高円寺酔生夢死 第08回(終)

高円寺は阿波おどりと共に秋を迎える。そんな事が言われるほどに、八月下旬に行われる阿波おどりは高円寺にとって一大イベントである。最近、テレビや雑誌に載る事も増えたので知っている方も多かろう。発端は昭和32年。現在の高円寺パル商店街振興組合に青年部が誕生した記念に何かやろうという事で、半ば思いついたのが「阿波おどり」をやろうという事だった。しかし、思いついたのはいいが、誰も阿波おどりの何たるかを知らなかった。かくして祭り当日、街に流れたのはチンドン屋が演奏する『佐渡おけさ』だったという。顔に白粉を塗りつけた若者達が半ば走るようににわか仕込みの踊りを踊った。当時は「高円寺ばか踊り」という名称だったという。今年で54回目。最初に始めた時は、まさかここまで大きな祭りになるとは思わなかったに違いない。一万人を超す踊り手達に、120万人の見物客。あまりの大混雑の為に、祭りの二日間、踊りが行われる18時から21時の三時間のみではあるが、高円寺駅を降りる人間は、事情の有無を問わず南口側に誘導される事になる。かくして北口側に住んでいる人は大回りをして高架下をくぐり、見物客をかき分け汗にまみれて帰宅しなければならない。そうした事情から、阿波おどり憎しの人は意外に多い。

「俺は疲れて帰って来たのに何だよこの騒ぎは」
「人んちの軒先で飲み食いすんなよな」

外からやって来る人が増えて、ズカズカと自分の縄張りを荒らされる…観光地ならいざ知らず、ここは高円寺だろ?そういう事を言う人もいる。しかし、昨日今日いきなり始まった企画ならいざ知らず、今年で54回もやっている訳なのだから、まあこういうものだと割り切る方がストレスもたまらないと思うがどうだろう?そう言う人ほどこういう事を言う。

「高円寺は寂れてるね。もっと人を呼び込むものが無いとね」
「あの店は分かってないよね。高円寺はそうじゃないんだよ」

おいおい、どっちなんだよ?そうじゃないってどうなんだよ?と色々ツッコミを入れたくなるが、その辺りの微妙なマイナーさ加減をアイデンティティにしている人が多く住む街が高円寺だったりする。とはいえ、そんなに文句があるのならば引っ越せばいいじゃないと思うものの、そういう人ほど街にしがみつく。逆に言えばそれくらい寛容な街なのだ、とも言える。寛容だからこそ「何だか面白そうだな」と外からやって来る人間も受け入れ、色々愉快な試みも「まぁ、いいんじゃない」とやらせてくれている。半世紀前に「ばか踊り」を始めた精神は今もなお息づいているというわけだ。そこら辺のフトコロの広さが気に入っているゆえに住み着いている人間も多い。飲食街の混沌と住宅街の静寂、そんなアンバランスが高円寺の魅力であり、阿波おどりはその二つがシャッフルされた瞬間と言えるかもしれない。このエッセイがお目見えした時には、高円寺阿波おどりも終了している。果たして街は、どんな秋の装いをまとっているだろうか?

さて、そんなこんなでこのエッセイは突然ながら終わりである。さすがにYOMBANに酒の話を延々載せておく訳にもいかないだろう。今度は何処でお会いするか…それは後々のお楽しみという事で。

それにしても、街は楽しい。ではまた──

(2010年9月1日公開分)

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)