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小説『空生講徒然雲15』

秋の東京の終電の終わりに、山手線を周遊するカワサキW650があった。ヘッドライトは東京タワーの足下を照らす。まだらにひかるネオンの町にホタルイカのひかりも配られていた。かれらはどこにでもいる。『もの生む空の世界』のマスコットキャラクターのようだ。

海風がビル群を複雑に通り抜けているのがわかる。私の髪はぐしゃぐしゃだ。見上げる先にはその東京タワーがあった。その少し上の宙空に風見鶏が風に吹かれて回っている。鶏を模したものではない。はるかに巨大な鉄塊だ。
「私のオートバイ。なのか」そう、私はつぶやいた後、事故で廃車になった懐かしい愛車を思い出していた。
私は、東京タワーの宙空にうかぶ鉄塊の風見鶏を、「惜しいオートバイを廃車にしたんだな」と、その美しさに目を奪われていた。往年の初代を彷彿とさせるようなデザインの20周年モデルだった。色は『ディープレッドカクテル2』。だれもそんな色を覚えてはいない。赤ワイン色だと思っていた私のオートバイが渋い赤カクテル色だと知ったのは、廃車になった後だった。

私のカワサキW650のタンクには、『KAWASAKI』文字の金属のステッカーが貼ってある。私はオートバイメーカーの文字がタンクにあってほしいタイプの者で、宙空で回っているそのオートバイにも初代そっくりのメーカー名のステッカーが貼ってあるはずだった。
東京タワーを見上げる私にはそこまで判別できない。「どうだろう」、ノーマルタンクの良さをわかっている者であってほしいと私は思っていた。

私は待っている。宙空にうかぶ鉄塊はまだ、空車だ。オートバイには跨がる者が必要だ。「タッタッタッタ」宙空から単気筒の小気味よい排気音がする。アイドリングは安定している。よく整備されていたオートバイだ。見失った主人を待つようにいのちを吹き込まれたオートバイが風に吹かれて回っていた。
「くる」、そんな気がした。その瞬間、東京タワーの宙空に「にゅるん」と口が開いた。
女が降ってきた。ア・バオア・クウから脱出するように、オートバイにむかって漂いはじめた。
女を受け止めるのは、98年式の赤ワイン色の『ヤマハSR400』だった。女の意識はまだ朦朧としているはずだ。ヤマハSR400はこなれたように上手く宙空で女を跨がらせた。しぜんな動きだった。1.2年の付き合いではこうはいかない。

ここで私の出番だ。私というより『?』の出番だ。『?』は小型ロケットのようにしゅるしゅると煙を吐き出し、東京タワーの宙空にむけて飛び立った。『?』は釣針のような、仏様の手印のような形でヤマハSR400に跨がる女を包み込んだ。


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