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僕は、普段から週2回ほど、5〜6kmのランニングをし、気が向いた週末には地元のシニアサッカーチームの活動に参加している。

仕事と家庭と余暇のバランスの中で、スポーツはいつも後回しになってしまうのだが、スポーツをしている時が、もっとも裕福な時間だと感じる。

出鼻を挫かれた野球との出会い

僕が、はじめてスポーツの世界に足を踏み入れたのは小学2年生の時だった。はじめはサッカーではなく、地元の野球少年団に入団したのだが、この時の記憶は、結果的に30数年経った今も、僕の記憶にこびりついて離れないでいる。

母親の後ろにくっついて地元の小学校を訪れると、母親が練習をしているコーチに入団の意思を伝えてくれた。そのコーチは、少し待つように言い残し、責任者である監督を呼びにいった。何分か待っていると、僕らの方にサングラスをかけた小柄な男がゆっくりと歩いてくる。強面で厳しい表情の大人に僕は圧倒された。

監督は野球に関していくつかの質問をしたのち、僕にある要求をした。

「投げる動作をしてみろ。」

いきなり言われて面食らった僕は、とにかく言われるがままに、投球動作を行った。その直後に監督の口から出た言葉は、こうだった。

「テレビの見過ぎだな」

当時は、まだプロ野球がゴールデンタイムに放送されていた時代。ブラウン管のテレビで見る華やかな世界に憧れ、真似をして野球を始める人は多かったように思う。期待を胸に小学校のグラウンドにいった僕は、子供ながらに、一瞬でそこは楽しい世界ではないと悟った。いまでもあの時の記憶が蘇ることがあるのだが、吐き捨てるかのように言われたあの言葉は、今でも脳裏に焼き付いている。小学2年生の時の記憶だ。

野球が嫌いになったのか

その後、小学5年生までは、ほとんど試合に出ることもなく、ベンチで応援をし、たくさん球拾いをした。たくさん大人に怒鳴られ、時には、体罰まがいの暴力も受けた。

今も覚えているのは、監督にボールを投げつけられたことだ。そのチームは、練習メニューの合間になると、半円になって監督を囲んで話を聞くのだが、その話が長かったのか、おそらく僕はうわの空で話を聞いていた。すると次の瞬間、僕の右目の周辺に強烈な衝撃と痛みが走った。ボールが転がる音を聞いて、監督が僕にボールを投げつけたのだと悟り、同時にあまりの痛さにその場で目を抑えてうずくまった。その後、涙目になりながら、その後の監督の話を聞いた気がするが、監督が何を話していたかのかは、全く覚えていない。左目に比べて右の視力が悪いのは、まさかそのせいではないだろうが、今の時代なら、即アウトな行為だろう。

こうして僕は、小学生の頃から、野球の楽しさよりも、その数倍も野球の辛さを味わった。

だから、雨で少年野球が中止になると、僕はそれを心の底から喜んだ。

だが、不思議なことに、普段は、近所の友達と野球をして遊んでいたし、高校野球に熱狂した。僕はずっと大人になるまで、理不尽な大人たちのせいで、野球が嫌いになったと思い込んでいた。だが、実は、僕は野球が嫌いになったわけではなく、所属したスポーツ環境が嫌いだっただけだったのだ。それに気づいたのは残念なことに、大人になってからだった。

サッカーも同じだった

その後、僕も結婚して子供が生まれる。休日には子供とボールを蹴りながら息子との休日を楽しんだ。地元のJリーグチームの試合を一緒に観戦に行くなどして、サッカーに夢と希望を持ちはじめた小学4年生の時に、息子はサッカー少年団に入団することを決意する。初めて少年団の練習に参加することになり、一緒にグラウンドに出かけたのだが、その時の息子の表情は、今でも忘れることができない。

「俺のいうことが聞けねぇのか!」

「お前らバカか!」

険しい表情をしたコーチが、サッカーの練習をする同級生たちに吐く暴言の数々に、息子の顔から完全に笑顔が消えていたのだ。僕は自分が幼い頃に体験したことを、息子にも経験させてしまったことを心から後悔した。

その後、僕もお父さんコーチとして指導を手伝いながら、サッカー少年団のコーチたちの行動を観察した。大人たちは自分の思い通りにプレーをしない子供たちに感情を乱し、暴言を吐き、暴力を振るう。そんなシーンを何度も見た。変わるべきは大人だと感じ、そんなコーチたちとは口論もした。まだ6年前のことだ。

子供のためのスポーツ環境はあるのか

冒頭でも書いたように、僕はオジサンになった今もスポーツを楽しんでいる。なぜ大人はスポーツを楽しめるのに、子供はスポーツを楽しめないのか。

当たり前のことだが、子供のスポーツ環境には、必ず大人が存在する。親や指導者だ。そして多くの親は、子供のスポーツに過剰なほど熱心になり、多くの指導者は勝利を求め続ける。子供たちのミスを責め、怒鳴り散らし、恐怖で服従させる。それでも思い通りにならなければ、試合に出さなかったり、試合後に延々と走らせるなどの罰を与える。

これが子供のためのスポーツ環境なのか。

最近では、日本でもスポーツは「楽しむもの」という考えが少しづつ普及している。「プレイヤーズ・ファースト」といった言葉も聞かれるようになった。それでも、大人の行き過ぎた指導は根強く残っている。

2019年から2020年にかけては、東京オリンピック・パラリンピックに向けて、さまざまなスポーツコンテンツがメディアを席巻するだろう。トップアスリートの活躍に夢をもち、真似をし、本格的にスポーツをやってみたいと思う子供もたくさん出てくるはずだ。

せっかくスポーツに対して夢を持った子供をがっかりさせるようなことがあってはならない。子供の夢を壊す権利は大人にはないし、子供にも大人と同じようにスポーツを楽しむ権利があるのだから。

それを肝に銘じ、少しでも意識を持った大人たちが力を合わせて、スポーツの素晴らしさを大衆に広めていきたいものだ。

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