この世に意義のないものはあるのか

「必要性」というのは私がさまざまなことを考える時に常に頭の片隅に置いていることです。
そんな中で、

「この世に意義のないものはあるか」

そんな問いが生まれました。

はじめに、ある、と考えた例が
「よく分からない言葉を口にする」
確かに、その行動によって生み出された言葉には意味も意義もありません。
しかし、行動そのものには「言葉を口に出したいという衝動(欲望)」を解消する、満たす、という意義が存在しているのではないでしょうか。

すると、「人間が行ったこと、もの、人工物は全て意義があるものである」のかと考えます。
では自然のものはどうか。考えるまでもありません。前回も述べたように、生き残るために進化し、種を増やし、存在してそこに生きているので、全てに意義はあるのでしょう。

となるとやはり「人間」に戻るわけです。
そこで、世の中の人が考える「無駄なもの」を調べてみました。
書かれていたのは「後悔することは何よりも無駄であると思う」でした。
あぁ、なるほど、よく聞く言葉です。
では本当に「後悔」は無駄なのか、考えてみましょう。

過去を省みる、いわゆる「反省」は次に繋がることですし、意味のあることです。
では、過去を振り返り悔やむこと、は自己満足か何かでしょうか。
私は、後悔という行為で満足感を覚えたことは一度もありません。

考え方を変えてみましょう。

あなたは、何かを後悔する時
「後悔したい」からしていますか?

そう、それは受動的なものです。
最初に述べた「よく分からない言葉を口にする」は能動的なもの。

人による能動的なすべてには意思があり、意義がある。
しかし、人による受動的なものには意義のないものもある。

そう考えます。
後悔も、意義がある状態にすることは可能です。
「悔やむ」というその感情を、いつか何かに使うことが、活かすことができれば、後悔は意義のあるものとなるでしょう。
しかし、ある後悔が後悔のまま終わり、その後、永遠に活きることも振り返られることもなければ、それは意義のないものとなるでしょう。

意義のないものは存在し得ます。
しかし、意義のないもののない人生にするかどうかを我々人間は決めることができます。
人生の全てを無駄にしない生き方も、
もちろん可能です。
素晴らしい、模範のような人生ですね。

しかし、たくさんの意義の中にも、無駄の溢れた人生こそ、私は人間らしいと思います。
やはり人は、「無駄」があるからこそ人なのでしょう。完璧な超人のような人生を歩む必要はどこにもありませんものね。
前回と同じ結論に結論に至ってしまいましたわ(/ω\*)

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