連してくるところです。

探求の大きな肝は、自分を知ることにあります。

例えば、

何が好きで、何が嫌いか。
どんな癖があるのか。話し方や仕草など。
どんなことに感動したり心を惹かれるか。逆に興味が向かなかったり、むしろ嫌悪感を覚えたり。

そういうところに、自分が前世で培ったものが顕れているからです。これが、「今に顕れている」と考えている所以です。

例えば、わたしは18世紀のイギリス人だった前世があります。

それが分かったのは30代の中頃。でも、遡ると、20歳の頃から、好きなものがイギリスとのご縁が強いものが多かったのです。気が付くと。

聞く音楽はアシッド・ジャズというイギリス発の音楽だったり、英語もアメリカ英語ではなくイギリス英語に妙に惹かれたり、紅茶が好きだったり。そういった好みがイギリスの前世が明らかになる前から出ていました。

それで、実際にイギリス人だったことが分かった時は、そうやって何故、自分がイギリスの文化に惹かれるかが納得できたわけです。

また、前世というものを考慮しなくても、

自分を知っているというのは、生きる上で大変役に立つことです。

まずは自分史をつけることや、何が好きで何が嫌いかをリストアップしたりすることをお薦めします。(コツは、あまり感情を交えずにフラットに取り組むことです。)

教養が広がる

サイキックに頼らない前世探求の方法の最初のプロセス。恐らく想像がつくかと思いますが、候補となる時代や国・地域を挙げることにあります。
(どうやって候補を絞るかは、また改めて。)

その次のプロセスは、自ずと、該当の時代の、その国の文化を知ることになります。人種、宗教観、価値観や思想、食や服装などの文化。支配者の生活や市民の暮らし。いずれも学校の教科書だけでは、なかなか知り得ないことです。

その様なことを知ることで、言ってみれば教養が深まります。例え、その候補に挙がった時代や国が、どうも違うようだ、という結論に至ったとしても、やはり、その調査を通じて深まった教養は宝になります。

現状を受け入れられる

良くも悪くも、何故自分の人生がこうであるのか。そのことが、単なる偶然ではなく、前世からの積み重ねだったことが明らかになります。

例えば、人に自分が鎌倉出身であることを話すと、「なるほど、育ちが良いんだね」みたいに言われることが多いです。いやいや、わたしは、ごくごく中流の家の育ちで、決して裕福な家の育ちではないよ!って反論したくなります。しかし、実際に前世を知ってみると、確かに裕福な家に生まれ育っていることが多かったのです。その雰囲気が今のわたしにも醸し出されていたのだと分かるわけです。

生きるのが楽になります。

成長につながる

これは、見方によっては、前世を知ることのデメリット的な要素でもあるかもしれません。

前世が明らかになると、その時の人生での課題に直面することが多いと言われています。宗教でカルマなどと呼ばれているものです。

わたしには離婚経験があります。前世でも、当時は同性でしたが、その時の結婚相手とは、かなり深い付き合いがありました。(どうも、同性愛者だったみたいです。)

前世では、その相手と、ある時、大げんかをして、交流が断たれました。その時の経緯と、今世での離婚に至る経緯とは似ています。それによって、わたし自身、かなり辛い思いもしました。

もう4~5年前のことです。今となっては、そのお陰で、お互いに自分らしい人生に繋がりましたので、出来事ひとつを取って、単純にポジティブかネガティブかと判断することはできないということでもありますが。

今の自分と比べると辛くなる

これも、ひとつ前の成長に繋がるということと関連しています。

仮に、現代にも名前が残っている人物だったと判明したとします。その場合は、否が応でも現状の自分と比べることになります。

当時より今のほうが明らかに良い人生であれば良いのですが、大抵は、故人というのは功績などに焦点が当てられて現代に伝えられており、逆にネガティブなところは、あまり残っていないことが殆どです。でも、自分は、自分のリアルなところ(弱さ、醜さ)も、我が事として、十分承知しているわけですから、勢い、前世の自分のほうが能力を発揮して素晴らしい人生を生きていたように見えてしまいます。冷静になれば、同じ土俵で単純に比較するのが難しいのですが。

