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『社会がそのコストを支援するべき、生物学的な現象のLGBT』とは一体誰のことでしょうか?

『社会がそのコストを支援するべき、生物学的な現象のLGBT』とは一体誰のことでしょうか? 2022.3.11付けの日経ビジネスの記事、長谷川眞理子さん(総合研究大学院大学学長)の「LGBTは生物学的な現象。かかるコストに社会が支援を」を読みました。長谷川眞理子さんは、『人はなぜレイプするのか - 進化生物学が解き明かす』(ランディ・ソーンヒル/クレイグ・T.パーマー)のあとがきで解説文を書いた進化生物学者の方です。
 で、読んでみたのですが…。(長谷川さんの記事全文は最後に掲載しています)

どこにもLGBTの説明が書かれていない

  「LGBTは生物学的な現象。かかるコストに社会が支援を」と題されていますが、社会が費用を負担して支援するべきLGBTとは一体誰のことか最後までよくわかりませんでした。LGBとTは違うし、Tにもいろんな人が含まれるのに、記事のどこにもその説明が書かれていないからです。

 LGBとTは違います。LGBT のうち、LGB(ゲイ・レズビアン・バイセクシュアル)は、どういう性別の人を好きになるかという『性的指向』の点でマイノリティ(数が少ない、少数派ということ)です。T(トランスジェンダー)は自分の性別をどう認識するかという『性自認』の点でマイノリティです。どちらにも「性」の字が入るので、「性的マイノリティ」とひとくくりにされるのだと思いますが、『性的指向』と『性自認』は違うのですから、それらを一緒くたにして「生物学的な現象」とか「社会的なコスト負担」とか論じるのは当事者無視ではないでしょうか。 

LGBの『性的指向』の『性』はジェンダー(社会的性別)ではなくセックス(生物学的性別)

  『性的指向』とは「どういう性別の人を好きになるか」ということです。この場合の「性別」は、「身体の性別」とか「生物学的性別」、つまり英語で言うところのsexです。もう一つジェンダー(gender)という言葉があります。日本語だと、セックス(sex)もジェンダー(gender)も同じ「性」「性別」という言葉に訳されてしまうけれど、この2つは違います。ジェンダーは、性別役割的なこと、服装や振る舞い、男らしさ・女らしさなどがそれにあたります。社会的性別とも言われ、これは社会的に作られたものと理解されています。同性愛者の人は、同じ生物学的性別の人を好きになるというところがポイントで、同じジェンダーの人を好きになるのではないのです。ゲイの男性が自分の好みの同性だと思った人(例えば筋肉モリモリの人とか)にアプローチしても、その人が男性ホルモンを摂取した生物学的女性でペニスがなかったら、「ごめん。性愛対象として無理です」ということになります。好みだったのは、男性というジェンダー(筋肉モリモリ)だから、生物学的性別も男性だと類推したためであって、生物学的性別が男性じゃなかったら前提からして「対象じゃなかった」ということです。これはレズビアンの女性にとっても同様です。レスビアンの女性が、女性のジェンダーの人にアプローチされても、その人にペニスがあったら「ごめん。性愛対象として無理です」ということになります。かつて同性愛は病気とみなされ、同性愛者は無理やり異性と性交して「矯正」「治療」するよう強いられることがありました。今ではそういったことは間違いだったとわかっています。 

トランスジェンダー全部が性同一性障がい(GID)なのではない

  では、T(トランスジェンダー)とはどういう人たちなのでしょう。イギリスではトランスジェンダーが60万人いるそうですが、「性別移行手術」という外科的手術を受けた人は過去40年間で4000人、つまり残りの59万6000人、99%以上の人は手術を受けていないのです(*1)。性同一性障がい(GID)という症状が発現するのは人口数万人に1人と言われているので、総人口が6700万人(2020年)のイギリスで4000人という数字は、ほぼGIDの人の数であろうと思われます。多くの人は、トランスジェンダーと聞くと、幼少期から身体違和を持つGIDの人のことだと思っていますが、実はそれはトランスジェンダー(*2)人口のうちのごく少数の人なのです。ほとんどのトランスジェンダーは、外科的手術を受けたいけど受けられないのではなく、身体違和を感じていないので受けるつもりもないという人たちらしい(*3)のです。

前出のセックスとジェンダーで説明すると、

・身体違和のあるトランスジェンダー=GID、自分のセックス(生物学的性別)に違和感があるT
・身体違和のないトランスジェンダー=自分のジェンダー(社会的性別)に違和感があるT

となります。

*1 http://dea.wp.xdomain.jp/what_is_transgender-359/ 

*2 国連による「T」(トランスジェンダー)の定義(https://www.unfe.org/definitions/)では、「トランスセクシュアル、異性装者、第三の性として識別される人を含む」「手術を求めたりホルモンを摂取する人もいるが、そうでない人もいる」などとなっています。トランスセクシュアルというのは、生物学的性別(セックス)に違和感のある人、症状の名前で言うとGIDの人のことです。身体に違和感のない人も含むトランスジェンダーという言葉は、様々なものをその傘の下に擁する包括的用語(アンブレラ・ターム)なのです。国際的には、身体に違和感のない、服装や化粧など異性の格好をするだけの人もトランスジェンダーです。 

*3 しかし、現実に手術をした人はすべてGIDであるかというと、そうでもありません。GIDではない人で手術をした人やしたい人は全体的に増加しているようです。なぜ、GIDではない、幼少期からの身体違和がない人が手術したいと思うのかについては、様々な理由があります。昔から一定数いてよく知られているのは、女性的なタイプの男性同性愛の人たちです。女性的なタイプの男性同性愛者は、トランスセクシュアルの一つの典型です。タイのレディボーイのような、性自認(身体の性別に対する認識)は男性であり、男性が性的対象という人たちです。GIDではありません。このような男性が外科的手術を受けて女性のような身体に変えることは、異性愛者の男性の恋愛対象になることも可能になるので、本人の性的指向(男性が好き)にもかなっていると言えます。このタイプの人たちはそれほど増加していないようなのですが、近年非常に増加している別の人たちがいます。

 それは、思春期になって突然自分はトランスジェンダーだと認識し始めるROGD(急性性別違和)と、オートガイネフィリアの人たちです。

 ROGDの多くは女の子で、生きづらさの原因が、自分が女性であるせいであると思っているのですが、幼少期からの身体違和はありません。ただ、自閉症スペクトラムであったり、レズビアンだったり、性暴力を恐れていたり、女性差別のため女性のジェンダーに嫌悪感を抱いていたりします。そして手術をした後に、実際は男性になりたかったわけではなかったと気付いたり、「男性」になっても問題は解決しないとわかったりして、手術したことを後悔し元の性別に戻る人もいます。

