第67話 仕事は一人で抱え過ぎず、言いにくいことでも言った方がいい【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
午年になる前の年末、今帰仁の村役場から連絡が入ったらしい。ムーミンさんが言うには、
「今度午年になるから、村報の表紙は午にちなんで夢有民牧場の馬たちの写真にしたいって言われたよ。」
とのこと。馬だけでなく、乗馬しているところを撮影したいそうなので、なんとぼくら奴隷スタッフも一緒に写ることになったのだ。
というわけで、午年の新年1月号、今帰仁村の村の広報誌の表紙は、夢有民牧場の馬とスタッフの写真で飾られたのであった。
沖縄の人-ウチナンチュからしたら、ムーミンさんは横須賀出身のヤマトンチュである。そのムーミンさんたちがド田舎の保守的であろう、村の広報誌の表紙を飾ったのだ。
「ムーミンさんは沖縄の人に受け入れられてるんだな。」
ぼくはそう思ってうれしかった。
まだまだムーミンさんをあやしいおじさんとして受け入れがたい人も今帰仁にはいるだろうが、何十年も沖縄で過ごしてきたこと自体がムーミンさんが沖縄に根付いている証拠だ。
それに、馬で村道を走っているのだから、おおむね村とも良好な関係なのだろう。
時々そのあたりの苦労話も教えてくれた。
「はじめはびっくりされてね。馬が道を走ってるって。うんこもするから迷惑だって。でもね、馬は軽車両扱いなんだよ。」
文句も言われながらも、うんこ隊にうんこを掃除させるなど、策をちゃんとうってきたのだ。トレッキングをしていると顔見知りもけっこういるみたいで、それなりに付き合いもしてきているようだ。
それにムーミンさんはかなり博識であり、多量の文献を読む人なので結構法律にも詳しい。
食べていくために、問題が起きるたびに相当勉強してきたのだと思う。
とは言ってもおそらく変なおじさんとして見られていることに変わりはないだろう。
さて、年が明け、スタッフはとおるとぼくだけになっていた。
とおるはぼくの5つくらい年下だった。もう二人ともベテランだから新しく覚えることはなかったが、問題は彼の若さだった。
ぼくと一緒でお金をほとんど持っておらず、だいすけにもらいタバコをしていた。
その若さでこうして一人で沖縄に来て、旅をしながら牧場に居座っている。
大阪でキャッチをしていたこともあるといい、決して明るい人生を送ってはいないのかなと感じていた。
ストレートには自己表現はせず、人に対してなんとなくうがった見方をするところもあったと思う。
でもとおるは牧場にあった人民帽を好んでかぶっていて、牧場にあるカンカラ三線をいじったり、ジャンベをいじったり、面白いことが大好きで、くだらないことでみんなでよく盛り上がっていた。
ところがぼくと2人だけになって状況は少し変わった。
まず、2人だけでこの牧場の仕事をまわすというのは正直なところかなりしんどいことだった。
忙しさと疲労と向き合いながら、たんたんと毎日を送らなくてはならない。
とおるは自分をさらけだしたり、自分から場を盛り上げたりするような陽なキャラではなかったから、以前よりだいぶ牧場が静かになった。
さらに、とおるはきっちり仕事をするタイプではない。
しんどさもあってどうしても「めんどくさい」というのが勝ってしまうところもあるようだった。
そうすると自然と仕事の負担はぼくにまわってきた。実際、スタッフの経験は彼の方が長かったが、その頃はもうぼくの方が仕事をまわせるようになっていた。
とおるはぼくから見ると結構年下だったので、そういう彼の性格ももうその時は分かっていたし、彼があまり仕事をしてくれないだろうということも予測もついてはいた。
分かりきってはいたが、やはりだんだんとしんどくなっていった。
それに、彼をまだまだかわいい若者だなという目で多めに見てあげたい気持ちも正直あった。
(ちゃんとやってほしいんだけどなあ。気づいてほしいなあ。まあ、でも気づかないよなあ。おれがしてる姿を見て気づいてもらうしかないかなあ。)
そんな風に思っていた。いや、でもぼくのやり方が本当にいいのかは分からない。
人数が少ないために、より効率よくするために一度に沢山草を刈り、その為に牽引車にたくさん乗せられるように草の積み方をこだわったり、数日先のことまで考えてあらかじめやっておこうと計画的に進めたり、ぼくなりにがんばっていた。
そういうことは年長者であるぼくのほうがよく気づくのは当然だが、そのやり方が彼にも通用するとは限らない。
「そこまでする必要はないよ」、「そんな方法じゃなくていいよ」、「めんどくせえ」などと思われるかもしれない。それに彼の方が長いのだし、彼の方が正しいこともあるだろう。
(ちゃんと言った方がいいかな。でも今2人だけだし、この2人だけの関係でいろいろ言ってもその後いい関係が続くとは思えないよなあ。あんまり言いたくないよなあ。)
文句を言いたいなと思いながらも、いろいろやってあげてしまうというのが現状だった。
そうやっていろいろ考えて働いているうちに、ぼくは体調を崩して1日休ませてもらったことがある。
「一人で抱えすぎなんじゃないか。」
「うん。」
「ちゃんと分担できているのか。とおるにやってほしいことは言わないと。」
「うん。」
ムーミンさんにそう言われて、ぼくは痛いところを突かれたなと思った。
ぼくのことを気づかってくれたことがうれしかった半面、思い切って相手に自分の思いを伝えられないぼくの弱さを突き付けられた気持ちだった。
(やっぱりそうだよな。でも、ムーミンさんの方からとおるに言ってほしいんだけど。)
きっとムーミンさんはぼくのそういうところをもう分かっていたのではないかと思う。分かった上でぼくのために、ぼくの成長を考えて言ってくれたのだと。
さらにムーミンさんはとおるにもいろいろと課題を感じていたに違いない。彼にも自分自身に向き合ってほしいと思っていただろう。
その後、ぼくは以前よりかはいろいろ言うようになった。まだまだ思い全開というようには行かなかったが、だましだまし仕事をしていった感じである。
でも、これはその後のぼくの仕事人生にも役立った経験である。仕事を一人で抱え過ぎてはいけないし、仕事上のことはちゃんと仲間に指摘したりお願いしたりすることが大切なのだ。
それが自分にも相手にも、仕事のクオリティを保つうえでも大切なことなのだった。
やがて、そのとおるも牧場を去る日が来た。ついにぼくは一人になってしまった。
(がーん。一人か。どうしよう。)
と思ったのは嘘である。ぼくは実はこの日を楽しみにしていたのだ。
というのもタクも以前一人でこの牧場のスタッフをしていたことがあったと聞いていて、ぼくもやってみたいと思っていたのだ。
一人でスタッフをするという、ぼくにとっては未知の世界に足を踏み入れてみたかったのが正直なところだった。
それほどまでにぼくはすでにこの牧場での仕事に自信を持ち始めていたし、ムーミンさんから信頼を得ているとも感じていた。
そういった一人になることも想定して、「どうせ一人になる日がくるから」と思って、あまりとおるには言わなかったというのもある。
当時のぼくにとってはとおるがいなくなってさみしいのももちろんあったが、少しほっとしたのも正直なところであった。
とおるが悪いのではない。やはりそれはぼくが未熟だったのである。そしてぼくは結構一人にしておいてほしいタイプなのかもしれない。
(よーし。この牧場を一人で乗り切れたらそれは自信になるぞお!)
ぼくは張り切っていた。
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