マッチ売りの夢女

 それは、ひどく寒いおおみそかの夜のことでした。こんこんと雪が降っている中、みすぼらしい一人の少女が歩いていました。ぼうしもかぶらず、はだしでしたが、どこへ行くというわけでもありません。行く当てがないのです。ほんとうは家を出るときに一足の木ぐつをはいていました。でも、サイズが大きくぶかぶかで、役に立ちませんでした。
 少女の古びたエプロンの中にはたくさんの夢小説が入っています。手の中にも一冊持っていました。一日中売り歩いても、買ってくれる人も、一ページすら読んでくれる人もいませんでした。少女はおなかがへりました。
 小さな少女の手は今にもこごえそうでした。そうです!夢小説が役に立つかもしれません。シチュエーションによれば高揚して身体があたたまるかもしれません。少女は夢小説を一冊取り出して開くと__心がメラメラもえだしました! あたたかくて、明るくて、小さなロウソクみたいに少女の心がもえるのです。本当にふしぎな夢小説でした。まるで、大きな筋肉ダルマの男性に包まれているみたいでした。いえ、本当に包まれていたのです。目の前にはフサフサの太いうでとあしをもった、筋肉ダルマの男性がいるのです。とてもあたたかい筋肉がすぐ近くにあるのです。
「ナマエ…いったい今までどこにいってたんだ?女性が身体を冷やしてはいけないだろう」
 彼は少女を抱きながら耳元でそうささやきます。
「まったくナマエは俺の心配な行動ばかりする…」
 少女はもっとあたたまろうと、男性のしげみの方へ手をのばしました。
「おい…っ?!ナマエどこを…!」
と、そのとき!夢小説の火は消えて、筋肉ダルマの男性もパっとなくなってしまい、手の中に残ったのは夢小説のもえかすだけでした。

 少女は別の夢小説を開きました。すると、心はいきおいよくもえだしました。光がとてもまぶしくて、かべがヴェールのようにすき通ったかと思うと、いつのまにか部屋の中にいました。テーブルには雪のように白いテーブルクロスがかかっていて、上にごうかな銀食器、色白の男性がのっていました。男性の身体の上にはリンゴとかんそうモモがおいてあって、その身体は熱をおびとてもおいしそうでした。
 そして不思議なことにその男性が胸にリボンを巻いたまま、お皿から飛び降りて、ゆかをよちよち歩き出し、少女の方へ向かってきました。
「ナマエさん、私ずっとこうしてまっていたんですよ?ずっとひとりで、こうしてあなただけをまっていました。全部あなたのものです。今夜は私をひとり占めにしてください…」
 そのとき、また夢小説が消えてしまいました。よく見ると少女の前には、冷たくしめったぶ厚いかべしかありませんでした。

 少女はもう一冊夢小説を開くと、今度はあっというまもありませんでした。少女はきれいな男性の膝に座っていたのです。男性はとても大きく、きれいな顔をしていました。それは、少女が画面越しに見てきた、どんなイラストの彼よりもきれいでごうかでした。Xの中にあるあざやかな絵みたいに、夢小説でつづられた何千もの細かい描写が、少女の頭の中できらきらしていました。少女が彼に手をのばそうとすると、夢小説はふっと消えてしまいました。

 たくさんあった夢小説はみんな、ぐんぐん空にのぼっていって、夜空にちりばめた星たちと見分けがつかなくなってしまいました。そのとき少女は一すじの流れ星を見つけました。すぅっと黄色い線をえがいています。「推しが死ぬんだ……」と、少女は思いました。なぜなら、彼が流れ星を見るといつもこう言ったからです。人が死ぬと、流れ星が落ちて命が神さまのところへ行く、と言っていました。でも、そのなつかしい彼はもういません。少女を愛してくれたたった一人の人は原作で死んでいないのです。
 少女はもう一度夢小説を開きました。少女のまわりを光がつつみこんでいきます。前をみると、光の中に死んだはずの彼が立っていました。「~~!」と、少女は彼の名前を大声で叫びました。「ねぇ、わたしをいっしょに連れてってくれるの?でも……夢小説を読みおえたら、あなたもどこかへ行っちゃうんでしょ。ほかのみんなみたいに、パッと消えちゃうんでしょ……」少女は夢小説の束を全部出して、残らず夢小説を開きました。そうしないと、彼が消えてしまうからです。心の光は真昼の太陽よりも明るくなりました。赤々ともえました。明るくなっても、彼はいつもと同じでした。昔みたいに少女をうでの中に抱きしめました。そして二人はふわっと浮かび上がって、空の向こうの、ずっと遠いところにある光の中の方へ、高く高くのぼっていきました。そこには寒さもはらぺこも痛みもありません。なぜなら、彼がいるのですから。



ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 大久保ゆう訳 マッチ売りの少女 THE LITTLE MATCH-SELLER (aozora.gr.jp)

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