 もう一つの、オートガイネフィリアは、男性が、自分を女性だと想像することによって性的興奮を感じる性的フェティシズムで、性的倒錯の一種です。オートガイネフィリアの男性が、女性である自分を想像して性的興奮を感じ始める年齢は、幼少期からであるという報告もあります(https://faculty.wcas.northwestern.edu/JMichael-Bailey/TMWWBQ.pdf)。しかし、身体違和はないので、GIDではありません(GIDの人は女性装をしても性的に興奮しません)。実際に「自分は女性である」とはっきり主張し始めるのは、だいたい人生の後半に差し掛かってからです。結婚して妻子のある人が多く見られます。ほとんどの人は外科的手術までは望まないのですが、中には、女性ホルモンによる乳房だけでなく、性器まで女性のようにしたい人たちもいます。オートガイネフィリアはしかるべき手続きを経て社会的な性を女性に変えても、男性的な性格と欲望はそのままです。自分が女性であるという主張する以前から異性愛の経験を積んでおり、その後も恋愛や性的対象は女性ですが、女性である自分が他の人に賞賛されるという性的妄想が十分に強いオートガイネフィリアは、自分はバイセクシュアルであると感じる傾向があるようです。

 人生の半ばになってトランスする人が多いというオートガイネフィリアが、GIDではないにもかかわらず、医師が外科的手術を認めたり戸籍の性別欄の変更ができたりするのは、どうしてなのかと疑問に思う人がいるかもしれません。現在の診断基準では、幼少期からの身体違和のない人もGIDの診断を得ることが可能であること、また、1日、あるいは一時間足らずの診察でGIDの診断書がもらえるクリニックがあり、多くの希望者が受診しに行っていることなどがあるようです(GID、gender identity disorder性同一性障がいという名称も、もはや正式のものとは言えなくなっています。2013 年、米国精神医学会発行の診断マニュアルDSM-5では「性別違和 Gender Dysphoria」 に変更され、さらに 2019年、世界保健機構WHOが作成する国際疾病分類ICD-11では 「性別不合 (日本語訳はまだ正式ではない) Gender Incongruence」 に変更されました。当記事内では、幼少期からの身体違和がある症状を指してGID、性同一性障がいと呼んでいます)。

 このように、オートガイネフィリアやROGDが増加したということもあり、「手術した(あるいは手術したい)人だから、その人はGIDだ」と考えることは、今日では必ずしも正しいとは言えなくなっています。GIDかどうかは、幼少期からの身体違和があるかどうかですが、身体の症状のように医学的検査で調べて判定するようなことはありません。

 ですから、現在の性別の変更に関する法律(特例法)は、本来その対象であったGIDの人以外の人にも利用されているということで、GID当事者からも批判の声が出てきています。 

「社会が支援するべきLGBT」のコストとは 

 実際の統計によれば、「性的マイノリティの生活上の不便等」に答える項目で「困難経験あり」と回答した当事者は約3割ほどであり、その内容も「誰にも相談できない」「親など周囲に理解してもらえない」「好きな服が着られない」など、相談窓口で対応するのが適切なものばかり、ほとんどの「困りごと」は個別に対応できる(*3)のだそうです。なるほど。じゃあ、それを実施したらいいですよね。

 また、同性婚については、メディアではその実現を希望している当事者が目立っているようですが、そうではない当事者も結構いるらしいので、当事者の中で意見がまとまればいいなと思います。

 では、GIDについては? GIDの人は外科的手術をして社会的性別(ジェンダー)を移行したい人であり、既にGIDの救済策として、現在の法律では、一定の条件を満たした上で外科的手術を受け、身体を別の性別に近いものに変えたら戸籍の性別欄も変えることができるようになっています。そうして社会的に性別を変えた後は、移行先の性別で普通に暮らしているようで、インタビュー記事など読むと、女性に移行した人では、何か不満があるとすれば「女性差別の方が問題だ」と話していたりします。もちろんまだ十分でない点は克服されなければいけないと思いますが、基本的には社会が対応しているように思います。

 「かかるコストに社会が支援するべきLGBT」のコストってなんでしょうね。他にもっとあるのかな。

*3. https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSe5bWtwrak7Q2fFEZ6TsN4aBbVbbIJzTNxA8dsjGXW9LS4GhQ/viewform?fbclid=IwAR3nQDCDXvskULTux-FicuSAX0MXSAMlqGhzZddPKaDBg38sCefvFA81Q9M 

「私の友達の一人もLGBTだ」という言い方は、ちょっと奇妙なんですが?

 記事より

1 「犬の散歩を通じて知り合った私の友達の一人もLGBTだ」
 

 特定の、知っている個人のことを「LGBTだ」と言うのは、なんだか妙です。これではまるで「私の友達の一人は東アジア人なんですよ」と言っているようなものだからです。「東アジアってどこのことなの?中国?韓国?台湾?モンゴル?」と聞き返したくなります。まさか友達と呼ぶほど親しい人がLGBTのうちのどれに該当する人なのか知らないわけではないでしょうに、どうして「この人は東アジア人なんですよ」みたいなことを言うのでしょう? 生物学の人は、言葉の定義を明確にするものだ(*4)と思っていたのですが。

*4 https://nosumi.exblog.jp/3370341/

 …「セックス」と「ジェンダー」の使い方に、生物学とジェンダー学でずれがあったように感じたのは私個人だけの見解でしょうか?同じ、「人間」という個体をきる切り口によってこんなに差が出てしまうということにびっくりしました。—
 ここが大きな問題で、議論が先に進むことができなかった、というのが私の正直な気持ちである。…あるところでは「<ジェンダー>は差別化する<行為>です」と扱い、別のところでは「身体の性と心の性が不一致であるときに、ジェンダーをセックスに一致させるより、セックスをジェンダーに一致させる方が容易?」という風に使われたら、一体どちらの<定義>で議論をしたらよいのか、ナイーブな生物屋は大混乱に陥るのだ。もし、「ジェンダー(社会的な性)にはセックス(生物学的な性)を含むもの、と定義しましょう」と言われるのであれば、それは「名詞」として扱うのですね、分かりました、ではその上で議論しましょう、ということになるのだが、そこから<ジェンダー>という言葉がどんどん一人歩きをしてしまって、生物屋は付いていけなくなる。「じゃあ、どうぞご自由に、その世界が分かる方でご議論下さい」ということになってしまう。 

●話したいのは、生物学的に身体と心が一致しない、GIDの人たちのこと? 

