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パラ水泳・江島大佑選手取材のウラ話

「この辺りは、来年はたくさんの人で賑わうんだろうな」

ちょうど1ヶ月前の今頃のことだ。1年後の景色を思い浮かべ、あたりを見回しながら、真夏の千駄ヶ谷の街を歩いていた。普段はあまり汗をかかない僕でも、汗がタラタラと流れ落ちる。とにかく暑い。何年か前に、人間の身体の大半は水分でできていると、CMか何かで言っていたが、どうやらそれは本当らしい。

そして、この暑さのせいで、オリンピック・パラリンピックに対するワクワクした感情は一瞬だけ浮かんで、すぐに消え失せた。

IOCもJOCも、そして当時の東京オリンピック招致委員会も、こんな災害レベルにクソ暑い時期に、オリンピック・パラリンピックを開催することを大前提として招致活動に励んでいたのだから、正気の沙汰ではない。

どこかの知事が「アスリートファースト」なんて、知ったようなことを言っていたが、商業主義に染まりきったオリンピックを知れば知るほど、その言葉が虚しく響く。

それでも僕は、1ヶ月前、パラ水泳日本代表の江島大佑選手を取材するために、千駄ヶ谷の街を歩いていた。

江島選手を取材して感じたことは、OCEANSで掲載された記事を読んでもらいたい。

僕自身も改めて掲載された文章を読み返してみたのだが、本当にこれは自分が書いたものなのかと錯覚するような、自分の中にあるさまざまな矛盾が、熱量としてあらわれていると感じる。

例えば、執筆者としての「表現へのこだわりと、表現への迷い」。はたまた、スポーツを愛する者としての「アスリートへの敬意と、オリンピックへの懐疑心」。そのほか、江島大佑選手から感じた「アスリートとしての自負と、障がいを持つものとしての葛藤」なども読み取ってもらえるかもしれない。

僕は江島選手に話を聞くにあたり、最初に自分の熱意を伝えることにした。それを決めたのは、OCEANSに掲載された記事の冒頭に書かれている、目の前を歩く江島選手を見た時だった。なぜかはわからないが、僕はこの時、中途半端な気持ちで話を聞くわけにはいかないと思い、あらかじめ用意してあった質問リストをもう一度見直し、短時間で訂正し質問を追加した。取材者としてのスイッチが入った瞬間だったのかもしれない。

「すでに世の中には江島さんの記事はたくさん出回っている。それらの記事は全て読んできた。また同じことを書いてもあまり意味はない。こうして縁があって江島さんのことを書かせてもらえることになったのだから、その意味を持たせたいので、江島さんの心を可能な限りさらけ出してほしい。僕も精一杯の記事を書く」

確か、江島選手には、このような主旨のことを伝えたと思う。僕の場合、大抵、このような取材ができたときは、原稿もそれなりの出来になることが多い。

取材が進み、たしか終盤に差し掛かった頃だったと思う。江島選手は自分の心の奥底にある異物を吐き出すかのように、こんなことを言った。

「障がい者で心から良かったと思えたことはまだ一度もない。障がい者である自分に対して、実は、まだどこかで偏見を持っている」

OCEANSの原稿では、「偏見を払拭した」と書いているが、江島さんがその発言をしてしばらく経ってから、「まだ自分自身に偏見を持っている」と言ったのだ。僕はその時の江島選手の表情を忘れられない。

人は、いくつかの社会に属し、それぞれの社会で違った評価を受けて生きている。評価される場所もあれば、全く評価されない場所もある。

自分が評価されない社会では、自分の居場所が無いように感じ、逃げ出したくもなるものだ。だが、江島さんは、いくら周りから評価されない時でも、「ダメな自分」を許容し続けながら、自分だけのオリジナルを探し、結果的に自分が輝く場所を見つけた。そんな江島さんですら、今でもまだ自分に偏見を持っているとしたら……。

もしかしたら、江島さんがもっている自分自身への偏見は、今の日本社会が作り出しているものなのではないか。

江島さんが心の底から、「障がい者でよかった」と思えた時、日本はこれまでとは違った成熟した社会になっているのかもしれない。そんなきっかけになる東京オリンピック・パラリンピックであってほしい。そう願うばかりである。

瀬川泰祐の記事を気にかけていただき、どうもありがとうございます。いただいたサポートは、今後の取材や執筆に活用させていただき、さらによい記事を生み出していけたらと思います。