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【まとめ】どこまで変わる!?「新しい世界史」のキーワード100選

 現在、世界史教育が大きく変革されようとしています。

 「世界史用語が多すぎる」「もっと大切な語句に絞れないか?」―そんな課題意識から始まった高大連携歴史教育研究会による用語精選の取組みが進られています。

2017年に発表された用語精選のリストから特徴的だなと感じたキーワードをセレクトし、wikipedia記事リンクを付してまとめてみました(もちろんwikipediaですので、詳しくは参考文献等を参考にしてください)。

 この案からどれだけの語句が採用されるかは不透明です(批判については記事の最後に)。だが、近年の世界史研究のうち、定着してきた議論の成果が盛り込まれていることは確かです。世界史のカリキュラム内容が大きく変わろうとしている今、ここに記載されたキーワードは「新しい世界史」を知る上での鍵となることは間違いありません。

 「そんな語句までいれるのか?」「初めて聞いた」というものも少なくないと思います。一方で語句自体は同じでも、取り上げる文脈がパラダイムシフトしているものも少なくありません。
 全体として個別的な語句をブラッシュアップし、時代を通貫するような本質的な語句や、人間の利用してきた動植物・鉱物を含む自然科学に関する語句が盛り込まれているのが特徴です。

 「どうして世界史を勉強するのか?」「その語句は、具体的にどの出来事にに適用できるのか?」「その語句がわかると、現代世界の何がわかるのか?」といったことが強く意識されています。
 覚えるべき用語を選ぼうというわけではなく、その語句をもとに考えを深めていこうといった姿勢です。

※精選案からの抜粋
どんな用語を選ぶのか、削るのか
大学入試は、受験生が高等学校で身に付けた基本的な知識や能力が大学入学に相応しい水準に達しているかを判定するものであります。その際、大学入試には公平性の確保が重要であり、特定の教科書にしか載っていなかったり、全くどの教科書にも載っていない用語や記述を知識として問うことは、この公平性の原則に反する行為と言わざるをえません。
それ故、出題用語精選の第一の原則は、ほとんどすべての教科書に記載されている用語を選び出すことになりました。
次に、初等・中等教育の目的の一つが「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」の育成にあることを考えると、歴史教育も現代的課題の歴史的背景を考えることのできる知識・能力の育成が求められるのは同然でしょう。その結果、大学入試の出題や教科書の執筆においても、現代的課題を考える上で必要な歴史用語やそれを理解するための歴史や社会に関する諸概念を重視する必要があり、これが出題用語精選の第二の原則になると考えます。
第三には、資料をもとに考察したり、歴史の大きな転換や時代の基本的な特徴を説明したりする際に必要になる基軸的な用語(概念用語)を中心として、その基軸的な用語を説明する上で必要不可欠な事実を示す用語を選定することが重要と考えました。
この第二、第三の原則に関連して、従来必ずしも「用語」と見なされていないが新しい歴史教育に必要と考えられる概念(や物質名などの語句が一定数あるので、それは従来の教科書に全く出ていないもの、少数の教科書にしか書かれていないものなども積極的に取り入れました。そこでは、「一般常識」に属する語彙であって、学習や入試に必要ではあるが高校教科書の本文に用語として掲載することにはなじまないタイプの用語も、あえてリストアップしましたので、その部分はやや性格が違っていることをお断りしておきます。

 それでは今回は「歴史の基礎概念」と「第 I 部 近世までの世界史」の項目について見てきましょう。


1.歴史の基礎概念(192 語)

1-a.歴史の基礎用語


〔1〕史料批判

「記録が残っているからといって、その内容をそのまま鵜呑みにしちゃダメですよ~」

たとえば、中世ヨーロッパでは、荘園の領有にかかわる権利を堅固にするため、多くの偽文書が作られた。日本でも戦の感状などに偽造されたものがある。その量や種類は多く、権利にかかわるものであるだけに、大切に保管される場合も多い。いっぽう、何らかの理由で錯誤が生じ、その史料が、異なる時代や人物に当てられたり、誤った説明が加えられ踏襲されることもある。また、これらの偽造や錯誤が、全部でなく、一部であることもある。