記事より

2 「実は、生物学的に身体と心が一致しないことは、一定割合ある。男が男、女が女にそれぞれなるためには、いくつかのステップがある」
 

 わざわざ「LGBT」と大雑把なくくりで話が始まったと思ったら、なんだ、話したいのは「生物学的に身体と心が一致しない」人たちのことだったようです。それなら、「LGBT」と書かずに、最初からGIDとかトランスセクシュアル(*2)とか正確に書くべきなのではないでしょうか。

 ふむ。それなら、GIDが生物学的現象であることがこれから説明されるのでしょうね。 

またまた、大雑把に「LGBT」と書かれていてよくわからない 

記事より

3 「例えば、生殖器は卵巣なのか精巣なのか。体つきはどうなのか。また、脳が自らを男と思うか、女と思うか。男と女のどちらに魅力を感じるかといった点がそうだ。これらのすべてにおいて、男の特徴、女の特徴にそれぞれあてはまれば男、女になるが、そうでない場合がLGBT、ということになる」

 GIDが生物学的現象であることがこれから説明されるのかと思ったら、またまた大雑把に「LGBT」と書かれていて、意味がよくわかりません。なので、ちょっとこの文章を仕分けしてみました。 

①「生殖器は卵巣なのか精巣なのか。体つきはどうなのか」
 →「この点において、男の特徴、女の特徴にそれぞれあてはまれば男、女になるが、そうでない場合がLGBTである」
②「脳が自らを男と思うか、女と思うか」
 →「この点において、男の特徴、女の特徴にそれぞれあてはまれば男、女になるが、そうでない場合がLGBTである」
③「男と女のどちらに魅力を感じるか」
→「この点において、男の特徴、女の特徴にそれぞれあてはまれば男、女になるが、そうでない場合がLGBTである」 

 これでよし。ではそれぞれの文について考えましょう。 

DSDはトランスジェンダーと関係がない  

①  について
 「生殖器は卵巣なのか精巣なのか。体つきはどうなのか」は、身体の性、セックスのことですよね。けれどもこれはLGBTの誰とも関係がありません。「トランスジェンダーの中には、インターセックスの人もいる、記事が言っているのはその人たちのことではないか」と思う人もいるかもしれません。しかし結論から言うと、いわゆるインターセックスとか性未分化症と呼ばれるDSDの人たちは、トランスジェンダーと全く関係がないのです。

 「トランスジェンダーはほとんど常に典型的なXX またはXY 核型を持っていてDSDではない」ということがわかっています。「97.55%がXX またはXY の典型的な核型を持ち、出生時の性別と一致していた」という研究結果があるのです。DSDがトランスジェンダーと関係があるというのなら、もっとずっと割合が多くなくてはおかしいですよね。逆にDSDの人の中にトランスジェンダーはどのくらいいるのでしょうか。DSDでない人の中にLGBTもいるのと同じ程度にしかそういう人はいない、とDSD当事者団体は言っています。つまり、DSDだからといってLGBTが出現する割合が明らかに多いというわけではないのです。染色体異常などのDSDの症例を使ってトランスジェンダーを説明することは無知であるかまたは不正であると思います。 

DSDは性自認で困っている人ではない 

 当事者団体は「DSDは、あくまで胎児期からの身体の発達状態を表すもので、ジェンダーなどの社会的自己認知といった精神的な現象を指すものではない」と言い、「DSDの人たちは、自分が男性もしくは女性であることに、ほとんど全く疑いを持ったこともない人たちだ」と述べています。「身体の性はグラデーションだ」と教えることは、DSDの子どもたちの自殺につながる、人権侵害であるからやめてほしい、と声明(*5)まで出しています。

 DSD当事者団体の説明によると、DSDは、染色体や性腺・内性器・ 外性器・性ホルモン、そしてそれを受けるレセプター(受容体)など、性に関わる身体の、 胎児期の様々複雑な発達プロセスのうち、個人それぞれにあくまで一部だけが、他の人とは少し違った経路をたどった状態のことだそうです。外性器の形状から間違った性別判定をしていた昔とは違い、現在では分子生物学の発達により、DSDの子どもの性別は正しく判定できるようになっているとのことです(ただし、そういった医療にアクセスするのが難しい国や地域はあるでしょう)。

 人間の性別(生物学的性別)は男性・女性の2つであり、生涯変化することはありません。ほとんどのDSDの人は、自分が男性である、女性であるという身体の性別の認識に疑いを持っていないそうです。つまり、脳は、ちゃんと自分の身体の性別を認識しているということです。ただ、性別に関する身体の発達において、定型的な道筋とは少し違ったルートで目的地を目指しただけです。だから、「男でも女でもない」とか「中間の」状態ではありません。女性でも様々な身体の人がいる、男性でも様々な身体の人がいるということです。

*5 https://shoutout.wix.com/so/99NaocLvb?s=09#/main 

「人間の性別は男女の2つだ」とは、どういうことか  

 人間の性は二元性(男・女の2つしかない)ではないと言う人たちがいます。DSD当事者団体が人権侵害だと抗議しているにもかかわらず、その人たちは、身体の性別はグラデーションであって、男性と女性の間に様々な身体があるのだと主張しているようです。しかし、人間の性が二元性であるというのは、卵子という配偶子と精子という配偶子で生殖が行われるという意味です。女性は卵子を産生する人、男性は精子を産生する人です。人生のある時期にそれらを産生しないからといって、女性じゃない(男性じゃない)ということにはならないし、様々な不妊の問題があって配偶子を産生しない場合も同じです。

 もし、人間の性は二元性ではないと主張するのであれば、例えば、二元性ではなくて男性女性以外に中性もあって三元性だと主張しているのですね、という話にしかならないし、それなら卵子と精子ともう一つの配偶子(中間の配偶子)の3つが合体して生殖が行われるのだという主張でなければなりません。性別が二元性であるとかないとかいうのは、こういう生殖(sex)、性別(sex)の話です。人間の性別が二元性なのは、人間の生殖が有性生殖だからです。その人の個性やライフスタイルとは何の関係もありません。 

