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愛とは美しさの事(私見)

※ 写真は、今年の薪ストーブの初火入です


愛とは「美しさ」である

以前の僕のブログで
日本の文化に「愛」と言う表現は存在しないと描きましたが

今日は
何かの記事で「優しさに触れて愛を感じた」と言う事が書かれてましたので、感じた事を記して置こうと思います。

よく
愛とは
「優しさ」だと言われがちで、思われがち・・・

それは
美しく純粋な心の持主が
たまたま表現した行為行動が
「優しい言葉」や「優しい行動」
に現されただけです。

それは
その人の根底に「美しさ」が有るからこそ
優しさが行動として表現出来ているのです。

人に1番大切なのは純粋さです。
純粋さの表れが美しさです。

だから
幼い子の行動や発言に愛らしさを感じたり
動物の行動に愛おしさを感じるのだと思います。

純粋な生き物には「嘘」や「駆引き」が無いから。


一瞬
「優しい」と感じたからと言って
それは必ずしも「愛」ではありません。

美しさから出た言語態度の表現には
必ず「優しさ」が伴います。

しかし

美しい心や良心を
全く持っていない人でも
他人を操作する為に「優しさ」をアピールする事は過剰な程出来る。


特に言葉を生業とする人たち・・・

優秀な詐欺師
優秀で悪徳な水商売の人


その様な
「欲望」の中だけを生き甲斐にしてる人たちは
お金儲けの為に、上手に言葉を操る人が多いです。


とても柔らかい表情で
相手に受け入れられやすく
耳障りも良く
相手が喜ぶ言葉
相手の心を奪うような言葉
心を鷲掴みにする言葉を
絶妙なタイミングで放ちます。

とても上手に巧みに・・・。

しかし
そんな言葉の数々を
よくよく反すうしたり
整理してみると
その言葉には一貫性が無い・・・。

そして
その人の「言ってる言葉とヤッてる行動」には、大きな誤差が有ることが殆どです。

行動を確認しろ・・・・

相手にその事を指摘すると必ず

「いやいや、それは誤解だよ」
「いやいや、それはお前の勘違いだよ」

いつの間にかに
自分が悪かったかの様に扱われている事があります。
そこに
上下関係が有ったり、利害関係がある場合
目下の者はついつい
「あれ?!自分が悪かったのかな?!」
と思ってしまう様に仕向けて来ます。


