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今時の若者は論を聞くたびに若い時の自分に「そのままでいい。生きろ」と囁きにいきたい。でもできないんだよね。だから。

今時の若者(注;私とって40歳までは若者ね。なぜって?私がおばさんだからよ!異論は認めない)論を読むと本当に胸が張り裂けそうに辛くなります。

この手取り15万円の記事を選択しようとした時、「節約方法」の記事が多いことにも非常に驚きを感じました。私はバブル世代なので当時はすごいお金の使い方でしたからね。。。予想もできないって人はこちらの映画とかどうぞ。広末涼子さん、ずっと可愛いですね。

あの頃の若い人たちは(自分も当時は若かったけどあえて若い人たちと言うぜ)は本当に自信に満ち溢れていました。明日も絶対いい日、明日は昨日より絶対良くなるって信じ切ってました。

なので当時から自己肯定感マイナス女子大生だった私はほんと、相手にされませんでしたわよ。当時のキラキラ若人にはね。

だから、内閣府の「若者の自己肯定感に関する調査」とか読むとわかるわかると頷いてしまうのです。が。。。。

なんか、自己肯定感低すぎ若人、多いのね。。

でもね。なんかね、わかるんですよ。私の若い時は一部のこじらせ女子が自己肯定感とかなんなのよとか思いながら静々と働いていれば、それなりの給料が入ってきたわけです。そしてそれなりの娯楽もあった。税金も政治もここまであからさまじゃなかった。

でも、今ってよってたかって中間層に「未来とか思うんじゃねえよ、黙って差し出せ」ってじわじわ壁に追い詰めてる感を感じるんですよね。日本で子育てをしてる時に少しでも子供を自分で褒めると「そういうの控えめにしたほうがいいよ」って言われたこともありました。子供は人前では厳しく怒鳴っていくしかないと思ってました。だって、厳しくしないとダメだからってずっとずっと言われてきたから。

でも、当時は、まだ金銭的な見返りとか環境的な改善とかを私が若い時は多くの層が感じることが出来たわけです。でも、今は明らかに「得てる層」と「得ていない層」がある。

この得ていない層ってのは金銭的、環境的もそうですが「リア充的」ってのも可視化されたのが近年の傾向ですよね。いろんな集まりがあったりイベントがあったり。以前だったら知らなくて済むことが簡単にネットで流れてくる。こういうのに行ける人はいいよね。でも行けない人もいるわけよ。金銭的に無理、仕事が抜けられない、家族の協力がない、病気や介護で無理、などなどなど。

このいけない場所の楽しい様が流れてくるのって地味にしんどい時がありますよね。わかりますわかります。そして、状況的には行けても精神的にめちゃしんどいっていう状況もある。

平日や会社や何か役割があるイベントなら社交的に振る舞える。でも帰ったらすごーーく疲れるっていうことありませんか?少なくとも私は疲れます。疲れ果てます。四人以上のただの食事会とかなるべく行かないようにしています。

今、私は東南アジア住まいなので、基本的にコミュニティに所属しないでやっていけています。自ら孤独を選択してるわけです。でもこれって誤解を覚悟で言うと

若くないから出来るようになった

ですよね。

若い人だとこのつながり続けるご時世、孤独が怖くてしょうがないと感じる方は多いと思います。痛いほどわかります。でもね、歳を重ねてわかったことを説教くさく言わせてください。

孤独って案外大丈夫だし、人から「孤独って思われてないかな」なんて心配することない。誰もあなたのことをそんなに続けて思っていない。

ただ、本当に辛かったら逃げて。我慢しなくていいから逃げて。だって生きててほしいから。若い時の自分に言えないから、今社交的コミュ障で自分に悩んでる人に伝えたい。大丈夫、そのままでも大丈夫だから。

今日はみんなぐっすり眠れますように。私も早目に寝ようと思います(多分無理だけど)