「男らしい身体か、女らしい身体か」が、性別(sex)を決めるのではない

  そして、人間の性が二元性であることと、その性別の典型的な身体つきに近い人もいればそうでない人もいることは、矛盾しません。いかにも女性らしい身体的特徴を強く備えている女性とそうでない女性は、同じくらい生物学的女性です。なぜなら、第二次性徴は見てわかりやすいため、たいていの人はその特徴で男性と女性に見分けるのですが、実際にはそれが生物学的性別を定義しているわけではないからです。どういうことかというと、第二次性徴は、何百万年もの自然選択の産物、つまり第一次性徴(陰嚢や陰茎、子宮や卵巣)の原因ではなく結果だからです。腰が狭い女性は大きな頭の子どもを出産するのに苦労しました。そのため、腰が大きい女性は進化的に有利でした。男女では骨盤の形が明らかに異なっています。しかし、それは人の腰、または髭や胸などの二次的な性的特徴が生物学的に性別を定義しているという意味ではありません。これらの特性は、性別固有の選択圧力によって進化してきましたが、生物学的性別を定義することに関しては、まったく無関係です。男性が女性ホルモンを摂取すると女性のように胸が膨らみますが、精巣が卵子を産生するようにはなりません。女性が男性ホルモンを摂取すると髭が生えたり、声が低くなったりしますが、卵巣が精子を産生するようにはなりません。その人たちは、女性ホルモンを摂取して女性のように胸が膨んだ生物学的男性、男性ホルモンを摂取して髭が生え、声が低くなった生物学的女性です。 

①はありえない話
  というわけで、「生殖器は卵巣なのか精巣なのか。体つきはどうなのか」が「男の特徴、女の特徴にそれぞれあてはまれば男、女になるが、そうでない場合がLGBTだ」はありえない話です。さっきも書きましたが、DSDの人も生物学的性別は男性か女性かであり、中間の性はありません。
 そして「生殖器は卵巣なのか精巣なのか」というのも実は正しいとは言えません。生物学者ならご存知のはずだと思いますが、DSDの症状として、精巣がある女性(AIS=アンドロゲン不応症)もいれば、モザイク状の卵精巣を持つ女性や男性(卵精巣性DSD)もいるからです。「生殖器は卵巣なのか精巣なのか」などと言って、AISの女性を「男の特徴である精巣を持つから男性だ」というのは間違いだし、卵精巣性DSDの男性や女性を「卵精巣を持つから男でも女でもなくLGBTだ」とするのも間違いです。DSDの人の生物学的性別は、男性・女性のどちらかです。
 DSDの人の場合でもちゃんと生物学的性別が男性であるか女性であるか判定できるのですから、DSDではない人はなおのこと、男性でもない女性でもない中間の性とか、男性寄りの女性、女性よりの男性などありません。既に書いた通り、身体つきが「男の特徴、女の特徴にそれぞれあてはまる」かどうかが、生物学的性別を決めるのではありません。いかにも女性らしい特徴を多く備えている女性とそうでない女性は、同じくらい生物学的女性ですし、男性についても同様です。繰り返しますが、女性でも様々な身体の人がいる、男性でも様々な身体の人がいるということです。 

「脳が自らを男と思うか、女と思うか」が生物学的現象なら、それはGID 

②  について

「脳が自らを男と思うか、女と思うか」は、『性自認』のことでしょう。この、脳が思う身体の性別と、実際の身体の性別とが違っているのが、GIDですね。
 そうすると、ここでは、「GIDではない男性は通常、自分を男性と思っている」ので、脳が自分を女性だと思っている男性は「男性の特徴に当てはまらないのでLGBTである」と言っているのですね。前述のように、幼少期からの身体違和があり、手術を望むGIDは稀な症状です。脳の性自認と身体が一致してないからといって、その人の生物学的な性別を変えることは不可能です。けれど性自認に合わせて外科的手術で身体を外見的に変えることはできるし、しかるべき手続きを踏んで社会的な性別(ジェンダー)を変えることはできます。GIDの人は、確かに生物学的現象としての「LGBT」である、生物学的現象としての「LGBT」の中のTだと言えると思います。
 しかし、トランスジェンダーの99%以上を占める、身体違和のない人たちの場合は、GIDと同じように「生物学的現象としてのT」と考えることはできません。幼少期からの身体違和がないからです。幼少期というのは2〜4歳からであり、ここでの身体違和とはパンツの中にある自分の外性器に対する違和感のことです。GIDの子どもは、「おかしいな、自分のお股にはおちんちんがあるはずなのになぜないんだろう。大きくなったら生えてくるのかな」と思っている女の子だったり、「なぜ自分のお股には余分なものが付いているんだろう」としゃがんで排尿している男の子だったりするのです。「女性のおっぱいや丸いやお尻が欲しい」(*6)とかではありません。
 GIDでないトランスジェンダーには幼少期からの身体違和がない。ということは、自分の生物学的性別をちゃんと認識できていることになります。なので、トランスジェンダーの99%以上を占める、GIDでない人たちは「生物学的現象のT」には当てはまりません。そもそもこの記事のテーマの対象ではないということになりますね。 

ゲイは男性を好きになる男性、レズビアンは女性を好きになる女性、でいいのでは? 
 ③について
 「男と女のどちらに魅力を感じるか」で、「男の特徴、女の特徴にそれぞれあてはまれば男、女になるが、そうでない場合がLGBT」とあります。レズビアン女性は「男性を好きになる」という「女の特徴がない」から「女にならずにLGBTになるんだ」ということであり、ゲイ男性は「女性を好きになる」という「男の特徴」がないから「男にならずにLGBTになるんだ」ということですね。レズビアンは生物学的に女性で性自認も女性だし、ゲイは生物学的男性で性自認も男性です。ただ、「性的指向」が異性愛ではないというだけです。この文章をまともに受け取ると、ゲイは「男にならずにLGBT」、レズビアンは「女にならずにLGBT」となってしまいます。『性的指向』と『性自認』は大抵の場合、セットになっているのが通常なのでこう書いたのかもしれませんが、『性的指向』を『身体の性』や『性自認』、『男らしい・女らしい』といったものと一緒くたにすると、「男を好きになるのは男らしくない、だから自分は男ではないのではないか」とか「女を好きになるのは女らしくないから、自分は本当は男なのかもしれない」などという間違った考えに傾きかねません。そのような考えは同性を愛することを異常とみなす「同性愛嫌悪」と同じです。 

人間の性別は変えられるかのような印象を受けるが、これは単に説明がずさんなだけ? 

