私と音楽

 はじめまして。3年のHです。気がつけば今日で4月も終わってしまいますね。時の流れが早すぎて、何か大切なものを沢山取り零しながら日々を過ごしているような気がします。
 さて、わたくし初NOTEなのですが、「なんでも好きなことを書いていいよ!」と言っていただけたので、自分とは切っても切り離せない「音」及び「音楽」についてちょっと真面目に言語化してみることにしました。もしちょっとでも覗いてみようと思ってくださった方、つまらんエッセイですが良ければお読みください。

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 私は外出する時、基本常にイヤホンをしている。誰かといる時や外の音を聴きたい、聴くべき時を除いて、ほとんど「常に」だ。それは音楽を聴きたいからかと問われれば、確かにイヤホンをしている時間のほとんどは音楽を聴くことに費やしているのだから、そうである、ということになるのだろう。しかし、何より大きい理由は「自分を守るため」である。

 私は人よりも"音"に敏感な人間だ。他の人にとっては取るに足らない、もしかしたら鳴っていることを意識すらしていないかもしれない音にとてもストレスを感じる。例えば、人の話し声、鼻を鳴らす音、貧乏ゆすりの音、ペンで文字を書く音、タイピング音など。今あげたうちのどれかには共感してくれる人がいるかもしれないし、全く共感できない人もいるかもしれない。以前友人にそういう音が気になるんだよねーという話をした際に「私全く気にしたことなかったかも」と言われた時には、自分は人より相当生きづらい人間なのだということを悟った。(思うに、いわゆるHSPというやつである。全ての項目に当てはまっているわけではないが。ちなみに筆者のMBTIはINFPである。まあ、そういうことである。)

 本題から逸れてしまったが、とにかくそのようにして様々な音が気になってしまう人間にとって、イヤホンは、そしてイヤホンから流れ出して私を満たす音楽は、生きる上で必要不可欠なものである。カバンを変えたり、ケースを充電していたのを忘れていたりで家にイヤホンを忘れた日には、それはもう死活問題である。出先で充電が切れるのもまた、死活問題である。イヤホンを前日着たコートのポケットに入れたままであることを忘れ、ケースのみを持ち出し、いつも通り音楽を聴こうと思ってケースを開けたら、中が空だったとき、絶望である。(全部あるあるだよね。)
 イヤホンがない日は、外音を遮る術がなく、外からのストレスを全て引き受けなければならなくなってしまう。特別何か聴きたいものがあるわけではない時でも、その時々の気分で流した音楽をなんとなく聴いているだけの時であっても、音楽は、イヤホンは、いつも私を守ってくれている。私は、音楽の中にいるから、「自然に息をできている。」

 そもそも、私は文字通り「音楽の中で息をしてきた」人間である。幼い頃からピアノをやってきたが、ピアノは「音楽の中で息をする」というよりも「音楽が自分と共に在る」ことのきっかけとなったものであったように思うので、本当に「音楽の中で息をする」ようになったのは、小学校高学年でブラスバンドを始めた時、そして中学校で吹奏楽部に所属した時だろう。小学校のブラスバンドはクラブ活動の一環程度であったので少し置いておくとして、私が本当に一年のうちのほとんどを音楽の中で過ごすようになったと言えるのは中学で吹奏楽部に所属してからである。吹奏楽とは文字通り「音の中で息をしている」ようなものである。合奏中かどうかに関わらず、常に音が氾濫し、音に囲まれた環境だ。そんな環境に、私は高校の部活引退時までの5.6年間(小学校も入れれば8.9年間)身を置いてきた。ある意味「音の中で息をしている」ことが"当たり前"だったのだ。しかし、高校3年で部活を引退して初めて、その"当たり前"がいかに美しく、貴重なものであったかを実感することになった。もう一度と願っても、必死に手を伸ばしても、もう掴むことのできない"当たり前"。そんな「音の中で生きていた日々」を、どうしようもなく愛おしく感じると同時に、それを失ってしまった事実を、今でも寂しく、切なく感じている。

 なんだか主題とずれはじめてしまったが、もう一つだけ「音楽の中で息をしている」話を。
 私は高校時代から、大体月一のペースでバンドのライブに通っている。大学生になってお金にも時間にも余裕ができて、行動範囲も広がった今ではそれよりも多く通っているが、受験やコロナ渦で空白期間があったとはいえ、そんな生活はもう6年目である。多くの人にとってライブに行くことは"非日常"であるかもしれないが、私にとっては"日常"の一部である。単純に好きなバンドがたくさんあって、それがライブをするのだから生で音楽を聴きに行きたいというだけなのだが、それに加えて、なんだか良くないことが続いているとき、あ、今メンタルちょっと不安定かも、と思ったとき(とても都合の良い人間なので基本寝れば忘れるのだが)、真っ先に解決策として思い浮かぶのは、実は「ライブ行かなきゃ」ということだ。バンドによって「今この時間は日常を忘れていい」というスタンスのところもあれば、ライブを通じて、逆にその時悩んでいることと向き合わなきゃと思わされるような言葉をくれるバンドもあるし、ただ何かに限らず、とにかく前向きになれる力をくれるバンドもある。そのようにスタンスや手段は様々であるが、私にとってバンドのライブに行くことは、乱れかけた呼吸をリセットして、また新たな呼吸を始めるきっかけになっている面があるような気がする。きっとバンドのライブという、音楽の中に立って、音楽に浸り、時には音楽を通じて日々の自分を省みる時間を求めているのだろう。私は、「音楽の中で息をすることを、求めている。」

 これまで散々な自分語りになってしまったが、最後に一曲だけ紹介させていただきたい。私のような人間に限らずこれを読んでいるあなたにも、日常の中で余裕がなくなったり、なんだか悲しくなったりちょっぴり寂しくなったりすると、気づけば浅い呼吸を繰り返してしまっている時があるのではないだろうか。私はそんな時に、この曲を聴く。そうすれば、深く、息を吸い込むことができるから。なんだか良くない気持ちも空気と共に吸い込んで、ちょっとだけ外に出してしまうことができるから。逆に、天気が良くてなんだか調子も運も良い気がする時にも、この曲を聴く。そうすれば、軽やかな気持ちが心を満たすから。私という人間は、「It's Not Living (If It's Not With You)」ならぬ、「It's Not Living (If It's Not With Music)」なのだ。