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(浅井茂利著作集)高度プロフェッショナル制度のだめな理由

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1620(2017年11月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利

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 政府のいわゆる「働き方改革」の一環として、特定高度専門業務・成果型労働制(高度プロフェッショナル制度)が導入される方向となっています。労働時間規制の適用除外(ホワイトカラー・エグゼンプション)の具体化として提案されていますが、労働組合は激しく抵抗しています。高度プロフェッショナル制度がなぜだめなのか、改めて整理してみたいと思います。

高度プロフェッショナル制度の概要

 高度プロフェッショナル制度は、2015年の労働基準法改正案では、
*職務の範囲が明確で一定の年収(少なくとも1,000万円以上)を有する労働者が、高度の専門的知識を必要とする等の業務に従事する場合に、健康確保措置等を講じること、本人の同意や委員会の決議等を要件として、労働時間、休日・深夜の割増賃金等の規定を適用除外とする。
*制度の対象者について、在社時間等が一定時間を超える場合には、事業主は、その者に必ず医師による面接指導を受けさせなければならないこととする。
などとされていましたが、2017年の「働き方改革推進法案要綱」では、
*対象者に対し、1年間を通じ104日以上、かつ、4週間を通じ4日以上の休日を与えること。
が加えられました。
 高度プロフェッショナル制度をなぜ導入しようとするのか、その根拠について、労働政策審議会労働条件分科会における使用者側委員の意見から拾ってみると、次のようになります。
*職務の範囲が明確で、高い職業能力を持つ労働者のうち、例えば少なくとも1,000万円以上の年収のある者であれば、交渉力は高く、適切な業務量の目標設定が可能。
*「時間ではなく成果で評価される働き方を希望する働き方のニーズ」は確実にあり、人事考課の中で評価すればいいとの意見もあるが、より直接的にレスポンスできる制度を伸ばしていくのも経済発展のために必要。
*専門的・技術的な労働者がクリエイティビリティを十分発揮できるようにする観点から、積極的な議論が必要。

年収1,000万円以上なら、交渉力は高いのか

 労働市場では、もともと労働力の買い手である企業に対し、売り手である労働者の「交渉上の地歩」が弱いので、適正な賃金・労働諸条件を確立するためには、労働組合の組織化や、労働保護立法によって、労働者の立場を補完し、労使対等を確保しなくてはなりません。なぜ「職務の範囲が明確で、高い職業能力を持つ労働者のうち、例えば少なくとも1,000万円以上の年収のある者」であれば、交渉力が高いと判断できるのか、まったく意味不明、根拠不明と言わざるを得ません。
 「余人をもって代えがたい人」であれば、交渉力が高いと判断してよいかもしれませんが、そうであれば、「余人をもって代えがたい人」の定義を明確にすればよいと思います。少なくとも、上記程度では、到底当たらないと思います。
 もっとも、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)の例を見れば、客観的に見て、「余人をもって代えがたい人」であったとしても、交渉力が高いなどということはありえない、ということがよくわかります。
 高度プロフェッショナル制度の対象にするためには、本人同意が必要となりますが、「交渉の地歩」の非対称性からすれば、そのような縛りが気休めにすぎないことは明らかです。

「脱時間給」のまやかし

 次に「時間ではなく成果で評価される働き方を希望する働き方のニーズ」があるという主張ですが、これも意味不明です。高度プロフェッショナル制度のことを「脱時間給」と呼ぶ人がいますが、そもそも時間給ではないのに、なぜ「脱時間給」が必要なのでしょうか。
 経営側の主張が成り立つためには、「時間で評価される働き方」があるはずですが、すべての仕事の中で、「時間で評価される」ものはごく例外的だと思います。例えばパート・アルバイトでは、週3日勤務の人よりも週4日の人のほうが、雇う側としてはありがたいので、週4日のほうが時給が高い、ということはあり得ます。また、短時間正社員の制度が導入されている場合、短時間正社員は一般的な正社員よりも賃金・処遇が低めかもしれません。これらは、まさに「時間で評価される」ことになります。
 こうした事例を除けば、「時間で評価される働き方」の事例を思いつくことができません。以前であれば、年休取得日数が少ないので評価が高い、あるいは、いつも定時退社してしまうので評価が低い、ということがあったかもしれません。しかしながら、いまどきそんな評価基準があるとはとても考えられません。
 高度プロフェッショナル制度が、架空の根拠に立って提案されている制度であることは明らかです。