記事より

4 「では具体的に、どのようにして性は決まっていくのか。まずは、精子がXとYのいずれの染色体を持っているかで決まる。Y染色体なら男、X染色体なら女。だがここでは遺伝的に男か女かが決まるだけで、その後も性別を決める行程が続いていく」
  「次が、母親のおなかにいるときに、テストステロンと呼ばれる男性ホルモンのシャワーをどれだけ浴びるかだ。哺乳類のプロトタイプは、メスである。テストステロンのシャワーをたくさん浴びれば浴びるほど、身体が女から男へとつくりかえられていくのだ。そしてこのシャワーは、思春期にも分泌される」

 

 以上の文章を読んだ人の印象は、「へ〜、人間って女から男につくりかえられるんだ。男性ホルモンのシャワーが少ないと、女寄りの男になるんだろうな。男なのに男が好きになったり、女っぽい男になったり、自分は女だと思う男になったりするんだな」とか、「人間の性は生物学的に言っても多様なんだな、知らんけど」とかいったものではないでしょうか。
 専門家なら難しい仕組みを分かりやすく正しく教えてくれると思ったのに、これでは「何かよくわからないけど、男か女かはどちらかにはっきりと分類できないんだな。性別を決めるプロセスはややこしいんだな」ということしか素人の頭には残りません。それだけではなく、これを読んだ人は、人間の性別は簡単に変わるというような間違った考えを印象付けられるのではないでしょうか。 

「身体が女から男へとつくりかえられていく」とはどういうことか 

 人間の生物学的性別(セックス)は変わりません。しかし、文中の「身体が女から男へとつくりかえられていくのだ」というところ、それ自体は確かに間違いではないのです。何が問題かというと、丁寧な説明がないために読んだ人が誤解しかねない書き方だということです。
 「母親のおなかにいるときに、身体が女から男へとつくりかえられていくのだ」は、実際のところ、「母親のおなかにいるときに、身体がエラ呼吸から肺呼吸につくりかえられていくのだ」と同じようなものです。「身体がエラ呼吸から肺呼吸につくりかえられていくのだ」と聞いても、大抵の人は「人間は魚のようなエラ呼吸で生まれることもあるんだ」とは思いません。人間の胎児は、受精後2ヶ月頃までエラ呼吸をしています。まさに海に生物が誕生してから現在までの進化と同じような成長の過程をたどりながら、羊水の中で胎児から赤ちゃんへと育っていく、ということを言っているだけだからです。これは常識の部類です。「身体が女から男へとつくりかえられていくのだ」もそれと同じことを言っているのです。
 しかし、「身体が女から男へとつくりかえられていくのだ」とだけ聞くと、「エラ呼吸」の話とは違って、「人間の性別は変えられるんだ」と思う人がいそうだし、その上で「哺乳類のプロトタイプ(原型)は、メスである」と聞いても「じゃあ、メスからオスに変わる途中の人、中間の性の人もできるのでは」と思うかもしれません。生物学者の方には、ちゃんとそうはでないと説明して欲しいところです。 

「哺乳類のプロトタイプ(原型)は、メスである」とはどういうことか 

 生物は単性生殖する生き物も含めみんな基本はメスです。それは、遺伝子の多様性を得るために有性生殖を始めた時に、「遺伝子の運び屋としてメスがわざわざつくり出したもの」が「オス」だからです(*7)。「身体が女から男へとつくりかえられていく」というのは、「単性生物から有性生物が誕生してからの現在までに進化した、性に関する身体の発達が、胎児の身体に起こっている」というだけのこと。「身体がエラ呼吸から肺呼吸につくりかえられていくのだ」と同じだというのは、そういう意味です。胎内で最初「女性」でなかった男性はひとりもいません。これが理解できたら、「女性から男性につくりかえる」過程で何か異変があった場合、胎児は「男性でも女性でもない第三の性」になるのではなく、単に、男性にならずそもそものデフォルト(初期設定)であった女性になるだけだと理解できるでしょう。具体的に説明しましょう。

 例えば、精巣がある女性(AIS=アンドロゲン不応症)は、性染色体はXYです。それなのになぜ女性と言えるのだろうと不思議に思うかもしれません。人間の性別はデフォルトで女性だということを思い出してください。何か最初に男性になるシグナルが発されなければ、普通に女性になります。男性になるシグナルが出ても、身体の細胞がそれを受け取ることができない場合も、普通に女性になります。だから精巣があって男性ホルモンが出てもそれを受け取る受容体がないAIS=アンドロゲン不応症の人は、内性器や外性器は女性になります。卵巣がないとエストロゲン(女性ホルモン)が出ないのにどうして?と思うかもしれません。実は脂肪が変化してエストロゲンに変わるのです(ただし、量が十分ではないのか子宮が発達不全だったりします)。このように卵巣の有無は内性器や外性器の発達と関係がありません。人間の原型は女性だという意味はそういうことなのです。

*7 https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/7779 

 

性に関する身体の発達は「なんでもあり」ではない 

 性染色体はXYで精巣がある女性がいるのなら、性に関する身体の発達はなんでもありなのか、どんな組み合わせもありうるのか、と思う人がいるかもしれませんが、そうではありません。

 2021年11月18日付の朝日新聞に「東京大学入試問題からヒトの性差を考える」という記事が出ました。その中に生物の問題を改題したものが載っていて「身体の表現型は典型的な女性と同じで卵巣を持つ一方で、性染色体構成が男性である人」という記述が出てきます。何も知らないと、「ふーん、そういう人もいるのか」と思うでしょう。しかし、これはちょっと考えにくいのです。

 性に関する身体の発達のスタートは、性染色体からです。本当は、性別に関わる遺伝子はたくさんあるらしいのですが、とりあえず、Y染色体にあるSRY遺伝子が、人間のプロトタイプである「女性になるコース」を「男性になるコース」に変更する最初のシグナルを出すのだと言っておきましょう。SRY遺伝子の仕事は、まだ卵巣でも精巣でもない原性腺を精巣にすることです。ですから、「性染色体はXYで卵巣がある女性」がありうるとしたら、このSRY遺伝子がY染色体上に存在しなかったのではないかということです。Y染色体はX染色体に比べるとそもそもとても小さくて、そこにSRY遺伝子がなかったら何のためのY染色体なのか、Y染色体としては大変な欠陥があるじゃないかということになります。そんなY染色体があるのでしょうか。そしてそれが果たして、何億という数の精子どうしの競争を勝ち抜くことができるのでしょうか。そんなY染色体があったとしても受精できないか、受精しても胚に不具合が出て無事に育たないんじゃないかなと思います。実のところ、「XY」で「女性」というDSDの症状としては、AIS=アンドロゲン不応症とスワイヤー症候群がありますが、AISでは性腺は精巣、スワイヤー症候群では性腺は未分化(分裂して増えない)の線状性腺になります。「XY」で性腺が卵巣という症状名は見当たりません。

 ところで、逆のパターンというか、X染色体にY染色体上のSRY遺伝子のかけらがくっついて、XXの核系を持ちながら男性という人はいるのです。もうおわかりでしょう。X染色体にくっついたSRY遺伝子のかけらが自分のすべき仕事を、つまり原性腺を精巣にしたのです。それでこの人は「女性になるコース」ではなく「男性になるコース」に乗ったということです。だからこのXX男性の原性腺は卵巣ではなく精巣になり、生物学的性別は男性になります。このように、そうなるにはそうなる理由がちゃんとあるということです。 性に関する身体の発達は「なんでもあり」ではありません。 

思春期にトランスジェンダーになるのは生物学的現象なのか? 

