見出し画像

「FEELIN' SATISFIED」/ ZIGGY(Cover)

・コンピレーションアルバムに楽曲を提供しました

5月14日に神奈川県茅ヶ崎市で、引きこもりの方参加型のイベント
「布団の中のアーティスト Vol.21」が行われました。

「布団の中のアーティスト」ではイベントの趣旨に賛同した
全国各地のアーティストが曲を提供したコンピレーションアルバム
「布団の中のア~ルバム」を会場で発表するのですが、
私もこのコンピレーションアルバムに曲を提供しました。

・自身初のカバーです
私が提供した曲はオリジナルではなくカバーで
日本のバンド、ZIGGY(ジギー)
「FEELIN' SATISFIED(フィーリン サティスファイド)」という曲です。

「FEELIN' SATISFIED」は、ZIGGYがメジャーデビューする前の1987年に
インディーズで発売された4曲入りEPレコード
「それゆけ! R&R BAND(ロックンロール バンド)」に収録された曲で
ファンしか知らない曲の一つです。
「それゆけ! R&R BAND」はメジャーデビュー後の1989年に
再レコーディングされてCDとして発売されました。

ZIGGYは1990年代に「GLORIA」という曲が大ヒットして一世を風靡しました。かつての人気はありませんが今でもボーカルの森重樹一さんが中心になって活動を継続しているようです。

・ZIGGY / FEELIN' SATISFIED

・ヤマモト セイゲン / FEELIN' SATISFIED(Cover)

ここから先は今回この曲をカバーした経緯についてお話します。

・奇妙な初夢

今年の初夢で私はこの曲をエディ・ヴァン・ヘイレンとセッションする
という奇妙な夢を見ました。

HR/HM界を代表するギターヒーローの一人、エディ・ヴァン・ヘイレン

色々ツッコミどころがあるのですが、何故セッションの相手が
エディ・ヴァン・ヘイレンで、何故この曲をセッションすることに
なったのか?… 夢の意味は未だにわかりませんが久しぶりにこの曲のことを
思い出したので演奏しようという気持ちになりました。

もう一つの理由は、ZIGGYが一時期「SNAKE HIP SHAKES(スネイク ヒップ シェイクス)」という名前で活動していた頃、2000年に自分たちの曲を
セルフカバーしたアルバム「NO DOUBT(ノー ダウト)」を発売したの
ですが、大好きなこの曲は収録されていなかったのが残念でした。
それならこれを機に自分がこの曲をカバーしようと思ったからです。

・当初の構想は断念して、演奏の引き出しを増やす学びの機会にしました

制作する前の構想として、この曲のギターをエディ・ヴァン・ヘイレンが
弾いたらという初夢の内容を実現したいという構想があったのですが、
私にはエディ・ヴァン・ヘイレンのギタープレイや音色を再現できる
演奏技術も機材もないのでこの構想はさっさと断念しました。
代わりにこの曲のギターはオリジナルをそのまま演奏することにしました。

私が使用しているギターBurny FB-80Z(FB-75Z)ZIGGY 松尾宗仁モデル
今回の曲を弾くにはお誂え向きの代物です

私はベースしか弾けないので、ギターが曲の中でどんな演奏をしているのかほとんどわかりません。自分が制作した曲のギターはパワーコードを
押さえて8分音符を刻むみたいなものが多く、ギターのリフの引き出しを
増やしたいという思いが常々ありました。

この曲のギターはR&Rの定番のようなリフを用いています。引き出しを
増やしギターの練習にちょうど良いと思えました。

画像1
以前購入したバンドスコア。このバンドスコアを基にカバー曲作りをしました。

・制作はすぐに行き詰まり、引き出しの少なさを実感しました

制作は順調とは言えず途中で編曲のアイデアが思いつかなくなり
行き詰りました。

行き詰まりの解消手段として「それゆけ! R&R BAND」のEPレコード
ヴァージョンとCDヴァージョンの両方の良い部分はそのまま活用して
ほんの一部を自分好みに変更しました。
大幅に変えたところは曲のKeyを半音下げたことと
Aメロのドラムパートくらいでそれ以外はほぼ譜面通りに演奏しました。
最終的にはカバーというよりはコピーに近い作品になりました。

・制作が終わった後の感想

今回カバー曲に取り組んで感じたことは、
編曲の引き出しが少ないということでした。
もっと様々な曲を聴いて時には演奏して
自分の血肉にしていく必要があると感じました。

もっとも不足していると感じたことはボーカリストとしての能力でした。
ロック特有の「Oh Yeah!」とか「All Right!」といった歌詞以外の言葉や
シャウトの発声に苦心し、オリジナルには全然及ばないと実感しました。

ボーカルは人間の身体が楽器になるので
持って生まれた自分の身体で挑むしかありません。
私は森重樹一さんにはなれませんし、なる必要もありません。
ですがボーカリストとしての能力が不足していると感じたので
今後も試行錯誤しながらボーカリストとしての個性を
模索しようと思います。

・私が作曲のお手本にしたZIGGYは名曲の宝庫

私は1970~80年代の洋楽が大好きですが、
作曲のお手本として最も参考にしてたのは日本のバンドZIGGYでした。ZIGGYにはシングルとして発売されていない
隠れた名曲がたくさんあります。

このnoteを読んだ方がZIGGYに興味を持ってくれたら幸いです。



常に困窮しています。サポートして頂いたお金は生活費に充てます。