人から好かれるのに、何者かどうかは関係ない

ちょっと考えてみてほしいのですが、あなたが好感を持っている知り合いの方やお友達は、「何かができる人だから」好きですか?

中には誰にでもできるわけではない特技や職業をお持ちの知人、友人がいるよって方もいるでしょう。でも通常、知人友人っていうのは大体「普通の人たち」なのではないでしょうか?(普通って言っても人って深く探っていけばみんな面白いと思うんですけどね。)

友達がそんなに多くはない私にも、何人かは友達、いるんですが、私はその人たちの一体どこが好きなのかを考えてみました。

・笑顔が可愛い(ニコッていう笑顔はみんな可愛いよね)。
・自分にはない視点を見せてくれる。
・趣味が合う。
・なんとなくウマが合う。
・自分から見て面白い。
・自分にとって好ましい。

とかでしょうか。結構漠然としています。ハッキリ言って、考えてもよく分からなかった。そして全部を満たしている必要はもちろんなし。でもウマが合うは重要かな?結局これが全てなのかも知れないですね。

「自分にはない視点」なんていうのは、「自分ではない人がもっている視点」なのだから、みんなどこかしらは必ず違っているはずだし。

それに何より、「私はスゴイ特技がある人とだけ友達になります!」なんていう人はいないのではないでしょうか?尊敬できる面がある人とだけ友達になる、などと決めていたとすると、何だか疲れそうです。

そりゃ、何かスキルを持っている人は尊敬しますし、学べるところは学びたいですよね。近くにそういう人がいたら、お近づきになりたいと思ったりもするでしょう。

でも別に、普段誰かと友達になる時「この人は一体何ができる人なのか?」みたいな目で見ることはないのではないでしょうか?

ということはですね、別に何者かにならなくては!なんて気合い入れて藻掻かなくたって、あなたや私もきっと、誰かしらにはすでに好かれているに違いないっていうことです(勝手に結論)。

そもそも何者かになりたかったのは、「愛されたかったから」ですよね?家族や友人やその他大勢の人たちに。

家族はその近さゆえに何か期待してくることもあるでしょうし、その他大勢の人々には有名にでもならない限り、存在を知ってもらえることすらないでしょう。

でも、知人友人はそんなことないわけです。しょーもない自分のことも、笑って面白がってくれたりする。

つまり彼らは、別にあなたに素晴らしさを求めているわけではない。むしろ私なら、あまりに完璧すぎる人を見ると、遠い世界の人に思えて親近感が湧かないですね。

例えばあなたが、夢を持ちながらも頑張れない人だったとします。ああ、今日も頑張れなかった。意味のあることが何一つ出来なかった。こんな自分じゃいつまで経っても何にもなれない。と自分を責めたとします。でも知人友人にとってはそんなこと「ふーん」てなもんです。この先あなたが何者になるかということと、あなたを好ましく思う気持ちには何の関係もない。いい意味でどうでもいい。

「一度きりの人生、何者かにならなきゃ。何かを残さなきゃ」なんて息巻いているのは自分だけで(大体昔の私です)、あなたを日頃好ましく思っている人たちから見たらそんなこと、あなたの魅力とはなんの関わりもないことなんじゃないかなって、最近の私はそんな風に思ってます。

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