〔2〕記憶と証言

記憶 「直接経験したことがないのに「みんなが記憶を共有している」かのように感じる過去の出来事」がどのようにして作られてきたのかが、注目されるようになっています(例:革命記念日、終戦記念日)
証言 文字に書かれていない言葉も、過去の出来事を再現する上で大切だ」と考えられるようになっています。

(⇨歴史学的な観点からの立項はないので「オーラル・ヒストリー」とします)


〔3〕言説

歴史的・現実的なには事実じゃないことが、ある集団の中で事実であるかのように共有されることがあります。
そうしたイメージや常識、思い込みを反映した表現活動(=言説)が、その社会の多数派(権力を持っている人たち)と結びつくと、人と人との間の現実的な力関係にも簡単に影響してしまうのだということが分かっています。

たとえば、ヨーロッパの国々の現実的な力関係が強まるにつれ、アジアやアフリカのイメージや描かれ方が ”弱いもの”"怪しいもの""女性的なもの""不可解なもの"へと 変化していったことが、エドワード・サイードという人によって明らかにされたことが有名です。

 現在は当たり前だと思っている過去の出来事も、過去の人にとってはまったく別の前提や判断に基づいて起こったということも少なくありません。現代人の「後知恵」で過去の出来事について憶測で判断することは、事実を求める上ではあってはならないことなのです。
 このnoteも含めさまざまな情報がさまざまな主体から無秩序に飛び交う21世紀初頭の今だからこそ、言説に対する向き合い方を世界史を通して知ることは重要だと思います。


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b.歴史の主なテーマ

〔4〕貨幣

貨幣は4つの機能によって用途が分かれており、身分によって使える貨幣が決まっていたり、共同体の内部と外部とで用いられる貨幣が異なっていた。すべての機能を含む全目的な貨幣が現われたのは、文字をもつ社会が誕生して以降となる。現在は1国につき1通貨の制度が主流となっているが、歴史においては、公権力によらずに国際的な貿易で流通する貨幣や、各地域が独自に発行する貨幣が多数存在していた。このため、複数の貨幣が用いられていた。(ポランニー『人間の経済1』 第9章、黒田『貨幣システムの世界史』 p11)

 お金のあり方が大きく変わりつつある今、「お金とは何か?」「人類はお金とどのように接してきたのか?」ということは注目テーマです。

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〔5〕交易・貿易

 物を交換することを「交易」、国と国との交易を特に「貿易」といいます。

 「物の交換なんて、なんでそんな当たり前の語句を取り立てて扱うんだ」と思うかもしれませんが、物の交換というのを「物を交換しているんだ」という意識を持っておこなうことができるのは、われわれ人類だけ。
 利他的行動はほかの動物にも見られますが、人類は物の交換を「言葉」によって意味付けする能力を獲得したため、「交換のあり方」がどんどん複雑化していくこととなりました。

 人間は単に「物」を交換しているようでいて、物+「意味」を交換することができる動物なのです。


〔6〕ジェンダー

「男女はこうあるべきだ」という発想は、それぞれの時代・社会が生み出すものだという考えから、世界史を見直すと新しいことが見えてきます。

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〔7〕支配と服従・抵抗

人に言うことを聞かせる力、自分から従わせるような力は、どのようにしてつくられるのか?

