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『南面赤城山の向こう』

なんども、なんども、なんどでも赤城山を描いてゆくのかもしれない。
そんなちょっとした決意がうまれつつある。この決意は諦観から来ている。
もう、これからの私の人生には大きな起伏はない。まったくもってやや下り気味の、フラットだろうという境地でもある。
終の住処がとうとうこの辺りで収まるだろうという高確率の答えがでているからだ。『この辺り』にも幅がある。
土地という意味と収入という意味と人付き合いという意味もあるかも知れない。せいぜい「この辺りか」が正直な言い方だ。

私には、億劫を超える力がない。だから赤城山を描いている。
赤城山は赤い訳ではない。私の見る赤城山はたいてい、南を向いている。それは私が赤城山の南に住んでいるからだ。そして、億劫だからだ。テキトーでもあるからで、『テキトー決心』で描いている。私の人生に一大決心はない。つねに二心をもって柔軟にふらついて暮らしている。

冬場の赤城山の北面は雪に覆われているはずだ。南面からは想像ができない世界が広がっている。南面赤城山の向こうからは雪国なのだ。
雪国を、大袈裟に言うと、北面赤城山から東北を北上して北海道を渡りオホーツクに出る。そこからシベリアを越えて黒海沿岸まで続いている。もちろんバイクでは行かれない。赤城山もまた、南北の顔を使い分けて二心をもっている。
そんなところも、私がこの山に惹かれる理由かも知れない。雪国という大きな一括りの東の始まりが赤城山で西の終わりが東欧なのだ。



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