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市川崑監督が描いた1964年の東京オリンピックの公式記録映画『東京オリンピック』。

その未収録映像とともに、当時を振り返りながら、2020年の東京オリンピック・パラリンピックをどのように迎えるべきかを考察する「1964TOKYO 知られざるオリンピック」がEテレで再放送された。

以前放送された時は、見逃してしまったことに後日気づき、それ以来、ずっと再放送を待っていた映像作品だ。

この映像をみると、当たり前だが、1964と2020では、社会環境も国民の生活も意識も、なにもかもが異なっていることを改めて感じさせられる。

1964年当時の日本は、国家予算の3分の1を使い、新幹線や首都高などの社会インフラを整備した。国際社会への復帰や、平和主義、戦後復興へのアピールといった国としての大きな課題をオリンピックに託した時代であり、明るい未来を築こうとする空気が社会全体を支配していたように感じる。

「復興」「再生」「新時代」そんな前向きなキーワードに象徴されるような東京オリンピック1964。

その象徴的なシーンがあった。東京の街を走るフルマラソンの映像。甲州街道沿いには約120万人もの観衆が集まった。まるで東南アジアの発展途上国のように、古い建物の中や上に沢山の人が集まってランナーたちに声援を送っている。素朴で貧しさを少し感じさせながらも人々の顔つきは明るい。このシーンは、その後にもたらされる高度経済成長を予感させるに足るものだった。

その後、日本は豊かな社会を作り出した一方で、格差に苦しむ人をも生み出してしまった。そのような人たちがスポーツに希望を見出すことができるのか。多様化した価値観の中で、スポーツやオリンピックの価値だけを主張することができない時代。東京オリンピック・パラリンピック2020に大きな予算を使うくらいなら、震災の復興支援や、社会保障費に充てるべきだといった声があがるのは当然だろう。未だに東京オリンピックが国民全体の関心ごとになっているとは言えない。

オリンピックに明るい未来を託すにはあまりに豊かであまりに多様性のある時代になっているのだ。

でも、泣いても笑っても、オリンピックはもう1年後にやってくる。

東日本大震災という未曾有の出来事を経験し、その後も全国各地は自然災害に見舞われた。そして世界でも例を見ない超高齢化社会に突入する日本。だからこそ、このオリンピックをどのように活用するかが問われているのではないか。多様性のある社会だからこその、オリンピックへの関わり方があるのではないか。 僕たちは、東京オリンピック・パラリンピック2020に向けて、どんなモチベーションを持ち、どのように関わっていけばいいのか。どんな未来を描いていきたいのか。

1964年のころのように、政治に求心力はなく、メディアによる統制も取れない時代だ。国民の意識を揃えてオリンピックに向かわせるのは難しいだろう。そんな時代のオリンピック・パラリンピックで開閉会式を演出する総合統括に任命された野村萬斎さんは「生きている」ことを感じられるようなオリンピックにしたいとコメントしていた。

また、2019年7月に世田谷パブリックシアターで行われた「MANSAI 解体新書 その参拾特別版」のトークショウの中で、野村萬斎さんは日本の文化を「すだれ文化」と表現し、さまざまな文化が時代を超えて継承されてきたその特異性に触れていた。


時代の中で生きる人間、そして時代を超えて継承されてきた日本の文化。これらがオリンピックでどう表現されるのか。生きにくい世の中だと考える人が増える中で、国民は東京オリンピック・パラリンピック・パラリンピック2020とどう向き合うのか。

東京オリンピックを無関心な出来事で終わらせるのはもったいない。

東京オリンピック・パラリンピック2020には、必ず価値はある。その価値を後々、意味のあるものだったと振り返ることができるかどうかは、我々国民の関わり方次第で大きく変わるのではないか。

願わくは、何十年か後に、若い世代が東京オリンピック・パラリンピック2020を振り返った時に、明るい社会が作られるきっかけになったと言えるような大会にしたいものだ。

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