わたしの場合、名前が残っているだけあって、比較的、家柄が良く、恵まれた環境で生まれ育ち、自分の才能を発揮しやすい状況のものが多かったのです。しかし、今世はごく普通の、中流の家に生まれましたし、自分が十分に生かされていないという感覚も強く持っています。そのお陰で、環境のせいにするという弱い面と向き合わされました。

魂の存在目的が分かる

自分の人生のミッションやヴィジョンを明確にしようなんて提唱されたります。スピリチュアルな分野でも「自分の使命を知りたい」という声は多いようです。

前世が判明してくると、いくつかの転生を通じて共通して果たしている役割が見えてきます。そうすれば、現世だけでなく、もっと大きなスパンで自分の果たしたい(或いは果たせる)役割や使命というものが見えてきます。

例えば、わたしの場合、「新しい時代の源流になる」というのが共通して見えてきています。わたしの前世の死後、大きな歴史のうねりが起き、その源流をたどると、私の前世に行きつく、みたいなものです。

少し具体的なものを書いてみましょう。
19世紀にイギリスで「ゴシック・リバイバル」という一大ムーブメントが起きました。建築様式や、文学で言えば現代のホラーやサスペンスの源流にもなっています。そういった「ゴシック・リバイバル」の解説書などを見ていると、必ず、その源流にいる人物ということで、わたしの前世の人物が紹介されます。

また、現在進行形で調査している前世では、後に鎌倉幕府を樹立する清和源氏の始祖の人物が挙がっています。鎌倉幕府自体は短かったですが、その後、江戸時代まで、700年近く続くことになる武家政権の先駆けとなりました。そして、その後、わたしは鎌倉幕府の一員としても生まれ変わっています。

とはいうものの、わたし個人は、大した野心があるわけではなく、のんびりとした性格です。明確に「未来を変える」という強い意図を持つのではなく、「取り組んでいたことが結果として」源流となった、という感じなのだと考えています。

もしかしたら、このブログも、将来、誰もが自分の前世を特定しているという時代が、もしかしたら訪れて、その源流となっていくのかもしれませんね(笑)

直観力や直感力などが養われる

自分の前世を特定するにあたり、最後の決め手になるのは、やはり直感力や直観力が重要となります。また、探求を重ねていくプロセスで、多くのシンクロニシティが起きることがあります。そういった情報も、前世探求の貴重な情報源になります。

つまり、前世探求のプロセスを通じて、直感力/直観力やシンクロニシティを受け取る力が養われます。これらの能力は、近年はビジネスの分野でも注目され始めています。例えば『ニューエリート』では、「決断は直感で」などと明言されています。

わたし自身、周囲から「直観/直感に従って生きている人」というふうに見られている節があります。わたし自身も、そんな自覚があります。それも、前世探求で培われた成果であると考えています。

現在の人間関係が混乱することがある

これは、デメリットになるかもしれません。でも、一時的なもので、すぐに慣れるのでご安心ください。

それは、前世の人間関係と、現世の人間関係の質が異なる場合です。例えば、前世では夫婦などの近い関係だったが、今世では、既に互いにパートナーがいる、とか、前世では敵対関係にあったけど、今世では、良好な関係にある、とか。
前世が本当であれば、尚更、関係の違いが判明した時の違和感が強くなる傾向があります。その場合は、やはり、今の関係とは違うということを冷静に見つめるような工夫が必要になります。
とは言いつつも、冒頭にも書きましたが、いずれ気にならなくなりますので大丈夫です。

まとめ

今回は、前世探求のメリット(と一部デメリットも)を、わたしの主観ですが、書いてみました。

前世探求をしたからといって、必ずしも前世の人物が特定できるとは限りません。わたしは、むしろラッキーだったしかし、前世探求をすることを通じて、今の自分の人生が豊かになる。それだけは間違いなく言えることだと思います。

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