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北海道警察柔道大会~選手選抜からの猛特訓編③

柔道の訓練も本格的になってきました。
それぞれ実力の差があれど、お互いのくせや弱点などもわかってくるので、このまま同じメンツとやっていても伸びないと判断した監督は、「よし出稽古にいくぞ」と言います。
つまりほかの警察署の道場にお邪魔するか、はたまた一緒にやりませんかと呼ぶか。
ちなみに私のいた警察署は実力は中間くらいで、強豪というわけでもなく、大会はいつも2回戦ないし3回戦どまりらしいのです。

なので弱いチームの道場に行ってもメリットがないので、周辺で強いチームの道場へお邪魔することになりました。
弱いチームにお邪魔してもメリットがない、なるほどだからうちにはお声がかからないのか、だからうちから声を掛けなければならないのか、なるほど
力のあるチームはわざわざ他と協力する必要がないですよね。

ここからが強化合宿です。
強豪チームについて挨拶をして、訓練開始
さすが強豪です。
練習内容がまったく違うのです。
まずは基礎固めの筋トレ、ダッシュなど基礎的なことをびっちり
我が警察署のおじさん軍団はそうそうにリタイヤ、まだ乱取りもしていません。
若いの頑張れと言われ、離脱できなくなってしまいました。
でも、そこの警察署の若い人はみなそれをやっていましたので、離脱などするものか。と気合を入れ直しました。

その後2時間ほど寝技をして、さあメインの乱取りです。
強豪監督「よーし今日はお客さん来てるから胸借りて行こう、びっしり当たれ」
乱取り3分30本はじめ

え?うちの訓練多くても2分の10本くらいよ?
そうなのです、ここが最大の違い 弱いところには弱い理由があるのです、訓練いやだから、きついのが嫌だからさぼるのです。

うちのおじさま方は5本くらいでダウン
とにかく私も汗やよだれや鼻水を出しまき散らしながら30本やり切りました。
投げたり投げられたり 投げれれて転がされた方が多かったですね
人生であんなに転がされて、汗と出血と鼻水よだれまみれになったのは初めてでした。
これが訓練なのか
自分の甘さを思い知りました。

その警察署からの帰りはみんな死んだようにぐったり、警察署まで何十キロも岐路があるので、そういった場合は、監督から「ほれ」と車のキーを渡されます。(訓練用ですので普通の車です)
運転のハンドルを握る腕もプルプル、脚も腹筋もツル寸前
なんとか岐路へ着きました。

翌日はおとなしく警察署でやろうとなりそうでしたが、私はくやしくてもっと本物に触りたいと考え明日も行きましょうと熱意を込めて提案
最初は反発をくらっていましたが、熱意が伝わったのか、さぼれることに気が付いたのか不明ですが、翌日も強豪と訓練です。

結果、大会の3日前まで強豪チームに出稽古させてもらいました。
体は常に筋肉痛と打撲痛とあざまみれでしたが、爽快感が半端ではなかったです。
アドレナリン、エンドルフィン出まくり。

胴着は血まみれでしたが。

おそらく術科バカになったのは、これが原因でしょうね。
生命が燃える感じがしましたし、気を抜けば本気で死ぬと思っていました。
大げさかもしれませんが、身体がばらばらになる感覚は常にありました。
だって常に筋肉痛なのです。
しかしあの生命が燃える感じからの生還、生きている感じを最大限に感じていました。(妻にあの時の思い出を語るとキモイと一言言われました)
うらでは、もちろん交番勤務は続行でした。
交番ではおじいちゃんのようにふらふらと歩いていました。

でもみんな私が選手であることをわかっていてくれたので優しかったのです。

自分が本物かどうか今だに分かりませんが、苦労は買ってでもしろ、とはよく言ったものであれ以上にきついことがなければ大抵乗り切れちゃうのです。
人間不思議

筋肉痛が収まれば一回りビルドアップしてる自分がいましたし、なにより動きがきびんになりました。

つらい訓練の後には成長がある
全部ではないですが私はそう思うのです。

余談ですが私が中間管理職だったころそらに上からパワハラをうけている時期がありました。
彼はパワハラを他人から訴えられ島流しに。
私はそのパワハラをパワハラだと思っていなく、彼がいなくなって、のちのち成長させてもらったなと感謝すらしました。
しかし周囲からは、あれはパワハラでしょ、と言われていました。
私がパワハラだと感じなかった理由は、まず自分が悪いと思っていたから悪いところを改善するのに必死だった。
2つ目が、いざとなれば合法的に彼を葬れると謎に思っていたから心に余裕があったことが挙げられます。

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