【Daily Reading】2014年5月 part 1

・『GRANTA JAPAN with 早稲田文学 01』(2014、早川書房)
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 読書メーターで感想をいくつかちら見したが、文芸誌のわりにはかなりしゃれて作られていた。たとえば3人の写真家の写真に独立したページを割いているが、、小説→写真→小説という流れの中でもそれほど逸脱した感はないのは全体的にスタイリッシュに作られているせいだろうと思う。『MONKEY』を意識しているのかもしれない。
 内容は村田沙耶香は「清潔な結婚」とかいう相変わらず狂った短編を書いているが、このまま狂い続けるのか少し下がるのか今後気になるところ。
 他には岡田利規、円城塔の短編と『災害ユートピア』の著者レベッカ・ソルニットのエッセイがよかった。

・大崎善生(2009)『優しい子よ』(ポプラ文庫)
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 積んでたのでたまたま手にとったが、表題作はエッセイとフィクションの中間のような文章。難病の子どもと、大崎の妻である女流棋士・高橋和の手紙を通じた交流を、大崎が第三者的な目でつづるという内容。他に「テレビの虚空」「故郷」と題された連作もの、そして大崎と妻の初めての息子の誕生までを書いた「誕生」の四編。
 大崎の書いた小説としても読めるくらい、センチメントだった。かつて難病を患っていた身としてはこういうのを読むとどうしても自分の過去の記憶と結びつけてしまうので(ただでさえ感傷的な文章なのに)客観的に読むのが難しいなと改めて感じる。
 「故郷」までの大崎が生と死をめぐるエピソードを書き続けていたら今度は我が身にふりかかってしまった、という感じにも読めるし、あとがきに書いてあるようにフィクションでもノンフィクションでもない、その中間を目指そうとして書いた本だとも読める。
 もしくは、いまこの時から振り返ると、ノンフィクション作家としてデビューし、その後小説家に転じた数年後の間の短いドキュメントのようでもある。「小説の自由」という言葉が出てきた。ノンフィクション作家として期待されながら大崎が小説を選んだのは小説という方法における自由を感じたからか。ならば本書は「自由」を獲得するまでの奮闘記でもあるかもしれない。

・大屋雄裕(2014)『自由か、さもなくば幸福か?』(筑摩選書)
 
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 1, 2章は主にアーキテクチャの話。法は国境を越えることが難しいが、アーキテクチャはインターネットとつながることで容易に国民国家にとってオーバーコントロールになりうる。
 3章は自己決定に耐えうる事の出来ない個人の話、4章は自由と幸福が両立しえない状況でどのような社会構想ができるか、という話。
 ここで安藤馨が出てくるのが面白かったけど、それ以上のコメントは功利主義についてさほど多くのことを知らないので難しい。とりあえず、自由がもたらす幸福も近代的個人もいずれも過去の産物ではあるが、これからもデファクトにはなりうるかどうかについては懐疑的な大屋の見方と、(あとがきにも書いてあったが)学者にしては珍しく具体的な主張をいくつか挙げていたのは印象的だった。
 この本のような書き方(ある程度議論が粗くなっても「主張」を重視する)はガチガチの学術書には向かないが、選書という枠組みには向くのかもしれない。

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