権威(けんい、英語: Authority)とは、自発的に同意・服従を促すような能力や関係のこと。威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる能力・関係である権力とは区別される。代名詞的に、特定の分野などに精通して専門的な知識を有する人などをこのように称することもある。


〔8〕コミュニケーション

 なんらかの行為によって、なんらかの意味を持つ情報を交換することをコミュニケーションといいます。

 情報やコミュニケーションがどのように発達していったかを知ることは、世界史学習の中でも外せないポイントです。


〔9〕通訳と翻訳

 〔8〕コミュニケーションには必ず「誤読」がつきものです。
 伝えようとしたことがうまく伝わらないといったことが起こります。
 人間はいくつもの「言語」を持っていますので、相互にコミュニケーションをとろうとするばあい、ある集団の言語と別の集団との言語をつなぐ橋渡しが必要となります。それが通訳者・翻訳者です。
 通訳・翻訳技術を身につけるには、親が別々の言語を話している場合や、生活上の必要から複数の言語を身につける場合などがあります。言語を超えるということは文化を超えるということですから、通訳者・翻訳者というのは特定の文化に属しない”共同体を超えた存在”であるわけです。

 有名な通訳者として、アステカ帝国滅亡期に活躍したマリンチェという女性がいます。

 翻訳の問題は、近代になると「外交文書」において特に問題となります。ヨーロッパ諸国の輸入概念である「国境」「主権」などをどう訳すかというのが、大きな問題となったわけです。

 翻訳にまつわる問題は永遠の課題と言えそうです。


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1-c.時代・地域を越えた歴史のキーワード


〔10〕温暖化と寒冷化

人間の活動に気候が与える影響に注目が集まっています。

ヨーロッパではこの時期、ヴァイキングが凍結していない海を渡ってグリーンランドに入植するなど、より北方へ領土を広げたことが知られている。また農業生産力が拡大し、人口増加・経済の復興などが見られ、そのエネルギーは盛期ロマネスク建築やゴシック建築の建設や十字軍の派遣などへと向かった。この温暖期のあと小氷期に入り19世紀まで寒冷な時期が続き、その後に現在の温暖化が始まっている。
この厳冬の到来は、大なり小なり人々の生活に影響を与えている。飢饉が頻繁に発生するようになり(1315年には150万人もの餓死者を記録)、疾病による死者も増加した。アイスランドの人口は半分に減少し、グリーンランドのヴァイキング植民地は全滅の憂き目を見た。また、小氷期の影響をこの時代の芸術にも見ることができる。例えば、フランドルの画家ピーター・ブリューゲルの絵の多くは雪に覆われた風景を呈している。



〔11〕伝染病

ヒトの歴史を、感染症とヒトの相互関係からとらえる見方が進んでいます。

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〔12〕リンガ・フランカ

政治・経済的な覇権を持つ国・集団の言葉が、広範囲で”共通言語”として用いられることが、歴史上何度も見られました。

アラム語は紀元前500年ごろより中東一帯における共通語であった。最終的にはイスラームの勃興によりアラビア語に地位をとってかわられる。



〔13〕ジャガイモ

ヒトを主人公とするのではなく、物(食物・植物・動物・鉱物)を主人公とすることで、グローバルな視点が得られます。


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2.世界史用語(1643 語)

第 I 部 近世までの世界史

2-Ⅰ-d.近世までで個々の時代・地域を越えるキーワード(42 語)

〔14〕古代

ヨーロッパの歴史を基準にして各地域を厳密に「古代・中世・近世・近代・現代」という区分にはめ込もうという考えはなくなり、最近では「各地域における発展」⇨「大交易時代・大航海時代の世界の一体化」⇨「産業革命以降の欧米主導の世界の一体化」という流れおおまかな流れが重視されるようになっています。



〔15〕14世紀の危機

ペストの流行(14世紀中頃)や自然災害など、この時期のユーラシア大陸では様々な危機が勃発し、既存の体制が揺らぎました(日本語版の立項はなし)。



〔16〕コロンブスの交換

コロンブスによるアメリカ大陸の発見(1492)以降、南北アメリカ大陸にしかなかった動物・植物・物・感染症・文化がユーラシア大陸に移動し、逆にユーラシア大陸にしかなかった動物・植物・物・感染症・文化が南北アメリカ大陸に移動しました(日本語版の立項はなし)。

