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小説『空生講徒然雲25』

ふらふらしている。鬱々不安骸骨のタナカタさんのことだ。ヤマハSR400に跨がりシマさんの腰を、膝蓋骨でしっかりグリップしているのだが、なにかふらふらしている。電線から落下でもしたら、どうなるかわからない。私の『?』で釣り上げられて済めばいいのだが。落下の衝撃でタナカタさんの骨がばらばらになったらどうする。私はプラモデルを最終型まで組み立てられた試しがない。私はタナカタさんの眼窩をのぞき込み、手をちらちら振ってみた。タナカタさんの反応がない。つまり、見えていない。
鬱々不安骸骨だから見えないのか。もともと盲人だったのか。
「タナカタさんは、目がみえないのかしら」私の様子を窺っていたシマさんが心配そうに振り返っている。
「カタカナカタ、カタカナカタ、カタカナカタ」、私は私の頭の『?』に居座るつもりでいる青猫に翻訳を頼んだ。
「みや」、そうだ。と言っている、ことになんとなくした。
私はカワサキW650の荷台のバッグから、ロックストラップを取り出した。
「シマさんにタナカタさんを縛り付けていいですか」とお願いした。シマさんは快く「はい」といってくれた。
「しばらくのあいだですから」、私は、新潟と福島の県境の新潟から、新潟と長野の県境の新潟に行き先を改めたことを告げた。
「眼病に効く不動尊があるんです、そこへ行きましょう」
狐の嫁入りの前に、まず、龍ヶ窪の水で目を清め洗いながしたあと、『見玉不動尊』で、鬱々不安骸骨のタナカタさんに目を入れてもらおう。そのほうが安心だ。

私たちの進路は埼玉の鉄塔から関東平野を取り囲む山々を上り、三国峠の県境の長いトンネルの上を走り南から雪国に入ることになった。まだ、雪の降る季節にはずいぶん早いけれど。稲刈りの時期だ。結局、私はまた故郷の土地にもどり、こんどは北上するということか。いったりきたりの空生講徒然雲だ。予定外のことばかりおこる旅。御師としての私の判断はいまのところ間違ってはいないだろう。
青猫タルトは眠そうに『?』でくるんとしている。「みやん」と啼いた。しばし眠るから着いたら起こしてくれとでも言っているようだ。

「この大腸の世界は夜が明けないのですか?」
私は突然のことで、ぎょっとした。色々あり過ぎたのだ。おもちと胃と小腸と大腸と肛門でこの世界をシマさんに説明したことをわすれていた。
「と、とうぶん明けません、暗やみから、薄明、薄暮、暗やみをくり返してゆくだけです」
「とうぶんとはいつでしょうか」
私は息をのみ、「言いづらいことですが、それはシマさんが完全に逝かれるときです」と、はっきり言った。
シマさんの身体がぐっとこわばったのがわかった。顔はバラクラマでわからない。それはそれでありがたい。今度から面ではなく行者にはバラクラマを配ろうか。空生講徒然雲くそこうツーリングの終わの日にはそれは見事な青空が広がるのだ。シマさんの最終目的地、種山ヶ原の周辺がひかりに包まれることになる。私はできるだけ、はぐらかすことがないようにつとめている。私が知っていることならなんでも伝えるつもりだ。それでもこの世界はわからいことだらけなのだから。
「この空生講徒然雲の途中でも遠くの空に、薄明、薄暮ではない、それ以上のひかりが見えることがあるでしょう」、それは、私とはまた別の御師が役割を終えて、何者かの行者が完全にこの世界から逝ったということなのだ。
「私はオートバイ専門の御師です。でもこの大腸の世界にはタナカタさんのような自死者専門の御師や、さまざまな御師がいるのです」
音楽家には音楽に精通した御師。病死にはその病理専門の御師。死刑者に死刑執行人の御師が就く。それが、もの生む空の世界のことわりだ。
「あちらこちらに御師がいます。ただ残念ながらその姿は御師どうししか見えないのです」
「みえやおん」と、青猫タルトが西の薄明の宙空を目で追っている。飛行機乗りの御師が親指を立てた。やはりただの青猫ではない。
「ずるい、タルトにはみえるのね」
当たり前だというように「みや」と啼いた青猫タルトは、再び眠りにつくように欠伸をした。「みやあん」
「さあ、みんな。アタシが逝くまでの間ですけど。楽しい空生講徒然雲にしましょう」
「タンッタタン、タンッタタン」
「ドッドタリドタリ、ドッドタリドタリ」
「カタカナカッタ、カタカナカッタ」
青猫タルトは返事をしない。青猫の狸寝入りだ。仕方がないので私が「みや」と返事をしてあげた。シマさんはニヤリとしてヤマハSR400レッドスターのアクセルを開けた。私のカワサキW650もそれに続いた。
薄明の埼玉の鉄塔から2台の鉄塊が北向きの電線に飛び乗った。すこしたわんで反発した電線がゆれながら空生講徒然雲一行を迎え入れてくれた。
「みやっ」、青猫タルトの狸寝入りの邪魔をしてしまったようだ。


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