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船堀の生活彩家とパン屋さん

# 何とも言えない変化

最近、僕が住んでる地元、船堀で小さくて大きな変化が起きている。
この一瞬で、すぐに消えてしまうような、何とも言えない気持ちを言葉に残していきたい。

船堀は、東京の一番東側の江戸川区のちょうど真ん中あたりにある街のことだ。かなり住宅が多い街で、朝になると多くの人がもっと東京の中心へと出勤する。そんな人が多い街だ。


この前までは、駅の前に「生活彩家」というコンビニがあった。それが突然、閉店になったのだから驚きだった。その前に何があったかは覚えてないが、この小さな駅の一角を担う心強い存在だった。

その生活彩家は、ローソンに姿を変えた。コロナやそれに応じた緊急事態宣言の影響があったはずだが、オープン当日、コンビニでふつうは見られないくらいの人がいた。みんなは、新しいものに食いつきたくなるんだなと感心してしまう。

調べてみるとでてきた。Google検索で、生活彩家との関連ワードで船堀が沢山出てきているのは、僕だけでなくみんなが驚いたことで、寂しく思っているのかもしれない。

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調べてみると、ローソンが生活彩家を運営するポプラのグループと共同事業締結をしたことが関係しているらしい。

https://www.lawson.co.jp/company/news/detail/1406557_2504.html

あたらしいピカピカのローソンに立ち寄ってみると、ついこないだまであった生活彩家と中身の設計がかなり異なることに気づく。新しい什器のせいか、店内はこないだよりも青白く感じられる。

ここで僕は「ここは、船堀じゃない感」を抱く。僕は、生活彩家が結構好きだった。すこし偏っているも、こだわりが感じられる商品たち。いい味が出ていた。温かみがあった。地元っぽい感じのあたたかさ。今はそれがどこにでもある店内と商品で、セルフレジなど船堀駅前のコンビニにはなかった新機能も実装されている。

もともとあったものも、同じコンビニだったが、味のあったコンビニからより合理的な仕組みで、洗練されてしまい、勝手に親しみを抱いていた存在がなくなってしまうと、すこし寂しい。

そんな合理的に変わってしまうことが、この東京の端っこの町でもリアルに起きてしまう。このことを自覚したのは、これだけではない。

# パン屋が消える

家族のLINEで、普段は特別なこと以外発信をしない祖父からのメッセージがあった。それは、商店街にあったパン屋がなくなってしまうことだった。ショッキングだった。


そこでは、かなりの思い出があった。

小さい頃、パン屋さんで自分でトレーとトングを取って、パンを選ぶのに憧れがあった。それを僕は、かっこいい大人の仕草として、認識していた。そのパン屋さんがきっかけだった。レジの後ろにあるスライサーを見たのも、あそこが初めてだった。いつもコンビニやスーパーで買うと食パンが、すでにスライスされている。そのパン屋で初めて、一つの食パンをみた。四角くて、想像以上に大きい、いい匂いのする食パンを高速に回るブレードによって、綺麗に6枚切りにしていく。僕も、使ってみたいと思っていた。

大人になった今でも、あの機械はまだ使ったことがない。

そして、すこし大きくなって祖母と一緒に行くと、僕はトレーとトングを自発的に取るようになっていた。そして、食べたいパンを探しながら、祖母の指示を待つ。僕は、その店のメロンパンが大好きだった。外はカリっと硬く、中は程よく弾力のある。優しい甘みだった。僕は、メロンパンを焼いたことがあるので、あのクオリティーのメロンパンを焼くのがいかに難しいか知っていたし、その経験もあり、よりおいしく感じられた。

その店は、長年愛されていることもあり、かなりおいしい。その味は、誰かと共有したくなる。

もう少し大きくなって、高校生になると、僕は恋人を連れて僕の好きな味を伝達した。その子も、おいしいと言ってくれた。僕は、より一層この店が好きになる。

一人暮らしを始めて、祖父母の家に尋ねると、時々そのパン屋さんのパンが数個買ってきてくれていた。実家に帰ってきてホッとしながらそのパンを頬張り、帰ってきたんだなと懐かしい気持ちに浸る。

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こんな感じで、僕はこのパン屋が好きだったし、沢山の想いでができた場所だった。だから、とても悲しい。閉店してから、そのパン屋に行くと、雨よけの屋根が取り外されていて、お店のネームプレートもなくなっていた。その場所にパン屋があったとすらわからないようになっていた。そして、近づいてみると、すこし寂しいお別れの挨拶が貼られていた。もっと、最後にパンを食べたかったし、想い出をもらったことに感謝をしたかった。


# コロナでも、変われないボクたち

2020年は、コロナウィルスによって生活や働き方、生き方がかなり変わった年だったと思う。今も、緊急事態宣言が出され、僕らは行動を一応制限されている。通勤することが控えられ、リモートワークで仕事をし、オンライン授業を受ける。

かなり、変わったはずだった。その影響で、自分自身に目線を向けた人も沢山いたと思う。家にいる時間が多く、外に出て運動をするようになったり、健康に気を使った食事に変えたりと。より丁寧に意識を高めようとしていたと僕は思っていた。街のパン屋さんは、そんな僕らの家での限界をぶち壊してくれる存在になってくれたと思う。あんなに沢山の種類のパンをつくることはできない。非日常なおいしさを提供してくれた。人々がコロナで大胆な行動ができず、街の中の生活に戻ったはずだったが、なんも変わっていなかった。会社も通勤しないといけなくなるし、学校も現地じゃないと授業ができない。もっと、合理的にしていかないと僕ら自身を保つことができなかったのだろう。でも、ほんとにそれでいいのだろうか。駅前に、全国同じような品揃えを構えるローソンに変わり、喜んでいていいのだろうか。

# 合理的じゃなかったはずの船堀

僕の遠くの記憶を引き出してみると、このパン屋さんがあった商店街は昔もっと栄えていたように思う。ほんの20年やそこらで、沢山のお店が並ぶ商店街からこんなに寂しいただの一方通行の道路になってしまう。船堀駅に都営新宿線が繋がるようになり、どんどん駅や便利なスーパーが町の中心へと変わっていったことを想像できる。この20年そこらで、僕らはもっともっと生活を合理的にこなすようにスタイルを変えていった。それでも、商店街にはお店がいくつかあった。スーパーだけではなく、商店街のお店が近くにもあって、街としては統一感がないけど、温かさが残っている気がしていた。

船堀という町は、その東京っぽい合理的な流れからすこし逸脱して錆びついているけど味のあるいい古さを身にまとっていて、好きだった。まだ、商店街には他の店もある。そんな、街の一角を背負う健気なお店たちがこの先少しでも長く残ってほしいなと思う。それでも、東京の端っこの静かな街も、どんどん新しくなってしまうのだろう。



お別れのときはくる。
僕はただ、駅の前にあった生活彩家や沢山の思い出をくれたパン屋がしっかり、存在していたことを記録したかった。誰かに忘れ去られても、僕だけでもしっかり覚えておきたい。

ばいばい、生活彩家。ありがとう、おいしいパン屋さん。

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