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選択をする意味はある。と、思いたい。

5月の連休前から。少しだけ心が浮ついていた。
少しだけ出かけられる。三回忌に合わせて兄弟が泊まりに来てくれる。


もっとも長老に『帰れ』、と言われたらNGだが。


早めにお寺にお願いをして。(連休明けには予約をいれた)
サボっていた掃除に庭の手入れ、、、、、。(七月後半の予定だが)

「日程的には難しいからあそこは無理だな~。」


などと思っていたら。

6月末からさらに雨が降る。降る。(>_<)

それで。

三回忌を無事に終えて。
長老をなだめすかして。


ここまできた。


道の駅ばんだい 7月25日23時41分
日付が変わって0時51分

約600㌔を14時間程。もうひたすら一般道。


朝6時30分、秋田市災害ボランティアセンターに。

午前、午後の作業を終えて、、、、、、、、、一時間半ほど考える。


『あれを持ってくれば、、、。』とか、『車で来ればよかった。』とか。

『明日も作業したい。』は無理なので。


着替えて荷物を無理やり押し込んで、秋田を後に。もう夕方。市街地の渋滞にはまりながら、、、、、翌日AM5時に長野の兄弟の家へ。爆睡。


450㌔に12時間近くかかってしまった。(>_<)(当然だが)


あっさり9時半に目が覚める。
長老を兄弟に押し付けて、兄弟の家で朝を迎えるというのも変なものだが。
この2年のしみついた生活リズムは、もうお昼をつくる準備だと私に言っている。(笑)時間があまりないので助かる。
軽くお腹を満たして(コーヒーがしみる)、昼過ぎに長野市街へ。


『折角だからせめて信濃町、仁の蔵のトウモロコシぐらい食べたい。』(国道通りたくないし裏道)で、

えっ
だから国道通りたくないから来たのに

トウモロコシは売っていないようだ。(了)すごすごと国道へ。
(迂回する気力なし)

で、

去年は日中に来れなかったから。

参拝
新調されている。


今年のリンゴは当然まだ青い
撮影は7月27日13時55分出発してからまだ48時間以内

会いたい人に会って。妙笑寺さんへ。

令和元年東日本台風(台風19号)で被災したお寺。
決壊した堤防の直近といえば大抵の方はニュースでみていると。


約4年


大工さんが作業をしていた。
※妙笑寺さんの許可をもらって撮影しています。※

まだまだ時間がかかるんだな、と。
御住職に挨拶をして、お寺の方と少しお話を。
『今来ている大工さんにまだ手をつけていない建物を見てもらったら、やっぱり駄目で。床を開けたらぎっしり泥が詰まっていて。昨日やっと最後の泥出しが終わった所ですよ。』 ということで。   さ、先は長い。




おいとまして正覚寺さんへ。

2019年11月12日。災ボラ初めての場所だった。
撮影の許可をいただいています。

御住職はご不在で。お寺の方が中を案内してくださいました。
もちろん何もかもが元通りというわけではないけれど。

今年のリンゴは無事に収穫できますように。
もう体力ゲージもぎりぎり。
堤防上まで歩く元気はない。
日中の体育館を撮影して。
このあたりの土地を災害対応の拠点にする構想があるそうで。
(会った方から聞いた。)
ただその前に過去の史跡などの発掘調査が必須なので。
(法律で定められています。)
少し遅れているらしい。
そうして守田神社のお社を。
正面の山(雲で見えない)が帰る方向なのだが。
帰りがすごく不安。
まあなるようにしかならない。


私がこの地を知ったのは堤防決壊以後だから。
昔のお社を当然知らない。
ただ想像するだけ。
でもここから先、また刻み続ける時間は訪れるたびに積み重なっていくと。
国道406号に抜けるのはこちらが最短だが。
給油しないと帰れない。
スタンドは決めているので。
今の道路は二度と通れないけど18号へ。
去年とは違う気持ちでこの看板を見る。
それでもまたここに来たいと思う。
まだ会いたい人が沢山いるし。
ただ、それが何年後かはわからない。
撮影時刻は16時54分
結局ここ、柳原総合市民センターに寄ってしまう。
(北部災害ボランティアセンターだった)
秋田市に行って、当時に考え及ばなかったことが多々あると痛感する。

