養生大意抄01_3

江戸の伎芸から学ぶ、よりクリエイティブになる方法 - 養性訣解説12

養性訣解説は今回が最後になる。

これまでをざっと振り返ると、毎回、平野重誠著の『養性訣』の中から、心身の健康を取り戻すための、方法や考え方を解説してきた。最終回である今回は、いつもと違い健康の話だけでなく、仕事にも応用できる内容を紹介する。

今回読んでいくのは、『養性訣』下巻の最後の部分になる。ここには日常の立ち居振る舞いや、意識を少し変えることで、伎芸の質をあげていく方法が記載される。

現代的な言葉になおすと、よりクリエイティブになるための、体と心の使い方だ。ではいつものように、まずは原文を読んでみよう。


自分が本来持っている創造性やセンスを最大限に引きだす

【原文】
もし此術に従(したがい)て、呼吸を調(ととのへ)んには、その坐(すわる)には、臀肉(しりのにく)を以て席上(たたみのうへ)を圧意(おすこころもち)をなし、歩行には、気息(いき)を以て小腹(したはら)を牢紮(ひきしむる)やうにして、脚歩(あし)よりも小腹(したはら)まづ進(すすむ)が如くし、その面(おもて)人に対し、眼に外物を視(みる)ときにも、心にはかならず臍下を観(みる)の念を、瞬時も忘失(わする)ることなければ、その外物(もの)と交(まじはる)ところの妄心(もうしん)自断(おのづからたえ)て、心識(こころ)安定(おちつき)、陰陽和適(ととのふ)ことを得る捷径(ちかみち)の法なり。

(平野重誠『養性訣』巻下十二ウ、京都大学富士川文庫所蔵)

日常の立ち居振る舞いから、心身を安定させる基本として、まず座り方や歩き方が説明され、続けて伎芸における身体と心の使い方が述べられている。以下にひとつずつ解説していこう。

(1)座る - お尻で座面を押すように

座るときは、お尻で座面を圧迫するような意識で、下腹全体を安定させる。上半身は力をゆるめ、丹田呼吸をしながら作業をする。デスクワーク時にこれを行うと、疲れにくくなる。

(2)歩く - 腹から歩む

歩行時は足よりも、下腹が先に進むような心持ちで、腹から歩く。その際、吸気を下腹に満たして、引き締めるように意識する。

下腹から歩くといっても、身体を反らして歩かないように注意したい。下腹部が原動力となって、正しい姿勢のまま、身体全体が前に進むというイメージにする。

この歩き方をすると、不思議と気が引き締まり、やる気もわいてくる。

(3)伎芸 - 創造性とセンスを引きだす

人や事物に対する時、どうしても雑念という第三者が入り込んでしまうことがある。特に芸術家やクリエイター、士業、サービス業など、人や事物と向き合う職業は、雑念が仕事の質の高に大きく関係してしまう。雑念が多いと、ロクな仕事ができない。

雑念は「対価」という言葉に置き換えることもできる。芸術家やクリエイターの方の場合は、創造物と自分の間には本来存在しない、対価という第三者が入り込むと、モチベーションはあがっても、集中の邪魔になってしまう。

人を相手にする職業でも、よい仕事をするためには、主体と客体との間に、対価という第三者を入れてはいけない。

では、仕事において人や事物に対するとき、いつの間にか入り込むこの第三者は、どのように克服できるのだろうか。

その基本となるのが、丹田への意識だ。下腹を意識しながら心を静かにし、その状態で人や事物に向き合う。

あまりにも簡単なことで拍子抜けしてしまうが、試しにやってみて欲しい。具体的なイメージとして、書道、茶道、音楽、馬術、弓道、医術における例が記載されているが、そこから自分の仕事に応用してみよう。雑念の抑制ができ、集中しやすくなる。

以下にそれぞれの伎芸の例を順に読んでいく。

・書道における丹田

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【原文】
胸肋より手腕にいたるの間はすべて空洞(からつぽ)にして物なきが如く、ただ臍下の気力を筆尖に貫通(ぬきとほ)し、筆よく手を忘れ、手よく筆をわするるの境(さかひ)に到(いた)らば、運転自在の妙を得べき也。

基本としては、意識を丹田に集中し、手や胸回りは空洞のようにゆるめる。そして丹田の気力を筆に伝え、手に筆を持っているのを忘れているかのような境地で書くという。手と筆が一体化しているという感覚だろうか。

・茶の湯における丹田

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【原文】
己が頭面を臍下へ没入するの観をなして、丹田と水注(さし)との正中を、心を以て相対せしめ、その高低を自然にまかせ、手脚を忘(わすれ)て運び出す也。

書道と同じく、茶の湯においても、水差しを運ぶ際は、丹田と水差しの正中を合わせることに集中し、あとはそれを運ぶ手や足の存在を忘れるようにする。

・音楽における丹田

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【原文】
音は、革にあらず指にあらず。指と革と相搏の顫動(ひびき)を、風気に伝へて、耳に送るなれば、今臍下の気息(ちから)を外気に和することを得(うれ)ばおのづから人をして感ぜしむるの妙処に到(いたる)べし