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序章 先史の世界(18 語) キーワードのみ

〔17〕ホモ・サピエンス

世界史とは、「ホモ・サピエンス」という種の動物に視点を当てた地球史です。用語精選からは落選していますが、ヨーロッパのホモ・サピエンスはネアンデルタール人と交雑しており、現在のヨーロッパ人の遺伝子の2%はネアンデルタール人由来とされています(注)。

(注)ナショナルジオグラフィック日本版2019年8月号「ヨーロッパ人はどこから?」より


〔18〕系制

家族のあり方も、時代や地域・集団によっていろいろです。

双系制(そうけいせい)とは、父系制・母系制のいずれでもなく、非単系の出自の辿り方をいう。

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第1章 オリエントと地中海世界(131 語)
キーワード

〔19〕ディアスポラ

特定の地域にしばられずに活動しつつも、「自分は◯◯人だ」というアイデンティティを失っていない民族は、これまでいくつも存在しました。実はこうした民族に注目することで、歴史の実相がよく見えてくるのです。

ディアスポラ(ギリシア語: διασπορά、英語: Diaspora, diaspora、ヘブライ語: גלות‎)または民族離散とは、(植物の種などの)「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、よくパレスチナ以外の地に移り住んだユダヤ人およびそのコミュニティに使われたが、古代から現代にかけてのギリシャ人のディアスポラ、アルメニア人のディアスポラにも使われて、最近では華僑、印僑、日本人のディアスポラ(日系人)などと広く使われている。


オリエント世界 歴史用語

〔20〕農業

自然にはたらきかけることで、人間が利用できる物を獲得すること。

人類の文明発達の鍵であり、動物を家畜化すること(畜産)と植物(農産物)の栽培(農耕)により、消費する以上に生産することで人口の増大をもたらした。だが、社会の階層化(不平等)をもたらしてしまった。


〔21〕牧畜

野生の動物を囲い込んで繁殖活動をコントロールし、人間が利用すること。

牧畜の歴史は古く、農耕とならんで紀元前5000年頃、新石器時代の古代エジプトなどではすでに行われていた。狩猟も同じく動物を対象とするが、定常的に動物と接することになる牧畜とは文化的・技術的に大きな隔たりがある。最初に家畜化された動物はイヌであるが、牧畜のための最初の家畜はヤギやヒツジであると考えられている。牧畜に特化した犬を牧羊犬と言い、コリーやシェパードなどの品種がつくられている。




◆ギリシア世界

〔22〕オリュンピア競技祭

近代オリンピックのルーツということや、「スポーツの歴史」という観点から組み込まれたのだと思います。



◆ローマ世界

〔23〕3世紀の危機

 「◯世紀の危機」というくくりは、ほかに「14世紀の危機」や「17世紀の危機」(英語版:The General Crisis)がありますね。採録しすぎると、これまた用語バブルになりそうな感もあります。


〔24〕コプト教会

アフリカでもキリスト教の教会は生き残ったんです。

キリスト教・非カルケドン派(東方諸教会)の一つで、エジプトで発展した。北アフリカがイスラム化した後もエジプトに暮らすキリスト教徒(コプト)の教会。

 こういうことを知っていると、このようなニュースを理解するきっかけになりますね。

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◆第 2 章 アジア・アメリカの古代文明(127 語)
◆キーワード

〔25〕天下

中国の伝統的支配者の持っていた世界観。

中国における天下は、一般に中国王朝の皇帝が主宰し、一定の普遍的な秩序原理に支配されている空間であった。皇帝は天命を受けた天子とされた。天下の中心にあるのが中国王朝の直接支配する地域で、「夏」「華」「中夏」「中華」「中国」などと呼ばれる。その周囲には「四方」「夷」などといった中国王朝とは区別される地域があるが、これらの地域もいずれは中国の皇帝の主宰する秩序原理に組み入れられる存在として認識されていた。(中華思想、皇帝、天参照)