高度プロフェッショナル制度は長時間労働促進策

 もちろん、通常の労働時間制度では、基本賃金が同じ労働者の場合、所定外労働時間が多ければ、月例賃金が多くなります。基本賃金が同じということは、職能給制度の場合、同じ職務遂行能力を持っているということになります。同じ能力を持っている者で、月160時間働いた者と、月180時間の者を比べると、同じ品質の労働を20時間分多く提供しているわけですから、180時間の者が月例賃金が多くなるのは当然です。労働者に対する評価を示しているのは、あくまで基本賃金であって、所定外賃金は労働の量を単純に反映しているにすぎません。
 具体的に数値であてはめるとすれば、例えば、月160時間の所定労働時間で100のアウトプットが期待されているAとB、2人の労働者がいるとします。職務遂行能力が同一なので、基本賃金も同一で60万円だとします。ある月に、
A:160時間労働、アウトプット100、月例賃金60万円
B:180時間労働、アウトプット112.5、月例賃金675,000円
だとすれば、労働時間あたりのアウトプットは、二人とも0.625となり、Bに対して、20時間分の所定外賃金(75,000円)が支払われるのは、ごく当然のことになります。この例では割増率を無視していますが、割増率の分は、
*本来、所定労働時間は守られるべきであって、企業に対し、所定労働時間を守らせるためのペナルティー。
*所定外労働によって、労働力の再生産はよりコストがかかるので、その補填。
と考えればよいと思います。もし、
A:160時間労働、アウトプット100、月例賃金60万円
B:180時間労働、アウトプット105、月例賃金675,000円
であれば、経営側としては、Bに対して20時間分の所定外賃金75,000円を丸々支払うのは理不尽に思えるかもしれません。せめて30,000円(60万円×5%)にしてくれということだと思います。この理不尽さを感じるところが、通常の労働時間制度は、「時間で評価」しているという経営側の批判につながるわけです。
 しかしながら、こうした状況が1年間続けば、当然、次の査定の際、AとBの職務遂行能力は異なる、基本賃金が同額なのはおかしい、ということになるはずです。Aのアウトプットは労働時間あたり0.625、Bは0.583ですから、AとBの職務遂行能力の評価はこれに見合ったものに修整されるでしょう。
 経営側は、「人事考課の中で評価すればいいとの意見もあるが、より直接的にレスポンスできる制度」にしろ、と主張しています。「直接的に」ですから、アウトプットのみで評価し、アウトプット100で60万円の賃金なら、アウトプット110で66万円ということになります。一見、筋が通っていて簡便なように見えるかもしれません。しかしながら、通常の労働時間制度では職務遂行能力、この例では労働時間あたりのアウトプットが評価されるのに対し、高度プロフェッショナル制度では、職務遂行能力にかかわらず、時間をかけても、かけなくても、アウトプットが同じなら評価は同じ、賃金も同じ、というシステムになりますから、まさに長時間労働競争を生み出す制度ということができるでしょう。「健康管理時間」を把握することになっているのも、身体を壊す寸前まで働かざるをえないことの裏返しと言えるでしょう。

クリエイティブな仕事

 経営側には、クリエイティブな仕事には、労働時間は関係ないとの思い込みがあるように思われますが、これもまったく根拠がありません。
 クリエイティブであろうがなかろうが、すべての仕事は、ひとつないし複数の業務の組み合わせからなっており、業務は作業の組み合わせでできています。
 ひとりの人についてみれば、作業量を増やしても、必ずしもアウトプットに結びつかないかもしれませんが、作業なしにアウトプットを出せる人はいません。アウトプットを増やそうと思えば、作業量を増やさざるを得ません。以前本欄で、モーツァルトを例にあげたと思いますが、モーツァルトの場合も、
仕事:作曲家
業務:作曲、自作の演奏、営業活動
作業:楽譜に音符を書く、ピアノを弾く、指揮をする、宮廷や貴族と交渉する
などといったことになるでしょう。モーツァルトは猛烈に音符を書くのが早かったそうですが、モーツァルトの生涯のアウトプットは、生涯に音符を書くことのできた時間に比例しています。妻のコンスタンツェは、モーツァルトの死後、楽譜を音符ひとついくらで売り出したという話がありますが、作業量を正しく評価していると言えるかもしれません。

労働時間は、すべての労働者において規制されるベきである

 およそ近代の労働保護立法は、労働時間規制から始まりました。1919年に採択されたILO条約第1号も、「工業的企業に於ける労働時間を1日8時間かつ1週48時間に制限する条約」です。この一事をもってしても、労働時間規制は労働保護立法の最重要課題であり、すべての労働者の労働時間は、規制されなければなりません。
 現実には、年収1,000万円以上の人は管理監督者であったり、裁量労働制が適用されたりしていて、高度プロフェッショナル制度が創設されても、さほど影響はないかもしれません。しかしながら、裁量労働制から高度プロフェッショナル制度に転換される人がいるとすれば、労働条件の切り下げになる場合が多いだろうと思います。また、さほど影響がないからこそ、経営側としては、影響が出るように対象を拡大したいという意向もあります。現実に経営側は、「中小企業では年収1,000万円は役員クラスであり、(高度プロフェッショナル制度を)ほとんど活用できない。もう少し多くの働き手が対象となるようにすべき」と主張しています。今回の「法案要綱」で、企画業務型裁量労働制の拡大が盛り込まれているように、「少なくとも1,000万円以上」という年収要件は、あっという間に緩和されてしまうことは確実です。
 もともとホワイトカラー・エグゼンプションは、旧日経連が旧経団連との統合直前に打ち出したもので、旧日経連の意地がかかっているのだろうと筆者は推測しています。しかしながら、勤労者生活の向上と産業の健全な発展という観点からすれば、そのようなメンツにお付き合いする必要はないと思います。

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