鼓(つづみ)の後面へうちとほす。これ一気を以てつらぬくなり

鼓の音は、指と革が触れることによる振動だとし、その際、臍下の力を外気に融合させるようにする。鼓は気を後面に貫き通すように演奏する。

・馬術における丹田

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【原文】
馭馬(うまのり)の法は、丹田の気力を充実(はりつめ)て、支体(からだ)を虚無になららしむれば、精神自然と両鑣(くつわづら)四蹄(よつのあし)を透貫(ぬけとほり)て、鞍上に人なく、鞍下に馬なきの機(かねあひ)を自得し、四技〈鞍、轡、鎧、鞭。〉三術〈合節。知機。処分。〉学(まなば)ずしておのづからその妙に到るべし。

すべて臍下の力のみを以て馬を自在に動(うごか)す也。

この手綱と、とる手をともにわするる也。

ここに記載される「鞍の上に人なく、鞍の下に馬なし」はまさに人馬一体の境地だろう。馬に乗る時は、丹田の気力を充実させ、臍下の力のみを用いて馬を動かすという。また、書道や茶の湯のように、手綱を取る手も、まるでそれを持っているのを忘れているように扱う。

・弓道における丹田

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【原文】
勁弓(つよきゆみ)を彎(ひき)て、よく中(あた)ることを得るの力は、臂腕(ひじうで)にあらず。指頭(ゆびのちから)にあらず。ただ身体の正中なる、丹田の枢軸(しんぎ)より発せし一気を以て、発(はなた)ぬ先に的(まと)を貫(つらぬ)くなり。唐の太宗の本心正しからざれば、脈理皆邪なりといへるは、いまだ尽(つくさ)さざるところあり。

これもまた、その胸肩臂指(むねかたひぢゆび)を虚(きよ)にして、ただ臍下に気息(いき)をはりつめ、その心を以て的(まと)にむかひ、眼を以て視ることをいましむべし。

強い弓を引いて命中させるのに必要なのは、腕や指の力ではない。上半身を空虚にして、丹田より気を発するようなイメージで行うとよいとのこと。また、的(まと)は心で見るもので、目で見て狙うものではないという。なんだか少年漫画的だ。

・医術における丹田

【原文】
既に甲斐の徳本翁(とくほんおう)も※、息を臍下に充実(みた)しめ、心を虚無自然の地に任(まか)することにとりて、その著(あらはす)ところの極秘方といふ書に、すべて病人をみるには、心中に一点の念慮なく、気海丹田へ気をおさめ病人もなく、我もなきところより手を下せば、自然にみゆるものなりと、記せしは、よく此意を得たるが故なり。
 ※永田徳本という戦国末から江戸初期に活躍した医師。

最後に紹介するのは、医術における丹田について。上にある永田徳本の診断は、医聖と呼ばれるだけあって、ある種の超人的な技のように思える。

普通の人は、どのように日々の臨床に応用すればよいのだろうか。これは私が鍼灸師として、普段意識していることを例にあげて紹介しよう。

東洋医学の診断法は、五感をフルに使用する。その中でも触診は切診(せっしん)と呼ばれ、腹部や背部や脈を手で触れて観察し、内臓の状態などを推測する。当然ツボを探るにも機械など使わず、手で探っていく。

こういった手を使った診断の正確性は、指頭感覚の訓練によって日々向上していく。そしてその訓練によって得られた指頭感覚を、臨床現場の中で最大限まで引き出すためには、高い集中が要求される。

例えば、私は普段ツボをさぐっていく時、余計なことは考えず、丹田を意識し、心を落ち着かせながら手を動かすようにしている。こうすると、いい加減に触るよりも、はるかに指の感覚が研ぎ澄まされる。

鍼を操作するときも、手と鍼が一体化しているように意識し、無駄な力を入れずに操るようにする。

このように、心の状態が手の感覚や動きに影響するというのは、鍼灸師をしている私にとっては、ものすごく腑に落ちる。これは手を使う全ての仕事に共通することだとも思う。

思い邪(よこしま)無し

人や事物に対する際、究極に集中すると、主体と客体の区別を忘れるくらいの境地になるようだ 。書道における筆と手のように、使用する道具との一体感も得られるという。その境地へ到達するための手助けとして、丹田への意識が利用される。

こうなってしまうと、心の中に雑念が入り込む余地などない。それが質の高い仕事につながっていく。

『養性訣』の最後のページには、さらに以下のようなことが記載されている。

【原文】
大にしては天下国家を治め、小にしては凡百(さまざま)の伎芸(げいじゆつ)も、心術(こころ)を主にせざるは皆膚浅(うはべ)のことになりて、実用にたちがたし。

何をするにも「心づかい」を大事にしなければ、うわべだけ取り繕ったものにしかならず、実用に足らないものになってしまうとある。

上巻では『論語』の次の言葉を引用して、養生の要点としていたことを思い出す。それは「思い邪(よこしま)無し」だ。

平野重誠が読者に最も伝えたかったことは、心身の健康のためにも、よい仕事をするためにも、人として誠実であれ、ということだったのかもしれない。


【原文の完全版はこちら】

【今回読んだ部分】
巻下十二から巻下二十一
底本:平野重誠『養性訣』(京都大学富士川文庫所蔵)
凡例:第1回目の解説最下部

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