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◆南アジア世界

〔26〕菩薩信仰

「個人の修行」中心であった初期の仏教が、いかに「みんなを救おう」という「大乗仏教」へとアレンジされていったのか。「菩薩」がキーワードとなります。


〔27〕密教

「密教」も従来は「いつの間にかチベットで流行り(チベット仏教)、中国では流行っている」といった扱いとなりがちでした。


〔28〕綿布

インド産の綿布は、18世紀の産業革命のところで突如として注目されますが、伝統的に見ればインドが長らく綿布生産の先進地帯であったのです(英語版 インドに分布する綿の種)。


◆東南アジア世界

〔29〕扶南

扶南国(ふなんこく)は、1世紀から7世紀にかけてメコン川下流域(現在のカンボジア、ベトナム南部)からチャオプラヤーデルタにかけて栄えたヒンドゥー教・仏教(5世紀以降)の古代国家。


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◆中国の古典文明

〔30〕河姆渡文化

古代中国には「黄河文明」だけではなく、長江、四川など複数の地域に別々の文明がおこっていたことが明らかとなっています。

河姆渡遺跡は1973年に発見され、1973年から74年と1977年から78年の2回にわたり発掘作業が行われた。水稲のモミが大量に発見されたため、人工的かつ大規模に稲の栽培が行われていたことが明らかになった。これは世界でも最古の稲栽培の例である。

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◆南北アメリカの文明

〔31〕駅伝制

現在のペルーに栄えたインカ帝国には、チャスキ(駅伝制)と呼ばれる高度な移動網がありました。

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◆第 3 章 内陸アジア・東アジア世界の形成(94 語)

〔32〕遊牧国家

国をつくってまとまるのは「定住民」だけではありません。遊牧民のスケールの大きな活動が、ユーラシア大陸の東西を結びつける原動力となりました。

モンゴル帝国が北ユーラシアを征服し空前の大国家を築いたことは、分裂していた東洋と西洋を結びつけ、世界史と言う言葉が誕生した要因となった。その体制は、パクス・モンゴリカといわれるモンゴル人による覇権と平和の時代を生み出した。しかし広大な国家は、領土が分割相続されたことや、政権を構成する諸部族が分裂抗争するなどにより、緩やかな連合政権の形状を保ちつつも次第に統一政権の形を弱めていき、わずか1世紀あまりで後継諸政権に分裂した。


◆内陸アジア・東アジア世界の形成

〔33〕中央ユーラシア

従来は「内陸アジア」「中央アジア」と呼ばれることの多かった地域が、ユーラシア東西にまたがる広義の地域を指し「中央ユーラシア」と呼ばれることが多くなりました。あくまで分析概念なので、名指す人によって異なる範囲を指すことがあります。


〔34〕拓跋国家

隋や唐は「漢民族の国!」と思いがちですが、実は北方出身の民族である鮮卑(せんぴ)のうち拓跋氏というグループの建てた王朝です。

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◆第 4 章 イスラーム世界の形成と発展(61 語)
◆キーワード

〔35〕イスラーム世界

イスラーム世界がどこから生まれ、どう広がっていったのかを学ぶと、現代の世界がよーくわかります。



◆イスラーム世界の形成

〔36〕ウンマ

イスラーム教徒にとっての「国のあり方」を表す語句です。ヨーロッパ近代に成立した国の概念とは異なるあり方が示されています。

コーラン(クルアーン)の用法ではウンマは、神(アッラーフ)によって使徒(ラスール)を遣わされて啓典を与えられる人間集団の単位のことである。ムーサー(モーセ)のウンマといえばユダヤ教徒の共同体のことであり、イーサー(イエス)のウンマといえばキリスト教徒の共同体を意味する。彼らにはそれぞれ律法書(タウラート)、福音書(インジール)という啓典が与えられた。しかし、彼らはこれらの啓典を改ざんしたり、ゆがめて解釈したりしているとコーランは主張する。そして、神の言葉をそのままの形で伝える啓典がムハンマドのウンマ、すなわちイスラーム共同体に遣わされたコーランであるとする。



