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2020東京オリンピックが引き継いだものとは

  灼熱の日差しと新型コロナウイルス感染の不安のなかで、1年遅れの2020東京オリンピックがさまざまな暗い影を落としながら始まった。

 目的さえもあやふやです。当初、安倍前総理や管総理は復興五輪、コンパクト五輪を訴えていましたが、いつのまにかその看板は「人類がコロナに打ち勝った証」や「安心、安全」にすり替えられてしまいました。

 ならばなぜ無観客なのでしょうか。選手村などで感染者や濃厚接触者が相次いでいるではありませんか。すでに五輪関係者の感染は70人を超えていると海外メディアは伝えています。国立競技場ではスタッフとして働く外国人による性的暴行事件まで起きている。

 そもそも東京オリンピック開催がなぜ人類がコロナに勝った証と言えるのか不明です。世界ではまだまだ感染が拡大していたり、再び増加している地域がたくさんあるのですから。こういうのを事実誤認というのです。

 近代オリンピックの始まりは1896年、フランスのクーベルダン男爵が古代ギリシャの平和の祭典を復興させようと提唱したことからでした。その基本精神はアマチュアリズムとフェアプレーです。

 ところがその姿は醜く変わってしまいました。ターニングポイントは1984年のロサンゼルス大会でした。財政がひっ迫したIOCがメジャーリーグ(MLB)コミッショナーで商売上手のピーター・ユベロスを大会組織委員長に抜てきして、儲かる五輪を実現したのです。

 税金を使わず400億円の黒字で終わりました。手品でもなんでもありません。五輪の理念をかなぐり捨ててカネ集めに専念した結果でした。

 企業スポンサーを認め、観客を呼べるプロ選手の参加を解禁、人気競技優先し、テレビ放送権料やスポンサー企業から法外な協賛金を募りました。聖火ランナーからメディアセンターの灰皿に至るまで有料にしたのです。

 これを境に、平和の祭典はスポーツ大会から世界最大のショービジネスと化したのです。

  抜けるような青空の下、俳優上がりのレーガン米大統領による開会宣言、ジェット・パックを背負った宇宙飛行士によるスタジアム内の飛行、ズラリと並んだ白いピアノによるラプソディ・イン・ブルーの同時演奏。

  ハリウッド顔負けの豪華な開会式の演出はスタジアムに集まった10万の観客を魅了しました。現地で取材していた私も思わず我を忘れて見入ってしまいました。しかし、そのスペクタクルはオリンピックを堕落させた虚飾の祭典だったのです。

  その結果、「オリンピックは儲かる」と勘違いした立候補都市が増え、過度な招致合戦によるIOC委員に対する目に余る接待や賄賂が横行。選手のドーピングの問題も深刻化しました。スポンサー企業もテレビ局も観客も選手のより華々しいパーフォーマンスを期待するようになったからです。

 そんな五輪ビジネスの頂点で贅沢三昧だったのが国際スポーツの帝王で国際オリンピック委員会(IOC)会長として21年間も君臨したスペインのファン・アントニオ・サマランチでした。

 その他にも、国際サッカー連盟(FIFA)会長のブラジルのジョアン・アヴェランジェやオリンピックの花形である陸上競技の世界を操るボス、イタリアのプリモ・ネビオロ国際競技連盟(IF)会長などが五輪の甘い汁を吸っていました。彼らはオリンピック・マフィアとさえ呼ばれたぐらいです。

  そんな黒い輪をサマランチの後継者ベルギーのジャック・ロゲ会長から受け継いだのが現在のドイツのトーマス・バッハ会長です。米ワシントン・ポスト紙記者が彼のことをコラムで「ぼったくり男爵」と呼んだことも頷けます。

   2004年のアテネ五輪を取材したときにまず驚かされたのは報道陣の多さでした。1912年のストックホルム大会のときには報道関係者の数はわずか500人でしたが、それがアテネでは参加選手の倍の2万人以上に膨れ上がっていました。今やテレビメディアと五輪は運命共同体、バルセロナ大会の開会式をプロデュースしたルイス・バセット氏の言葉を借りれば「オリンピックは世界最大の広告宣伝媒体だ」なのです。

 パルテノン神殿など極めてテレビ的な世界遺産の存在と、ヨーロッパや米国にとって放送に都合がいい時差のお陰で、アテネ大会の視聴者数は記録的でした。テレビ局と広告主にとってこんな有難いことはないでしょう。

 当然、競技スケジュールは選手のコンディションではなく米国のテレビ放送時間を優先して組まれるようになりました。アスリートファーストなど虚構でしかあスポンサースポンサー企業にとって、会社のロゴのウェアやシューズを身につけた選手は動く広告塔なのです。

 目に余る商業主義が五輪を根底から腐敗させているのです。平和の祭典を標榜するオリンピックがこれでいいわけがありません。ところが、東京都も日本政府もIOCという黒い「五輪クラブ」にひれ伏し、多額の税金を注ぎ込んでまで無観客というぶざまな五輪開催に踏み切りました。

 週刊文春によれば、東京五輪の名誉総裁である天皇陛下が開会式で読み上げられる開会宣言では通常含まれる「祝い(cerebrating)」の言葉が「記念する」に変更されるそうです。緊急事態宣言で苦難を強いられている国民の気持ちに寄り添われる陛下の素晴しい見識だと私は思います。

 開始前から負の遺産を背負い、歓声が聞こえないまま2020東京オリンピックの聖火が点灯されます。


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