 「テストステロンのシャワーをたくさん浴びれば浴びるほど、身体が女から男へとつくりかえられていくのだ。そしてこのシャワーは、思春期にも分泌される」

 これを読むと、「男性ホルモンのシャワーが少ないと、女っぽい男になったり、自分は女だと思う男になったりするんだな」と、まるで「性格や好みや関心が、男性の特徴といわれるものに近いか、女性の特徴といわれるものに近いか」ということと、「その人の脳が自分を男と感じるか、女と感じるか」ということがほとんど同じであるかのように思っている人も多いのではないでしょうか。

 はじめに断っておきます。男の子が、おままごとが好きだったり、女の子の服を着たいと思ったり、性格が繊細だったりすると「女みたい」と言われますが、そんなことを言うのはよくないことだと私は思います。脳は極めて可塑性に飛んでいるので、性別に関わらず、いろんな個性を持ちえます。サッカーが好きな女の子がいてもいいし、綺麗なドレスをデザインするのが好きな男の子がいてもいいのです。ジェンダーは社会的に作られたものですから、「男らしい」「女らしい」の枠にはまらないことがあってもそれは当たり前であり、無理に自分は男っぽいから本当は男なんだと思い込む必要はありません。

 幼少期の身体違和がなくて女性の特徴とされる性格や好みや関心を持っている人が、「自分は女性だと思う」と言い出しても、その人はGIDではありません。「男らしさ・女らしさ」と「自分が男である/女であるという性別の認識」は、ごっちゃして考えられやすいので、もう少し説明したいと思います。 

「男らしさ・女らしさ」と「自分が男である・女であるという性別の認識」は別 

 DSDの人はトランスジェンダーと関係ないと言いましたが、CAH(先天性副腎皮質過形成症)という症状を持つ女の子の例で話をしましょう。

 CAHは、胎児期に性ホルモン環境が変わり,脳が副腎から過剰に分泌されるアンドロゲン(副腎性アンドロゲン)に暴露される,21水酸化酵素欠損による症状です。要は、ある種の酵素が欠損しているために男性ホルモン(アンドロゲン=テストステロンを含む男性ホルモンの総称)が過剰にできてしまうという症状です。男の子もCAHになりますが、ここでは性自認と「らしさ」の話なので、女の子の例で説明します。

 「テストステロンのシャワーをたくさん浴びれば浴びるほど」と記事の本文にあったのと、まさに同じような状況がCAHの女の子に起こっています。胎児のうちから、アンドロゲンを過剰に浴びているのです。

 CAHの女の子の性染色体はXX、性腺は卵巣、内性器、外性器も女性ですが、外性器が少し肥大化しているので小さなペニスと見間違われるかもしれません。が、不妊状態ではありません。ただ、とても活発で、いわゆる男の子のような好みを持つようです。さて、それではこの女の子の性自認は、男性でしょうか。女性でしょうか。

 答えは女性です。研究者も「外性器の男性化度にかかわらずに CAH 女児は従来通り女性として養育することが基本である」と結論づけています。胎児の性に関わる発達は、まず性腺が精巣になるか卵巣になるかで内性器が、その次に外性器、その次に脳の性自認の器官、最後に脳の性的指向の器官の順に進むのだそうです。身体の方の性別が決まった後に、脳の性自認が決まるというわけです(外性器の形成と性自認は関係ありません)。身体の性別は男性か女性かでしかありえませんでしたね。だからDSDの人も、脳が身体の性別を正しく認識できるということなのでしょう。現在では、胎児期のアンドロゲン暴露は男の子のような活動性を促すことはあっても、女の子の性自認にはほとんど影響しないことがわかっています。CAHのような症状を持たずに生まれた人ならば、なおさらです。性自認を司る脳の器官が身体的性別をちゃんと認識できているのなら、その人がどのような「〜らしさ」を持っていようとGIDではありません。生物学的現象としての性自認は変わりません。

 もう一つDSDの症例で話します。以前、「女の子が思春期になって男性に変わった」などとセンセーショナルに伝えたテレビ番組がありましたが、それは、5α還元酵素欠損症の「男の子」が、「間違って」女の子として育てられていたというのが正解だということです。5α還元酵素欠損症の男の子は、染色体はXY、性腺は精巣で受容体も働きます。ただ、5α還元酵素が欠損しているため、胎内で外性器の発達を促すジヒドロテストロンが作れず、外性器だけが発達不全の状態か女性形をして生まれるのです。思春期になると、身体はテストステロンを作り出すため、どちらの性別で育てられていたかにかかわらず、男性に特有の思春期を迎えることになります。5α還元酵素欠損症の男の子は、もともと外性器以外は男性の発達をしているし、性自認もほぼ男性です。
 というわけで、幼少時の身体違和のない人が、「女性の特徴とされる性格や好みや関心を持っているから自分は女性だと思う」と言い出しても、生物学的現象は脳に起こっていないと考えられるので、その場合の『性自認』は単に精神的な現象、気持ちの問題です。客観的事実は、「その人は女性の特徴とされる性格や好みや関心を持っている、個性的な男性」ということです。

 ・DSDは身体の問題であり、性自認は通常通りです。「〜らしさ」は個性です。LGBTとは無関係です。
 ・GIDは脳の問題であり、身体は通常通りです。「〜らしさ」は個性です。LGBTのTですが、Tの中では非常に少数派です。
 ・GIDではないトランスジェンダーは、身体にも脳の性自認にも問題はありません。本人が感じている性別違和は生物学的性別ではなく社会的性別・性役割などに対する違和感であり、生物学的現象ではありません。何か他のことが原因で「自分は、本当は別の性別だ」と言っていると考えられます。GIDではないトランスジェンダーの「〜らしさ」も個性です。LGBTのTであり、Tのほとんどを占めているのはこの人たちです。 

「ちょっとしたことで、LGBTの子どもができるんだ」という印象操作? 

