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ジョーカーにならない方法を自分なりに考えてみた。

毎日、本当に忙しい。秋は諸作業が集中するのでとてもしんどい。

とても忙しくしてると同時にいつも考えてしまう。「どうしてもっとうまくできないんだろう」。いや、結果的には結構上手く出来ている。英語がわちゃわちゃの私からしたらかなり結果としてはいいのだ。私もすごいねって言うと思う。しかしこれには条件がある。

成し遂げたのが「私」じゃなければ。

私は、私をどうしても認めることが出来ない。自分を褒めることが出来ない。愛してあげることが出来ない。何度言われても誰に言われてもやっぱり自分を素直に全部は褒められない。

私はきっと自分が嫌いなんだと思う。昔は断言できた。ひどい生活してたから。ほんと、どうしようもなかった。でも、今はかなり心は穏やかでいられる生活をしてるはずなんだ。でもやっぱり、自分を心底許せない。これは病気だと思う。

システムがよくわからないので、いつまで無料なのかわからないけどとても心に刺さったコラム。自分が大嫌いって言うおじさんが自分はもういいから若者に助言をって言う相談。

読んだ時私自身は正直「やばいこのおじさんの気持ち超わかる」って思った。幡野さんは「あなたはいい人だと思う」「あなたと友達になりたい」って書いてあった。私はきっとこのおじさんとあったらおじさんも私も「あ、同じだ」って思うと思う。別に抱擁するわけでもない、熱く語るわけでもない。

「同じっすね」

って一言つぶやいて、会釈して、通り過ぎる。そんな感じ。

私自身はこのおじさんの思考に近い人は自分も含めて水面下に数多くいるのではと思っている。自分がそう思うからというのもあるけど。

なぜなら、この思考は私やこのおじさんのような「自分大嫌い思考」の唯一の光だからだ。その光とは。自分の自身のなさを肯定してくれる数少ない方法なのだ。

もう俺はダメだ。無理だ。だったら

せめて次世代に、せめてほかの人に、少しでも明るい光を渡したい。光は暗い場所であればあるほど光る。つまり自分の暗くてどうしようもない部分を肯定できる数少ない方法なのだ。俺がどうしようもないから光が余計に光って見えるだろ?若者よ。俺に構わずこの光を持っていけ!

もう誰に何を言われても自分を認められない。人と比べないとか、自分を自由にとかそんなこと言われても正直根底までは届かない。そのくらい傷ついて生きてきたんだ。こっちの気持ちなんてわかってたまるか!

っていう気持ちの中でその暗闇を活かす方法で少しは人の役に立てたら。。という気持ち、痛いほどわかる。

「JOKER」という映画が怖いらしい。(怖いからリンクも貼らない、絶対見ない)なぜ怖いって、これは私がよく読んでるひろゆきの唱える「無敵の人」の具現化のようだからだ。

この幡野さんのコラムでの「被害者が加害者に転じる場合」についての記述があるけど、ここで転じると被害者は「無敵の人」に変化する。みてないけど、「JOKER」も無敵の人なんだと思う。

そしてこのコラムでは「JOKER」にならなかった人の話なのだろう。でもここで忘れてはいけない点が1つ。それは結果論でしかないってこと。

でも、この

「俺はもうダメ、だからこの俺の暗闇を利用して光を輝かせてくれ」

と言う展開は、「JOKER」にならない方法の1つとして覚えておこうと思う。

モテなくてもいい、自分を好きにならなくてもいい、痩せなくてもいい、他人を気にしないとか宣言しなくてもいい。宣言して出来たらとっくにやってる。

「JOKER」にならない方法は「文学を読むこと」だと仮説を立てたい。ネットや動画じゃない。文字を読むこと。そして文字を読んで、考えて、考えた思いを書き記すこと。この思考サイクルの活性化、思いの具現化を自己回転させることで自己の暗闇を肯定し、文学から紡いだ明かりを照らしていく。これだな。

書き記した文章が「明日自分が殺されてこの世から消滅した時、自分以外の人が読んで自分は後悔しないかどうか」を判断基準にして書き記す。この探求のサイクルを繰り返していけば、きっと、きっと私は「JOKER」にならないはずだ。と思いたい。