Mobil東和田SS(長野県長野市東和田804−1)で給油。

五月には国道406号を起点から終点まで通しで走ってみたい。
なんて考えていたのだが。(正確には逆)
時刻は17時18分、あと12時間ほどでタイムリミット。
すごすごと家路に。
今や鬼無里村も戸隠も「長野市」なんだよなぁ。
鬼無里の加茂神社(長野県長野市鬼無里東京二条)に行こうと思っていた。
noteには『東京に行きたい』なんてタイトルで。
2021年8月27日撮影
2年前、家族を見送って、急ぎ事後手続きを一人でしてひと段落。
長老をほったらかしてここにきた。
撮影しようとして着信に気が付いて。
長老は、『役所から書類が足りないと電話が来た。』の一点張りで埒が明かない。
慌てて家路についたのだが。
改めて画像を見たら加茂神社入口って。
参拝しておけばよかったって。
(仁の蔵のトウモロコシ、食べておけばよかったかな。)
縁のないものには多分とことん縁がない。




素直に菅平へ。(本当は折角だからの初ルート長野県道34号経由だが。)

道路改良工事の為長期の通行規制をしていて、運のいいことに先行車両、追従車両なし、対向車両数台というほぼ貸切状態。しかも涼しい。夕刻の渋滞から解放されてのんびりと。

8時30分~17時30分まで全面通行止め
17時30分~翌8時30分まで片側交互通行
期間令和5年5月8日~令和5年11月30日
撮影時刻は18時55分
涼しい
天国だ菅平サイコー
直進
右折
休憩(笑)
実は既に肌寒い。冬物のジャケットをだして。
(この時期深夜になれば気温は14度ぐらいに。)

できるだけのんびり帰りたいので(疲労の為)極力国道回避で嬬恋村。

ああ看板しか写らない
おお。やっと橋が、、、、。

でもこの先の嬬恋橋は、、、、去年橋の下の斜面の崩落があって片側交互通行。『ゆっくり通行してください』の看板が怖い。

(でも崩落当時、通行止の迂回路は14キロだから。)

で、嬬恋村を抜け、中之条町を抜け~~~~~~~~~~~~~~~~。
7月28日AM1時30分帰宅。


57時間足掛け4日。総走行距離1420㌔。私の夏も休日もおしまい。

長老の朝ごはんを兄弟が温情で用意してくれたのは、助かった。






8月18日秋田市社会福祉協議会から災害ボランティア再登録(事前登録)のお願いメールが一斉送信(多分)された。もう私は駆けつけられない。このままだ(>_<)。




帰ってきてもうすぐひと月。なかなか書き上げられない。
選択すべきは、五城目町だったか。秋田竿灯まつり、せめて。
そんなうちに台風6号が猛威を振るい、7号が列島を通り抜け。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
お天道様、加減してくれないかな⁈。



2年ぶりの休み?、???。
それでもお寺でお茶をして、いろいろお話して。
2年越しの目的も達した。
そしてお寺で団扇をもらった。(笑)
これが一番嬉しい。
そういえば初めての作業後に正覚寺さんでもらったタオル。
未だに未開封でしまってある。
(多分宗派の支援で送ってもらったもの。正覚寺さんのタオルではないのだが。)
団扇も一緒に梱包して。死ぬまで使わない。
断捨離って言葉、キライ。他人にはわからない。一生の宝だ。(笑)







全社協のリンクを。もし読んでくださって、関心を持ってくださったら。
600キロ。やっぱり秋田は遠い。(それ以上に他の地はもっと。)



もっとも私はたくさんの人に見てもらおうとはしていないのだが。せめて。








そして台風一過、自宅の庭は雑草の繁殖地となった。(泣)
一度全部抜いたのに。


庭の端から掘り起こして。後は買ってきた土で敷き詰めればおしまい。
(でもやっと2割ほど。終わりはいつ?)
よく分かったのは地下茎で伸びる草は上だけを刈ってはいけない。
すさまじい勢いで伸びていく。
縦横無尽か、ひたすら深いか。
それでもこの時期の床下の泥出しや清掃に比べればと、吾身に気合を。

















いつか竿灯まつりをこの目でみたいものだ。