吉原 聖洋

心は彼岸を彷徨う壊れかけのライター。センス・オブ・ワンダーとセンス・オブ・ヒューモアが…

吉原 聖洋

心は彼岸を彷徨う壊れかけのライター。センス・オブ・ワンダーとセンス・オブ・ヒューモアがなかったら生き延びることができなかっただろう。三度の手術と義体化を経て、心身ともにリハビリ中だったが、2017年のクリスマス・イヴ、再び病に倒れ、現在も闘病中。

マガジン

  • 譫言廻廊

    夢のように過ぎ去っていく日々の備忘録。そして自分だけのための空虚なエクスキューズ。

最近の記事

レトリックの訓練

 点滴に繋がれて北側の窓際の病室のベッドの上に横になっていると、身体を自由に動かせないせいか、それとも孤独であることに耐えられなくなるせいか、自分の気持ちをわかって欲しいと願う相手に真意が(電子メールやSNSのメッセージなどを通して)正確に伝わっているかどうかについて、異常なまでに過敏になってしまう。  そんなこと、普段はまったく気にしていないのに。何事にもアバウトだった若い頃には「アバウター」なんて呼ばれていたくらいだ。「だいたい合ってる」ならいいだろ、なんて言っていたっ

    • おれはシュメール人だった。

       三時間の点滴が九時からと二十一時からの二度あって、血液検査のための採血が早朝五時にあり、その他の時間に検査や食事やシャワーなどがある。いまのところ入院中はそれだけの毎日だけれど、おれにはひどくストレスフルだ。  とりわけ点滴と採血のループが辛い。なにしろ針が死ぬほど怖い先端恐怖症だから、これはもう地獄のループだよ。  おれが尖ったものや刃物をこれほどまでに恐れるのは、子供の頃、頭のおかしい悪ガキどもに釘、鉛筆、コンパスなどで刺されまくり、彫刻刀、カッターナイフ、包丁など

      • 今回の教訓とは何か?

         いまのおれのように病院とかいう施設に入院していると、普段よりも強烈に感じさせられるのが、この国の極端な家族偏重主義。これにはマジでウンザリさせられる。  おれがいま入院している病院のルールでは、友人や知人が見舞いに来た場合、受付でマスク着用を義務付けられ、しかも病棟には一歩も入れず、エレヴェーターホールの脇にある極寒のデイルームでの患者との短時間の面会しか許されていない。  しかし家族が見舞いに来た場合、受付で家族だと名乗れば、ほぼフリーパスでマスクもせず我が物顔で病室

        • センス・オブ・ワンダーとセンス・オブ・ヒューモア

           27歳で逝く予定だった自分が二度目の(ドント・トラストな)オーヴァー・サーティーを越える日を迎えるなんて想像したことさえなかったけれど、そこからさらに一年と数ヵ月が音速で過ぎ去ってしまった今、みずからの(特に誇るべきものも見当たらない)過去を真夜中の病室のベッドの上で振り返ってみれば、自分が黄金時代のロックとSFによって育てられて来た事実を改めて思い知らされる。  わたしにとってのロックとSFの黄金時代とは1950~70年代のことだ。あるいは80年代の一部を加えてもいい。

        レトリックの訓練

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        • 譫言廻廊
          10本

        記事

          地球に落ちて来た男

          なぜ彼が「地球に落ちて来た男」なのか、という理由のひとつになるかもしれない最初のエピソード。雑誌のインタヴューのために初めて会ったとき、彼は南極のペンギンが日本人の物真似をしているかのような、驚くほど不器用なお辞儀をした直後、わたしが知っている欧米人の誰よりもスマートな所作で握手を求めてきた。その瞬間、「なんだか『地球に落ちて来た男』みたいだな」とわたしは思った。1980年代初頭の忘れられない想い出のひとつです。

          地球に落ちて来た男

          デッドラインを越えて

          どうやらわたしはいま病院のベッドの上で点滴に繋がれながらデッドラインの数歩手前で足踏みを繰り返しているらしい。いや、デッドラインといっても「締切」の話じゃない。文字通り「死線」の話だ。しかし、わたしには書きたい本があって、その本を書き上げるまでは逝くわけにはいかない。それはわたしが知っている「地球(の日本の東京の下町)に落ちて来た男」について書いた本だ。あるいは「センス・オブ・ワンダー」と「センス・オブ・ヒューモア」の物語と言ってもいい。書き上げることができたなら、きっと素敵

          デッドラインを越えて

          七冊分の企画書を書かなきゃならないのだが……

           死ぬほど使い難い外付けキーボード(上の画像とは関係ないけれど)のせいもあって作成は難航中。そもそも企画書をでっち上げること自体が大の苦手だから、大抵の場合にはその仕事に関わる予定のパートナーに任せてしまうのだけれど、それでも最初のアイデアの幾つかの断片は自分で記録しておかなきゃ何も始まらない。それを「閃きの欠片(かけら)」と呼んでいるのだが、それだけで充分なんだよな、極私的には。だけどまあ、それじゃ他人様には何も伝わらないだろうから公式の企画書が必要になるわけだ。  しか

          七冊分の企画書を書かなきゃならないのだが……

          早くもマガジンタイトルを変更。

           自分でも「早いよ」と思うのだが、誰よりも衝動的で飽きっぽいライターだから仕方がない。正直にいえばタイトルなんてどうでもいいのだが、長いよりは短いほうがいいと思った。それだけ。普段の吉原はそれほど衝動的でも飽きっぽくもないけれど、ライターとしての吉原は千倍くらい衝動的で飽きっぽくなる。ひと言でいえば、頭がおかしい。だから自分でも上手くコントロールできない。どうしようもない。  どうしようもない。といえば、外付けキーボードが死ぬほど使い難い。これで長文を打つのは不可能だ。早く

          早くもマガジンタイトルを変更。

          『マニジュ』について書いてみた。

           佐野元春&ザ・コヨーテ・バンドの新作『マニジュ』について書くことになった。最初は「マントラとしての歌」というテーマで書いてみるつもりだった。15年ほど前に「マンダラとしての音楽」というテーマで一万字前後の暴力的な駄文を書き殴り倒したことがあったから、それに較べたら「マントラとしての歌」について書くこともそれほど難しくはないだろうと楽観的に考えたのだ。  しかし、実際に書き始めてみたら、これが予想以上に難しいテーマだった。とにかく書いても書いても終わりが見えない。書いている

          『マニジュ』について書いてみた。

          遅すぎた自己紹介

           文章を書いて生活していくことになるなんて夢にも思わなかった。  あまり当てにならない筆者の錆びついた記憶バンクのデータを信じるとしたら、22歳の春、いまは亡き某音楽専門誌のレコード・レヴューのページで新人ライターとして(ひっそりと)デビューしているらしい。  数ヵ月前まではキャバレーでドラムを叩くバンドマンだったわけだから、自分でも驚くほど唐突な変化だ。というよりもむしろ本人がいちばん驚いている。なにしろ小中学校の作文や読書感想文以外には文章なんて一度も書いたことがなか

          遅すぎた自己紹介