そして

「俺とお前の仲じゃないか」
とか
「今まで苦労を共にしてきた仲だろ」
とか


子供の為に
とか

親の為に・・・
お年寄りの為に・・・
とか



「情」に訴える言葉を使い並べます。



そして
自分が、さも弱っている状態を見せ
「俺って可哀想だろ」を半泣きの表情で表現してきます。


口が上手い奴・・・

どれも
潔さが無いし
美しくない・・・・。

純粋さから掛け離れている。

美しく感じない物事には警戒して
その人のヤッてる行動を確認します。

そして
「美しくない」と判断出来たら
全速力で「逃げる」

この様な人々に「断わる」事を告げても
相手は言葉を生業にする人
言葉が仕事の超一流者ですので

相手の
・人の「良心」を突く言葉で持ち上げて
・人の「情」を突く言葉で気を引いて

相手を
・「不安」にさせる言葉
・「混乱」させる言葉

これ等の言葉を並べたて
それをグルグルと回転させ混乱させて来ます。

右へ左へ、前へ後ろへ、上に下にと
こちらがヘトヘトに成るまで揺さぶります。
言葉による「八方崩し」です。
それを相手が倒れるまで行います・・・。


そして
長い時間を使って
精神的にフラフラさせられ
いつの間にか納得させられてしまいます。

拷問です

その様に
華麗に
見事に不利な方へ持って行かれる事がよくあります。


その人の言葉や態度に「美しさ」が無い時は警戒し、
「美しくない」と判断出来た瞬間

何も言わず
振り向かず

全力で「逃げる」事。

相手は
自分との関係を「カモ」として利用しようとしているだけで
そこに「愛」はありません。

「口の上手い人」に美しさを感じる事は殆どありません。

口の上手い人に「純粋」な人は居ないと思ってます。



言葉と行動が一致している人は疑う余地が無いので信頼関係が築けます。

しかし
言葉と行動が一致していない人は
行動が出来ないので
出来ない分を言葉で補ってる人です。

相手が混乱するように
理解困難な難しい単語や熟語
意味を調べないと解らないような横文字を得意気にスラスラと多用する人が多いです。

そんな単語や熟語や横文字を調べてみると、使い方が間違っていたり、意味が薄い言葉だったりする事がほとんどです。

その特徴を持った殆どの人は行動が伴わない。
信頼出来ません。

人間関係を構築するに絶対に必要なのは、お互いの信頼関係です。

僕は口の上手い人と信頼関係を持つ事はあり得ません。

今まで体験してきた組織の中では、大体、1/50人の確率で存在してます。
それに加え「予備軍」も存在するので、かなりの確率で遭遇します。
何処の
どんな組織でも、50人前後の人が居れば、必ず遭遇します。


まず口が上手くて
人間関係に違和感を感じたら

その人の行動は確認しろ・・・です。

停電に成りましたが、自家発電システムで問題なし


色々な物事の中の
小さな美しさに気付く心が備わった時
人はやっと「愛」と言う物を感じる事が出来る。

その
美しさに気付ける人は

素直な心
純粋な心
真面目な心

相手の純粋さと、自分自身の純粋さが共鳴するから気付けるのです。

この心は
大人に成れば成る程
自分自身と真面目に向き合う時間を大切に作らなければ手に入らない(僕はマダマダだなぁ・・・)。

美しい心
純粋な心を持つ人に宿るのが愛。

美しさや純粋さに意識していると
(コレは何が美しいのか)
(コレの何処が美しいのだろうか!?)
と観察をする意識が変わる

美しい色
美しい並び
美しい線
美しい形
美しい景色
美しい音
美しい声
美しいメロディ
美しい香り
美しい感触
美しいバランス


そして
優しさの中に美しさは有るのか
強さの中に美しさは有るのか

そんな物に敏感に成ります。

自分の中の純粋さ、美しさを磨く事

自分が自分自身の心と
答えが出るまで向き合い続けると
豊富な美しさを感じる事が出来る。


そして
美しさの数以上の愛を感じる事が出来
それを幸せに感じる。


その意識に
意識をしていると、見た目だけの美しさを見破る能力まで備わってしまう。


偽物の美しさには、必ず違和感を感じる様に成る。



物事が起こった時
自分自身に焦点を向け、自分の美しさを純粋さを意識している事。


自分自身が純粋さを失っている(美しくない)と感じたら、直ぐに修正を加え、自分を(美しい状態)に戻す事。

そうすると
敏感に沢山の小さな美しさに触れられ、この世は愛に溢れている事に気付く。



一方

自分が自分の心に焦点を合わせられない状態や
自分が自分自身の心との向き合い方や向き合う質が浅いと


物事の全ての原因は

他人のせい
社会のせい
組織のせい

自分の外側のせい

にしてしまう事が多い。


その様に意識が薄いと

美しさは素通りしてしまう
愛にも気付けない
幸せにも気付けない
そして
簡単に「偽物の美しさ」に騙される

小さな美しさに気付いて、人の心が動いた時、その気付きによりその人の働いた作用が愛情である。

小さな美しさ
それを敏感に感じられる心を育てる事が
先祖が子孫へ
親が子へ

導く大切な教育だと思っています。

美しさが
解らなくなったら

人間以外の物を見てみれば良い

山や川
海や空
雲や影
星や月

人間では再現不可能な美しさとスケールの大きさで作られている事に気がつく

また
「天然」に生きる動植物や昆虫を見れば

孤高に生きるその
力強さ
気高さ
を美しさとして感じられます。


愛とは
美しさの姿であって
優しさでは無い。


だから

月が綺麗ですね・・・


なのです。

いつもの場所で

他にも
優しさが愛では無いと言う事で

自分の発した優しい言葉に「酔っぱらってる」人、自分の正義に酔ってしまい、他人へ危害を与えてくる迷惑な人達も沢山居ますが、それはまた、書く気分に成ったり、書く重要性が高く感じたら書こうかなと思います。

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