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バス男(上)

 新しい街は、まずバスからいく。引っ越しの前からすでに、運航の様子を調べ上げ、Googleマップで路線を確認し、現地を歩きすれ違うバスを実際に見ることで万全の準備をする。荷物の段ボールがまだ整理し切らぬうちから、行き先もないのにバスでぐるっと街の中を一周し、ときに行きつ戻りつ、ときにふと途中下車したりする。なぜそんなことをするのかと言えば、バスにはその街の性格が反映されていると私は信じているからだ。乗客の年齢層……高齢者が多いかどうかとか、住宅街を抜ける時の様子……どこで人が乗り降りするかとか、高校から乗ってくる生徒の態度……校則の服装規定の遵守具合がどうだろうかとか騒ぎ具合とか、そういうのを見る。
「分析は愛ではない。覗き見が愛ではないように」
 たしか、どこかで聞いた映画のセリフだったかと思う。私はリアルの繋がりでこんな話をしたことはない。なにせ、私がこのバス路線観測によって得る知見は、ネットに記事を公開して情報シェアするコミュニティ貢献のためでもなく、生業に資する真面目な調査活動というわけでもなく、ひとえに、私自身の、下卑たデバガメ根性の発露そのものに過ぎないからだ。
 高齢者が多いのを見れば、街の衰退具合や二十年以内に空き家が多くなって治安悪化がもたらされるのが予想される。別々の日に二度三度同じ顔の中年女性が住宅街の同じバス停で下車すれば簡単に住所がわかる。偏差値が低い高校の生徒は一目でそれとわかるくらいに程度が低そうに見える。まったく、バスは私にとって、昆虫学者が虫けらを観察しにくる森林よろしくだった。
 首都圏近郊のこの街も、この夏、私の観察対象になった。頻繁に仕事と居住自治体を変えてしまう私にとって、関東では三つ目の新しい街だ。そこは、一言で言えば、死と再生の街だった。後期高齢者ばかりの北部は死につつあり、東京へ数十分の路線が開通した南部は再生しつつあった。物件を選ぶ際、日雇い労働者に過ぎない私は、北部の築40年弱のアパートを選ぶしかなかった。すぐにバスを愛する作業が始まる。


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