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「平成から令和へ」 その3

時代は「大化」の頃。余談のような実話です。
福岡から農民武士として白村江の戦いに参戦した、大伴部博麻(おおともべのはかま)という人物がいました。彼は、白村江の戦いで捕虜として捕まり、日本に帰国できたのはなんとその約30年後でした。その背景には、彼の英雄的決断がありました。

大伴部博麻は唐の長安で捕虜生活を送っていました。当時は、捕虜といってもかなり自由であったらしく、同じく唐で半幽閉生活となっていた遣唐使の4人と知り合うことになります。
その時に大伴部博麻は、「唐が再び軍備を整えて日本を攻める」という噂を耳にします。しかし、日本に知らせる方法がありません。
彼は考えた末になんと自分を奴隷として売り、そのお金を遣唐使4人に渡したのです。遣唐使たちが無事日本に帰ることができたために唐の侵略計画を知らせることができました。

天智天皇(かつての中大兄皇子、西暦668年即位)はその知らせを受け、沿岸警備の強化と、近江大津(滋賀県の琵琶湖西端)に都を移したと言われています。
結局、唐が攻めてくることはありませんでしたが、白村江の戦いの翌年から防衛のために整備した水城・大野城・大宰府は、現在でも福岡に地名と遺構が残っています。
ノンフィクションのこのお話は、現代でも同じ価値観である他人のために尽くす精神を伝えています。

元号がスタートした「大化」の時代から、これだけの物語を語ってきました。
どうでしょう、約1400年経過した現在と、なんだか状況が似ているような気がしませんか。
「尖閣諸島に領土野心をむき出し、最終的には沖縄を狙う中国」「竹島を不法占拠、嘘捏造ヘッチャラな韓国」「同胞を拉致し、核を向ける北朝鮮」「北方領土を不法占拠するロシア」・・・似ているというよりも、さらにエスカレートしている気もします。
日本周辺の情勢は常に緊迫しているということです。

明治以来、元号は一世一元とされ、より皇室との結びつきを感じる存在となっています。
ぼくは、IoTと移動手段が発達したグローバル化の時代だからこそ日本人としてのアイデンティティが大事になっていると思います。
今だからこそ、はじめて出典を中国の書籍から日本の国書の「万葉集」とした意義は大きいと思います。
万葉集は西暦700年代に編纂され、一般庶民・防人・遊女から貴族や天皇まで幅広い層の人々が詠んだ歌が載っている、世界に類を見ない最古の歌集です。遙か昔の文化から、日本的な柔らかさと寛容さを感じます。

あなたは、もし外国人の友人に「日本人として大事にしていることは何か?」「日本の歴史を教えて欲しい。」と聞かれたら、どんな話をしますか?

「大化」から「令和」まで、日本の根幹を貫いている元号。その意義を感じるきっかけになりましたでしょうか。


長い三部作を読んで頂き、ありがとうございました!

写真は東京国立博物館蔵の万葉集「梅の花の歌」です。昨日、東京国立博物館を訪れた時のものです。連休ということもあり人がすごく多かったですが、天気が良く風は和らいでいました。

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