記事より

4 「LGBTが生まれる理由の一つとして、性が決まるいずれかのタイミングで、テストステロンのシャワーの量が不十分だった場合がある。妊娠中の母が大きなストレスを抱えているとシャワーは分泌されにくくなるとされる。第2次世界大戦中のオランダで、食料不足のなか生まれた子供たちにはLGBTが多かったという研究結果がある」

  これまた、ざっくりしていますね。「食料不足のなか生まれた子供たちにはLGBTが多かった」って、LGBTのうちのLGBが多かったんですか。それとも、Tで生物学的現象であるGIDが多かったんですか。LGBとGIDは同じ性的少数者でも、片や「性的指向」、片や「性自認」と、違うカテゴリの人たちなんですから、正確に言ってもらわないと全くわかりません。ただ、これを読むと、なんとなく「食料不足なだけで、性的マイノリティの子どもができるんだなあ」という印象だけを受けます。生物学的現象として正確な説明はされていません。

 

「プロセスが複雑だから、男か女か分類できない」は本当か? 

記事より

5 「Y染色体を持ち、遺伝的には男でもテストステロンのシャワーが少なくなると女っぽくなる。一方、遺伝的に女でも、テストステロンが多すぎると男らしくなることがある。男か女かは、必ずしも、どちらかにはっきりと分類できるものでない。性別を決めるプロセスは非常に複雑なのだ」

  これについては、これまでの話と同じことですね。

 DSDの例(AISの症例)で分かるように、男性ホルモンが多すぎた場合でも、生まれた女の子の生物学的性別は女性、性自認も女性であり、単にその子は活発な女の子というだけのことでした。DSDでないほとんどの人ならば、なおさらです。胎児期の性ホルモンがどうであれ、生物学的性別は男か女かはっきりと分類できます。「男っぽい、女っぽい」は、男性でもいろんな男性がいる、女性でもいろんな女性がいるというだけのことです。

 GIDは、身体の性は男性か女性かはっきりしています。脳の感じる性自認が、実際の自分の身体と違っているだけでした。生物学的性別は変えられないけど、しかるべき手続きをして社会的性別を変えることはできるという話でしたね。だから、生物学的性別は男か女かはっきりと分類できています。

 近年世界中で急増していると伝えられる、幼少期からの身体違和のないトランスジェンダーの場合は、身体も脳の性自認も通常の男性や女性です。男性が「女性の特徴とされる性格や好みや関心を持っているから性自認は女性だ」と言い出しても、その場合の『性自認』は単に精神的な現象、気持ちの問題でしたね。その人の生物学的性別は男か女かはっきりしています。

 性的指向に関して、男性が男性を好きになるのが「女っぽくなる」という意味なのでしょうか。そのような言い方はともかく、男性が男性を好きになるというのであれば、その人はゲイです。男性のまま男性を好きになるのがゲイ、女性のまま女性を好きになるのがレズビアンなのですから、別に「男なのに男が好きなんて、ひょっとして自分は性別が女なのか」とか「女なのに女が好きなんて、ひょっとして自分は性別が男なのか」と悩む必要はありません。同性愛者は自分と同じ生物学的性別の人を好きになる人たちです。性的指向については、前視床下部間質核によって決まるらしいとわかっていますが、まだ、男性同性愛者の場合しか研究されていません。とはいえ、LGBの人も生物学的性別は男か女かはっきりしていますよね。

 Tの人では、GIDが唯一、生物学的現象としてのトランスジェンダーです。身体ははっきり男性か女性なのに、脳が「いや自分の身体は女性のはずだ」とか「男性のはずなのに、なぜペニスがないんだろう」とか感じている人たちでしたね。脳の性自認は生物学的性別についての自認であって、社会的性別・性規範についての自認ではありません。身体の性別以外のところで、その人が自分を「女らしい」とか「男らしい」とか思えるところがあってもそれは単にその人の個性です。

 素直に考えて、「性別を決めるプロセスは非常に複雑なのだ」と言ってよさそうなのはDSDの人たちのことくらいでしょう。しかし、何度も言いますが、DSDはちゃんと女性か男性か性別を判定できるし、トランスジェンダーともGIDとも関係がありません。DSDはLGBTとは関係がない、したがって、そもそもこの記事のテーマの対象外です。

 「男か女かは、必ずしも、どちらかにはっきりと分類できるものでない。性別を決めるプロセスは非常に複雑なのだ」としか言わないのは、生物学者として大変無責任だと思います。

 記事より

6 「そして日本でも、社会的なマイノリティーであるLGBTに配慮する動きが目立ってきている。同性カップルをパートナーとして認める地方自治体は増えている。福利厚生の対象を同性のパートナーに拡大する企業も出てきている。欧州では、LGBTに配慮した社会の動きは約20年前から起きていたが、ここにきて日本もようやく変わってきたといえる」

 「今では、障害のある人たちにかかるコストを社会全体で払うことが当たり前になった。これからは、性的マイノリティーに対しても同様の対応をすることが、当然の時代に変わっていくだろう。生物学的にみれば、LGBTは少ない確率で必ず生まれるものなのだ。世の中には自らがLGBTであることをカミングアウトできない人はまだたくさんいる。誰もがLGBTを受け入れられる社会になることを願う」 

 この記事を書いた生物学者の方は、記事の前半部分で述べていたように「生物学的に身体と心が一致しないことがあるということ」、おそらくはトランスジェンダーのことを書きたかったようです。「生物学的に身体と心が一致しない」トランスジェンダーといえば、GIDだけです。なのに、一貫して「LGBT」とのみ書き続け、最後まで一言もGIDとは書きませんでした。社会が負担すべきコストの具体例としては「同性カップルをパートナーとして認める地方自治体は増えている。福利厚生の対象を同性のパートナーに拡大する企業も出てきている」といった、LGBなど同性愛者のことだけでしたし、後は抽象的に「LGBTに配慮した社会」とか、「誰もがLGBTを受け入れられる社会に」としか書いていません。なぜでしょう? 誰のことを言いたいのか不明瞭で不正確で、本当にどうしてそこまで曖昧にしたいのか不思議でなりません。

 もし、「性的マイノリティー」が難病や障害なのであれば、社会のコストで治療なり救済措置なり講じることに対して、反対の声はさほど出ないでしょう。生物学者に求められているのは、「性的マイノリティー」が難病や障害と同質のものだという根拠を示し、科学的に説明することだったはずです。それをほとんどすることなく、「障害のある人たちにかかるコストを社会全体で払うのが当たり前になったように、性的マイノリティーに対しても同様の対応をするように」などと社会に提言するのは、少し筋違いなのではありませんか。そもそも「性的マイノリティー」が何なのかの定義もなしに論を進めるなど、論外だと思います。

