事実を書くことの冷たさ(森鷗外について)
我々は平素から、大小さまざまな悲劇に遭遇し、また見聞する。しかし、些少な事件はもちろんのこと、いかなる社会の重大な悲劇も、放っておけばいずれは風化して忘れ去られてしまう。人間はそれが大きな悲劇であればあるほど、このような記憶の風化に抗し、事象を埋もれさせまいとする。そして歴史が書かれなければならない必然へと転化する。すなわち歴史というものは、ある人々にとっては忘れて欲しい汚点であっても、社会が「教訓」の名のもとに思い起こすことを強いるもので、見方によっては残酷なものでもある