〔37〕マムルーク

イスラーム教徒にとっての「奴隷」のあり方は、大航海時代以降のヨーロッパ諸国による「黒人奴隷」とは異なるものでした。

ちなみに実写版『アラジン』のジャスミンは、マムルーク朝初代の女性君主(マムルーク出身)がモデルとなっているそうです。


〔38〕シャリーア

イスラーム教徒にとっての「法」はどのようなものだったのでしょうか。

正確には、法源(ウスール・ル=フィクフ)は、以下の4つ(詳細はスンナ派を参照)。…①コーラン、②預言者の言行(スンナ、それを知るために用いられるのがハディース)、③特定のケースにおけるイスラム法学者同士の合意(イジュマー)、④新事象にあてはめるためコーランとハディースから導く類推(キヤース)。学派によって違いがあるが、基本的にはこれら諸法源に基づいて、イスラム国家の運営からムスリム諸個人の行為にいたるまでの広範な法解釈が行われる。法的文言のかたちをとった法源がなく、多様な解釈の可能性があるため、すべての法規定を集大成した「シャリーア法典」のようなものは存在しない。



〔39〕岩塩

サハラ砂漠でさかんに取引され、西アフリカの人・物・文化の移動に大きな役割を果たしました。


〔40〕ゼロの観念

古代インドに生まれたゼロの観念はイスラーム世界に伝わって「アラビア数字」となり、高度な数学が発展。それが12世紀のヨーロッパに伝わりました。


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◆第 5 章 ヨーロッパ世界の形成と発展

◆キーワード

〔41〕選挙王制

中世ヨーロッパでは選挙によって王を選ぶ制度も見られました。


〔42〕身分制議会

国王が様々な有力者(聖職者、貴族、諸侯、都市民)の支持を取り付けるために開催した議会。
ヨーロッパ生まれの「憲法」というコンセプトが、どのようにして生まれたのかを学ぶには必要な語句です。

身分制議会(みぶんせいぎかい)とは、中世から近世にかけてヨーロッパに存在した議会のこと。近代以降の議会とは異なり、参加者は諸侯、聖職者、及び都市の代表などの特権身分層に限定され、これ以外の者の参加は許されなかった。フランスの三部会、イングランド議会、神聖ローマ帝国の帝国議会などが代表的である。



◆ヨーロッパ世界の形成

〔43〕托鉢修道会

田舎ではなく都市で辻説法するなどして、キリスト教の信仰を実践しようとしたグループ。各地の情報を国王に伝えるなど、ヨーロッパ各地を結びつけたり、モンゴル帝国のスパイ活動に従事したりといった活躍を見せました。


◆ヨーロッパ世界の発展

〔44〕ヤゲヴォ朝

その昔、ポーランドはヨーロッパ1の強国だったのです。


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◆第 6 章 内陸アジア世界・東アジア世界の展開(87 語)
◆キーワード

〔45〕武人(武士)

13世紀の東アジアでは、日本⇨鎌倉幕府、高麗⇨武臣政権のように「武人(武臣)」政権が立ち並ぶ現象が見られます。


〔46〕東西交流

世界史で「東西交流」といえば、ユーラシアの西部(ヨーロッパ)と東部(アジア)との交流を指します。モンゴル帝国が広範囲を支配して秩序を与えたおかげで、東西交流が今までに増してさかんとなります。


◆内陸アジア・東アジア世界の展開

〔47〕国風文化

国風文化とはいうものの、『枕草子』のように当然のことながら中国で流行した文物の影響も受けています。


〔48〕宋銭

宋(960~1126,1127~1279)の時代に商業が盛んになった中国では、銅線がたくさん発行されました。日本の平氏政権はそれを大量に輸入することで、貨幣を発行する代わりとします。


