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帰ってきた「なぜならだって西武線」。

みなさんご無沙汰してました。FBで発信していた「なぜならだって西武線」。コロナで少しお休みしていましたが、noteに活動の場を移し、再びシュッパツシンコーしようと思います。

あらためて「なぜならだって西武線」って。

2013年3月に、第1回飲み会が開催された「東京にしがわ大学」の西武線沿線に暮らすメンバーで構成された「西武線友の会」が始まりです。

その場で語られた内容は、「西武線沿線の魅力を伝えたい」や、「打倒中央線!」に、「やっぱりこれからは西武線!」と、とても楽しく熱い夜だったことを今でも思い出します。

それからだいぶ日が経ち第2回の集まりを持ち満を持して始めた西武線を楽しむ会。

2017年2月23日にFBに初めての投稿をして、西武線の各駅の情報を文章で発信したり、radioNDS「黄色い電車の走るまち」なんてラジオ風な発信も続けてきました。

けどコロナに勝てなかった。

断腸の思いで一度運航を辞めたのが2020年4月15日。NDSの愉快なメンバーたちは、それぞれのソロ活動に。

けど、けど、やっと日常が動き出した街の気配をひしひしと感じ、うずうずとしたメンバー。うん、よし、やろうって、「なぜならだって西武線」再びです。

ちなみに、自分の話をすると15歳から拝島に住み、高校は小川でした。その頃は東村山の「カクリ」に国分寺の「スターレーン」、久米川の「久米ボー」に通い、それぞれの街で遊んで、西武球場や西武園、武蔵藤沢に住んでいた同級生のお父さんの測量屋さんでアルバイトをしてました。

結婚してからは少し他の路線に浮気しましたが、今は小平に住んでます。都心で働いた後の野方や沼袋や都立家政で途中下車して焼とん屋で一杯なんてのが楽しくて、乗換で降りる西武柳沢のあれこれに嵌るだったり、この前、遊びに行った西所沢の魅力に気付くとか。

そんな街をむすぶ黄色い電車が大好きなんです。

なんでね、地域、沿線を盛り上げようなんて高い志ではなく、愛着のあるこの街、暮らしをみんなで楽しみ倒したい。

ただそれだけなんです。そこから繋がり、広がり、掘り下がるを想像するとわくわくしか出てきません。

これからはどちらかというとラジオ風な発信をメインにしながら、外に飛び出してみんなと遊ぶ活動もできたら良いなって思ってます。

ぜひぜひみんなで楽しみませんか。「なぜならだって西武線」なんですから。どう楽しむかはこれからみんなで考えていきましょう。

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