 これは余談になります。医大の受験で試験の点数を操作して、本来合格していたはずの女性受験者を大量に不合格にした事件(東京医科大)がありましたが、これほどあからさまな女性差別に対しても、即刻大学が深く陳謝し責任者が責任を取り制度を改め被害者全員を救済し、全国の医大受験から女性差別が一掃される…なんてことは起こりませんでした(*8)。それどころか医師の65%がこの医大の女性差別を「理解できる」と答えたそうです。身体が女性であること、出産すること、体力的に男性より脆弱なことは、明らかに「生物学的な現象」なのに、どうして「かかるコストに社会が支援を」とはいかないのか、今ある女性差別に対して社会がそのコストを支援しない現状は放置されているのに、どういった人たちに生じるどういったコストなのか内容がよくわからないものに対して社会的支援をと言われても、説得力に欠けるなあと思いました。

*8 https://www.tokyo-np.co.jp/article/2981 

 きっと、今後もあちこちで「男か女かは、必ずしも、どちらかにはっきりと分類できるものでない。性別を決めるプロセスは非常に複雑なのだ」とか、「男か女かは、必ずしも、どちらかにはっきりと分類できるものでない証拠が見つかった」とか取り上げられることと思います。すでにNHKや朝日新聞、そして日経ビジネスもそうなのですから。

 しかし、例外的なケースが1つでもあれば、それを一般化するというのは、真っ白なライオンが生まれることがあるからといって、ライオンは白いと定義するようなものです。例外は常にあり、例外があることは全体のパターンを無効にはしないし、例外は全体のパターンに当てはまらないからこそ例外なのです(*91)。例えば、当記事において、複雑な話をできるだけわかりやすく本筋を見失わないように進めるため、一般化できない事実については言及しなかったところは(どことは言いませんが)確かにあります。しかし、それを持って、本稿の主旨を否定することは、理にかなった行為とは言えないことをご承知ください。

*9 https://twitter.com/Erinadinfinitum 

最後に、

 人間の性別が二元性なのは有性生殖だからでしたね。記事を書いた人とは別の生物学者の意見を引用して締めくくりにしたいと思います。生物学者という人たちは、生物学的な性を以下のように考えているものだと私は思っていました。 

 「生物学的な性」の起源は、「有性生殖」という戦略が取られたときに遡る。…地球の誕生が46 億年前、最初の生命体誕生が40-35 億年前、それから、真核細胞の出現が25-20 億年前、多細胞の出現は15-10億年前で、有性生殖はだいたい同じ頃であったかと思う。かたや、「二足歩行の習慣を持つ」と定義づけられる人類は、およそ600 万年前にアフリカに出現し、250 万年前に、類人猿よりも大きな脳を持つ種が石器を発明し、… 100 万年前までにアフリカからユーラシアまで広がったが、現生人は5万年前頃に当時共存していたネアンデルタール人などに取って代わった、とされている。「言語」の起源をどこまで遡れるのかは私は不案内なので言及しないが、どうあっても、地球の歴史を1年とした場合に、大晦日の除夜の鐘が聞こえる頃であることには違いない。
…これが、生物学者が考える「性の歴史」であり、それは、どんな言葉を使おうが使うまいが、リアルなものとして地球上に存在していたのだ、という風に考える。そして、そこには何ら、政治的な意図などは介入しない。

https://nosumi.exblog.jp/3370341/  

 私たちにはもっとリテラシーが必要です。(終わり)
 
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(2022.3.11 日経ビジネスより)
長谷川眞理子(総合研究大学院大学学長):「LGBTは生物的な現象。性別決定プロセスは複雑。かかるコストは社会が支援」

 性的マイノリティーの人たちを指す「LGBT」という言葉をよく耳にするようになった。犬の散歩を通じて知り合った私の友達の一人もLGBTだ。決して、「特殊」な人ではない。いつもよくおしゃべりをする普通の人だ。 ところが、社会には、LGBTを受け入れられない人たちがいるようだ。こうした考えを持つ人は年配の人が多いと聞く。私のように、LGBTの友達がいる人は少ないかもしれない。しかし、実際に会って話してみると、何の違和感もない。  実は、生物学的に身体と心が一致しないことは、一定割合ある。男が男、女が女にそれぞれなるためには、いくつかのステップがある。  例えば、生殖器は卵巣なのか精巣なのか。体つきはどうなのか。また、脳が自らを男と思うか、女と思うか。男と女のどちらに魅力を感じるかといった点がそうだ。これらのすべてにおいて、男の特徴、女の特徴にそれぞれあてはまれば男、女になるが、そうでない場合がLGBT、ということになる。  では具体的に、どのようにして性は決まっていくのか。まずは、精子がXとYのいずれの染色体を持っているかで決まる。Y染色体なら男、X染色体なら女。だがここでは遺伝的に男か女かが決まるだけで、その後も性別を決める行程が続いていく。  次が、母親のおなかにいるときに、テストステロンと呼ばれる男性ホルモンのシャワーをどれだけ浴びるかだ。哺乳類のプロトタイプは、メスである。テストステロンのシャワーをたくさん浴びれば浴びるほど、身体が女から男へとつくりかえられていくのだ。そしてこのシャワーは、思春期にも分泌される。  LGBTが生まれる理由の一つとして、性が決まるいずれかのタイミングで、テストステロンのシャワーの量が不十分だった場合がある。妊娠中の母が大きなストレスを抱えているとシャワーは分泌されにくくなるとされる。第2次世界大戦中のオランダで、食料不足のなか生まれた子供たちにはLGBTが多かったという研究結果がある。 Y染色体を持ち、遺伝的には男でもテストステロンのシャワーが少なくなると女っぽくなる。一方、遺伝的に女でも、テストステロンが多すぎると男らしくなることがある。男か女かは、必ずしも、どちらかにはっきりと分類できるものでない。性別を決めるプロセスは非常に複雑なのだ。  そして日本でも、社会的なマイノリティーであるLGBTに配慮する動きが目立ってきている。同性カップルをパートナーとして認める地方自治体は増えている。福利厚生の対象を同性のパートナーに拡大する企業も出てきている。欧州では、LGBTに配慮した社会の動きは約20年前から起きていたが、ここにきて日本もようやく変わってきたといえる。  今では、障害のある人たちにかかるコストを社会全体で払うことが当たり前になった。これからは、性的マイノリティーに対しても同様の対応をすることが、当然の時代に変わっていくだろう。生物学的にみれば、LGBTは少ない確率で必ず生まれるものなのだ。世の中には自らがLGBTであることをカミングアウトできない人はまだたくさんいる。誰もがLGBTを受け入れられる社会になることを願う。


 
 


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