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ソ連のスポーツ 余談 モスクワ五輪

 前回、ソ連とオリンピック大会について書きながら、ふと思い出した事があり、どうしても気になるので、特に本章を記しておきたい。

 本題は末尾に。

 1980年のモスクワ五輪は、初めて社会主義国で開催される大会となった。しかし、1979年に始まったソ連のアフガニスタン侵攻に抗議した西側諸国がこれをボイコット。

 このボイコットに関連付けて語られる、ソ連のアニメ作品がある。五輪に合わせてソユズムリトフィリムが製作したアニメ「ババ・ヤガーは反対である」(Баба Яга против!)は、五輪のマスコットに子熊のミーシャが選ばれた事に嫉妬したババ・ヤガーが手下を引き連れ、オリンピック大会を妨害せんと奮闘するドタバタ劇。全3話。

嫉妬に狂うババ・ヤガー。意外とお若い。

三つ首の悪竜・ズメイ・ゴルイニチ。やたら可愛い!

不死身のコシチェイは、本作では専らドジ担当で、同情を禁じ得ない。そして相変わらず可愛いズメイちゃん。背景のランプがちょっとステキ。

 作中でババ・ヤガーたちが祭典を邪魔しようとする様は、西側諸国によるボイコットの揶揄であると理解される事も多い。しかし、本作の製作開始が1979年で、ボイコットが始まったのは1980年に入ってからと、時期が一致しないことから、作品にプロパガンダ的背景を見るのは無理があるかもしれない。

モスクワ五輪の余波
 ソ連を始めとする東側諸国の多くはは対抗措置として、1984年のロサンゼルス五輪をボイコット。同年、ソ連を中心に競技大会「フレンドシップ84」(Дружба-84)が開催され、西側含む各国から選手が参加。競技はソ連など社会主義9か国で行われ、五輪に対抗した。

フレンドシップ84の開会式。奥の「聖火台」にも火が灯されている。

 一方、ボイコットの応酬により、ソ連とアメリカの選手は1976年の五輪以来、夏季競技で殆ど対決していなかった。1986年、アメリカのメディア王テッド・ターナーの提唱と出資により第1回「グッドウィルゲームズ」がモスクワで開催され、ソ米含む79か国が参加した。この頃、既に冷戦は急速に終結に向かっており、ボイコットの応酬も終わりを迎える。

モスクワ五輪

話は戻って、モスクワ五輪。

モスクワ五輪の聖火ランナーのユニフォーム一式。オフィシャルサプライヤーだったミズノ製。

当時のポスター

 子熊のミーシャ

 モスクワ五輪公式マスコット、子熊の「ミーシャ」。イラストレーターのヴィクトル・チージコフのデザインによるこの愛らしい子熊は、五輪マスコット史上屈指の傑作として名高い。
 閉会式の終盤、いよいよオリンピックが終了を迎える間際、会場に巨大なミーシャの風船が現れる。

「さようなら、可愛いミーシャ おとぎの森にお帰り」

 優しい歌が流れる中、客席ではマスゲームによるミーシャの目から、大粒の涙が一粒、落ちる。放たれた風船のミーシャは、夕暮れの空に消えていった。優しくセンチメンタルなミーシャが、忘れられない存在となった瞬間であった。

閉会式の様子。マスゲームの涙は1:59頃。

 さて、ここからが本題である

 本章を書こうと思ったのは、Wikipediaのモスクワ五輪の記事中で、この閉会式に関して次のような記述を目にしたのがきっかけだ。

曰く、「西側諸国がボイコットした事に対しての演出でミーシャが涙を流すというマスゲームが行われた」

 出典が明記されていないため、何がこの記述の根拠となったかは不明である。しかし、筆者はこのような演出意図があった事を聞いた事が無いし、そのような記述に出会った事も無い。動画を見て頂ければ分かるが、演出は明らかに「別れを惜しむ」というテーマに沿っており、それ以外のメッセージを汲み取る事は難しい。

 ソ連について、何から何までプロパガンダとイデオロギー的意図が盛り込まれている、という印象があるのだろうか。

 あの閉会式は、各方面のアーチストやスタッフが苦心の末に完成させた、渾身の作品だったのである。それを政治的なアテツケのように解釈されるのは、少々口惜しいではないか。

 筆者は決してソ連LOVEではないし、むしろその反対であるが、それでも誤解と曲解は看過に耐えない。

 体はデカいけど、本当はセンチメンタル。強いけど、どこか儚げ。ミーシャは紛れもない、ロシアの熊、ロシア生まれの熊だったのだ。

(もしWikipediaの記述を裏付ける資料があれば、ご一報をお願い致します)

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