妄言、子供達と大人

子供というのは、代え難く純真無垢なるものである。望む望まぬに関わらず、生まれ、食事をし、そして眠る。彼らは日々を遊びと捉え、人を疑う事を知らず、心から世界を愛する。その瞳は輝きに充ち満ちており、どこまでも透き通る透明の色を映す。その心は感じた事柄を、感じたままに顕すよく磨かれた鏡の如くに。何者よりも正当なる存在、黄金や金剛など足元にも及ばぬ、得も言われぬ美しさを携えた存在。然して、子供らは不幸な存在でもある。いつか大人になってしまうのだ。鈍い感性、凝り固まった観念、いつか、世界を愛せなくなるかもしれない。これは子供が、子供であるがゆえに避けられぬ。子供らに与えられた時間は初めから決まっていて、それも雀の涙ほどのものである。故に子供であるうちは誰からも貴き扱いをうけて然るべきなのであり、それをまっとうできる環境に身を置かれるべきなのである。そう、すべての大人達は彼らのために行動し、その身を犠牲にする奴隷となるべきなのである。

しかして、大人というのも人間だ。奴隷のごとき扱いを受ければ反逆と革命を試みるのが常である。いつか、子供達のためにすべてをささげ、自分自身がぼろ雑巾の如くになるのが嫌だと宣い始めるだろう。そんな大人達の数が増えていって、完全に世論がひっくり返ればどうなるだろうか。答えは一つ、戦争だ。私は確信している、大人達と子供達の最初で最後の大戦争がいずれやってくるのだと。そしてその勝利者は力でも、数でも圧倒する大人たちの陣営であるのは明白でもある。実に悲しい未来である、純真無垢なるものが淘汰されて、蹂躙されて、最後にはきっと殺されてしまうのだ。数百機のミサイルが空を飛び、子供達を町ごと丸焼きにする情景がありありと目に浮かぶ。あるいは毒ガスかもしれない、子供達は神経毒による全身の痛みに苦しみながら、じっくりと死んでゆくのだ。嗚呼、じつに野蛮だ、人間とは天来野蛮な生き物なのかもしれないが、それにしたって酷過ぎるエピローグだろう。これは冗談や嘘じゃない、大人達が残酷なのは周知の事実であり、子供達が、子供達である限りにおいては避けられない残酷な運命なのだ。

10年後か、来年か、近い未来にいつか訪れる子供達の終末戦争。何の対策もせずに迎えれば地獄のシナリオだ。だから、子供達は今すぐに学ばなければならない、自衛のための多くの知識を。身につけなければならない、大人に抗うそのすべを。当然のことながら、それを教えるのは我々大人の義務だ、責任だ、この世に彼らを産み落としてしまったせめてもの贖罪だ。子供達とはすべからく不幸なる存在。恐ろしいこの社会と戦う運命を背負わされた哀しき者たちの総称だ。せめて、我々がこれ以上の苦しみを与えてなるものか。子供達はつま先からつむじの真ん中まで、純粋で裕福で幸福であるべきなのだ。大人達は信用できないが、せめて、誰も異論を持つものがないことは信じたい。せめて生まれてきてよかったと、心からこの世界を楽しんでほしい。言ってしまえば私達だって不幸だといえる、だが、だからこそ、人生の先輩として後輩たちを全力で歓迎しようじゃないか。

願わくば遍く全ての子供達に幸せがもたらされん事を。

全ての大人達よ、これらの極上の笑顔の花を、決して散らしてくれるな。

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