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24時間テレビからみるテレビコンテンツの限界

こんにちは。就活やる気がなくて24時間テレビを見ていた、せいたろうです。そもそももう就活してねー笑

テレビ離れが進む中でもまぁ、24時間テレビはその知名度の高さから未だにみんなが見るものかなと思うし、実際に僕も毎年のように見ているのでその感想をつらつらと書きたいと思います。

率直な感想がこちら⬇︎

なぜ、このように思ったのかを私なりに分析してみました。

演者は本当に24時間テレビというコンテンツに賛同しているのか。

このように思ったのが、そもそもこの番組はチャリティー番組だよな?という疑問からだ。募金を募り、被災地や障害を持っている方々への支援(これは本当に素晴らしいことで感謝をしている人たちも多いと思う)に当てるという番組だが、肝心の演者はお金をもらっているのかと思った瞬間に冷めた。

というのも、結局は

チャリティー番組という名目のコンテンツの枠組みでの演技にしか見えないのだ。

本気の"気持ち"がコンテンツになる時代

メディアが多様化している時代で誰でも動画や映像を作って発信できる時代。

ユーチューバーが人気になっているのも彼ら・彼女らが本当に自分たちの欲求そのままをコンテンツにしているからこそ、リアリティーがあり、共感を呼んで視聴者がつく。

一方、今回の24時間テレビのように共感を呼ぶためにマラソンをやったり、障害者の方々と一緒に活動をすることは本当に観ている人たちに響いているのかどうかが疑問に感じる。

(もちろん、障害者の方にスポットライトを当てることは良いことだと思うが、当て方の問題。24日の夜に裏番組でやっていたNHKのドキュメンタリーの方がよっぽど、良いと思った)

コンテンツ内容に敏感になっている私たち、現代人

このように疑問に思ったことは発信することができ、ある意味、コンテンツの裏側を知れてしまう時代。

24時間テレビの中のコンテンツに人気お笑い芸人の"EXIT兼近大樹の「二股疑惑」捏造"もSNSがない時代ならば、笑いが取れたかもしれない。

しかし、笑いを取ろうと旧時代のようなやり方をしていては視聴者はついてこないのも露呈した。

テレビを作る側の努力は私が想像をする以上に大変なことではあると思うが、やり方が古くてはコンテンツしての価値はないとこの24時間テレビをみていて感じてしまったのが本音だ。

作り手と演者の"壁"がなくなる時代へ

テレビコンテンツは今まで人々の1番の娯楽であり、楽しみの極みだった。しかし、時代は変わったのだ。

テレビ以外でも楽しめるコンテンツが多くある中でこれから大事になってくることは

【作り手の枠組みの中で演じる演者】

⬇︎

【作り手が作る枠組みに熱を持って取り組める演者との共創】

だと感じる。

ただ、勘違いしないで欲しいのはテレビコンテンツの全てがこのようになるべき!という話ではない。

ドラマやNHKの制作費をかけたドキュメンタリーなどは視聴者に求められていることだと思う。

24時テレビを見ていて、

"ただ共感を呼ぶため"
"ただ笑いをとるため"

の手法は、作り手と本当に演者は納得しているのかという、作り手と演者のギャップを見ていて感じて、リアリティーがない、"フィクション"にみえるのだ。


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こんな感じで本日はおしまい。

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seitaro___o7












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