敏感さと優しさの混同

「敏感である」「繊細である」=「優しい人」だと、なぜか勝手に勘違いをしていました。

確かに、人に対して優しい人って、気持ちが細やかだからそうなれるっていうのはありますよね。自分じゃない人が何を考えているのかを敏感に察することができる、または察しようという努力を無意識にしているという意味で。

知人から、いわゆるHSPだと打ち明けられたことがあったのですが、私は以前、その人の言動が悪気はないんだろうけどたまにキツイなーと思うことがあったので、そうなんだ??と何処かしら腑に落ちない感じがしました。

でも、音に敏感であるというその人の説明は多分本当で、間違いないんだとも思いました。大きい音が苦手なのを始めとして、誰かがたてる物音でその人の機嫌が悪いのではないかと過度に気にしてしまったりするのだとか。

しかしですね、中学時代の友人に始まりこの人ちょっと敏感だな、過剰なところがあるな、という人たちを振り返ってみて思うのは、「敏感=優しい」ではないということです。

そういう人たちは、自身の敏感さに翻弄される余り、他者への気遣いを逆に欠いてしまうことがあるのではないか?と思わされるようなことがこれまで多々ありました。

そして何故私が「繊細さ、敏感さ=優しさ」だと勝手に紐づけていたかというと、最初に言いました通り、人に対する優しさっていうのはやはり気配りという細やかさ(繊細さ、他者の気持ちに対する敏感さ)から来ているという側面もあるからです。

更に何故私が「優しさ」にこだわっているかというと、それこそが人間の最上の美徳だと思うから。

普段優しい人ならいくらでもいますが、窮地に立たされた時や周りがみんな離れていった時にも変わらないような優しさってあんまり見ないですよね。私は親が信用できない人だったせいか、この「突然豹変しないか、常に一定の優しさがあるか」っていう目で周りを見ているような気がします。

まあ、自分も含めて優しさ純度100%の人なんていないと思うし、近しくない人にまで優しさを振りまいていたら身が持ちませんが。

で、とにかく私は優しさに拘り、更には優しさと繊細さを混同していた結果、「私は繊細なところがある」と申告してくる人に対して嫉妬していたというわけです。

「は?そんなん私だって普通に毎日色々感じてるし、考え込んじゃうし、しょっちゅう傷ついてるし。」という具合に。

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