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アレック・ソスの「ドアの写真」について

2022年に「蜘蛛と箒」という美術批評ゼミに参加させてもらっていた。そこでは美術家の石川卓磨氏と、美術批評家の沢山遼氏によるレクチャーと課題実践を通して、美術作品をどう読み解き、どう論じるかを学ばせてもらった稀有な体験だった。

講義の中で心に残った、沢山さんの一言があった。
論文は事実を精密に積み重ねて論じるが、批評は飛躍できる。
要は書き手の妄想による「思考のジャンプ」が可能なのである。

「ジャンプしていいんだ!」と、批評の自由さを感じた。

また初期の頃は、無理してしっかりした文章を書こうとしていたが、石川さんに、素で喋っているようなラフな文体の方が「らしいんじゃない」とアドバイス頂き、無理せず自然体の文章を心がけられるようになった。

その当時のゼミ課題を、2022年当時のまま、何本か載せたいと思う。
読んで頂けたら幸いです。


◯ここより本文

アレック・ソスの「ドアの写真」について


2022年6月より神奈川県立近代美術館 葉山でアレック・ソス(Alec Soth 1969-)の日本で初めての展覧会「Gathered Leaves」が開催されていた。早速、腕まくりして見に行った時に、改めてこの「ドアの写真」に引かれている私がいた。


この写真はソスの実質的なデビュー写真集 《sleeping by the mississippi》(2004)の中の1枚で、彼の地元ミネソタ州を南北に流れているミシシッピ 川に沿ってロードトリップをして、一つの物語に編まれたのがこの写真集だ。これよりも好きなソスの写真は沢山あったのだが、今回はこの「ドアの写真」の魅力について考えたいと思った。


まず個人的な思いだが、何よりも画面いっぱいの「青緑の色」が最高なのである。何度もペンキを塗り重ねては色あせたであろう質感と、それを照らす窓からの自然光が生み出すグラデーション。それらが合わさった高光沢プリントのマテリアルが、最高にフェティッシュな気持ちよさを提供してくれたのである。


そしてパッと目につくドアの数字。ドアが外されている事や床の汚さからも、どこかの廃モーテルである事が想像され、このドアがキャンバスのように斜めに立てかけられている状況がとてもユニークである。ここで疑問になってくるのが「なんでこんな状況になったのだろうか?」という事である。
そして、その状況を冷静に考えると2つの予測が思いつく。

⑴その場所に入ったら、偶然この状況になっていた。
⑵ソスがこの状況を作った。


ただ、普通に考えてドアがこんな状況になっているとは考えにくい。 そして、もう一度この写真をよく見て欲しい。数字の右横にうっすら黄色い色で女性っぽい人が描かれている。この落書きのような絵を発見した時に「はっ!!」となって撮影しようと思った時に、普通に考えればただの落書きにすぎないこの絵をソスは「キャンバスに描かれた絵」として扱う視点を持ったのではないだろうか。

今回の展覧会メインビジュアル(下図)でもある、空白のキャンバスに植物や影が落ちたその写真からも、ソスが「写真を撮る」という感覚よりも「写真を描く」という感覚に意識的な作家であると思われる。


そしてこの写真集のタイトル《sleeping by the mississippi》の意味通りに、ミシシッピ川のそばで眠りに落ち、このドアが夢の世界の入り口になっていて、その扉を開けると彼が出会った世界に直結しているような、そんな事を想起させてくれる。まさしく、ウェーカー・エバンス先生、ロバート・フランク先生、ウィリアム・エグルストン先生、ジョエル・スタンフェルド先生から連なるアメリカ写真100年の歴史を通過した「アレック・ソス版、どこでもドア」なのだと、藤子・F・不二雄先生も感動しているはずである!


そんなこんなで、日本で初めてのソスの展覧会が神奈川県立近代美術館 葉山という、都内から片道二時間くらい掛かる辺鄙な場所で開催していた。写真を見終えて美術館の外に出ると、目の前には海が広がっていて、都会の雑踏にまみれ、SNS やネットショッピングに心が犯されていた私に自然の必要性を改めて教えてくれた。そしてこの海はミシシッピ川にもつながっていて、人々の心を癒しているのかなとか想像しながら。


そんな広大な海が目の前に広がる、神奈川県立近代美術館 葉山でソスの展覧会を見れた至福の時間であった。


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