〔49〕華夷の区別

中国の皇帝の支配しているところが「文明」で、そこから遠くなるにつれて文明の”パワー”は弱まる(つまり野蛮になる)という世界観。周辺民族の活動が活発化するにつれ、逆にこの考え方は強まっていきました。



〔50〕木版印刷

メディア・コミュニケーションの歴史という観点から採録されたのでしょう。木版ですと、活版と違って文字の並べ替えができず、金属と違って何度も印刷すると版木がすり減ってしまうという欠点がありました。

北宋時代に活字が発明されたが、中国と日本では、印刷の主流は木版印刷であった。活字を用いる活版印刷が普及しなかった理由としては、文字数が多いため多くの活字を揃えておくことが困難だったこと、それよりも職人が作る木版の方が自由度も高く効率的であること、紙型がなかった時代には増刷が不可能だったこと、日本では漢字とかなを複雑に交えた文章が好まれたことにある。


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◆第 7 章 アジア諸地域の繁栄(102語)
◆キーワード

〔51〕勤勉革命

勤勉革命(きんべんかくめい、英:Industrious Revolution)とは、江戸時代農村部に生じた生産革命である。産業革命(工業化)が資本(機械)を利用して労働生産性を向上させる資本集約・労働節約型の生産革命であったのとは対照的に、家畜(資本)が行っていた労働を人間が肩代わりする資本節約・労働集約型の生産革命であり、これを通じて日本人の「勤勉性」が培われたとされる。江戸時代濃尾地方農村部に人口の増加に伴う家畜の減少を観察した歴史人口学者の速水融により1976年に提唱され、産業革命 (industrial revolution) に因んで勤勉革命 (industrious revolution) と名付けられた。
……西ヨーロッパにおいて勤勉を美徳とする倫理観はプロテスタンティズムの影響を受けたものであるが、日本人の「国民性」とも言われる勤勉性は勤勉革命、つまり経済原理に則った江戸時代農民の行動によって培われたものである。そして勤勉革命の成果が減衰しないうちに工業化が行われたことが近代日本発展の土台となり、また現代において度々指摘される「日本人の働き過ぎ」の遠因となっている[28]。

このような社会では「貧困の共有」(どの住民もだいたい同じくらいの貧しさを共有している)が特徴的とされます。


〔52〕アジア間貿易

 今回の精選案に特徴的な語句のひとつです。
 「ヨーロッパの進出によってアジアの経済は衰退した」というのは大間違いで、実際にはヨーロッパ(特にイギリス)が各地に整備した交通インフラを利用しつつ、日本・東南アジア・インド・中国がそれぞれの強みを生かして「ものづくり」と「輸出入」と「消費」に邁進。こうした「連携プレー」が第二次世界大戦後のアジアの経済的な結びつきと経済的発展へとつながっていくのだという見方がとられるようになっているのです。

日本か ら中国へ は綿 糸(後 に綿布)輸 出が伸 び る。 この ように して、 ア ジア間 貿易 は緊 密化し、「綿業 基 軸体 制 」が で きあが る。 その 中核 とな った のは、イ ン ド棉花 生産一 印 日紡 績業 一中国 手織 生産 一 ア ジア型 綿布 消 費で あ る(23ペ ー ジ)。 この よ うな 「綿 業 基軸 体 制」 が
形成 され るた め には川 勝平太 氏 の 言 う 「アジア に共通 な物産 複合 」の 存在 が必 要 であ った 。


〔53〕小中華

中国で、北方の女真(女直)という民族によって「清」という王朝が建てられると、周辺の日本や朝鮮では「野蛮な女真に皇帝が務まるわけがない!儒教の伝統は自分たちのほうが知ってるぞ!」といった主張が見られるようになっていきます。
清よりも、自分たちのほうがむしろ「中華」だ。これを小中華思想といいます。


◆明・清時代と東アジア・東南アジア

〔54〕海禁=朝貢体制

 「朝貢」(周辺諸国・民族が中国の皇帝に貢物をささげ、その代わりに平和的な関係と貿易を認めること)のあり方は、歴史上ずーっと同じであったわけではありません。明・清の時代になると密貿易摘発が強化され、決まったタイミングと場所以外での貿易は厳しく制限されました。
 同じ時代の日本や朝鮮でも同様の方針が見られます。さまざまな人々の受け入れを許し続けたインド洋沿岸の国々とは異なる、東アジアの特色です。

海禁(かいきん)とは、中国明清時代に行われた領民の海上利用を規制する政策のことである。海賊禁圧や密貿易防止を目的とし、海外貿易等の外洋航海、時には沿岸漁業や沿岸貿易(国内海運)が規制された。本来は下海通蕃の禁と呼び、海禁は略称であった。
またこれを「領民の私的な海外渡航や海上貿易を禁止する政策」と捉え、江戸幕府の行った国家による対外交流独占政策(鎖国政策)や李氏朝鮮の同様の政策、あるいは元朝の行った商人の出海禁止政策(「元の海禁」)もまた、海禁と位置付けられることもある。

〔55〕火砲

東アジア・東南アジアに火砲が伝来したことは、大きなインパクトをもたらしました。


〔56〕西山反乱

「西山党の乱」と表記されていた時代もありました。フランス革命とほぼ同じ時期のベトナムでは、大きな政治的変動があったのです。

景興32年(1771年)、西山(タイソン、現在のビンディン省)出身の阮岳(中国語版)・阮侶(中国語版)・阮恵の三兄弟(阮姓だが元は胡季犛と同じ胡姓で広南阮氏とは無縁)が摂政・張福鸞の排除を掲げて反乱を起こした。阮岳の妻雅都(ベトナム語版)は山岳民族の巴拿族出身であり、反乱の初期は多くの山岳民族が阮岳を支えた。景興34年(1773年)には帰仁(現在のクイニョン)を占拠。さらに北上し広義、広南から広南阮氏を駆逐した。


〔57〕華僑・華人

明・清の時代には、中国南部沿岸から多数の中国人が東南アジア一帯に移住していきました。この波は、現在の東南アジアにおける華僑・華人の多さにつながっています(以下の記事は中国系の人々)。


◆第8章 近世ヨーロッパ世界の形成(76 語)

◆キーワード

〔58〕近代世界システム

「どうしてこの世界に豊かな国と貧しい国があるかというと、近代以降に覇権をとった一部の国(ポルトガル・スペイン→オランダ→英仏→イギリス→アメリカ)が、ほかの国を経済的に搾取する「システム」をつくりあげてきた結果だ」ということを説明する理論。
システムを操る一部の中心的な国(注:中核)が「工業化」を担当し、そのすぐ周りの周辺部(注:半周辺)は食料生産などに従事し、頑張れば中心にのしあがることも可能。しかし、完全に搾取される周辺地域は、不利な条件で中核の工業製品の原料や食糧を供給させられ、貧困が固定化される。
これが資本主義経済のからくりだ―という主張です。


◆近世ヨーロッパの形成

〔59〕異端審問(魔女狩り)

ルターによる宗教改革(1517年)に対抗して設けられた、カトリックによる異端チェック機関。カトリックのスペインでは特に国王によって利用され、ユダヤ教徒や反対派を抑え込むための機関として利用されました。
宗教改革に対する不安などから、ヨーロッパ各地で「魔女狩り」という「私刑」が横行しました。


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◆第 9 章 近世ヨーロッパ世界の展開(62 語)

◆キーワード

〔60〕財政革命

どうしてイギリスは海軍を一気にパワーアップさせ、数々の戦争に勝ち植民地を広げることができたのか?―その鍵は、高い徴税能力と資金調達能力にありました(日本語版の立項はなし)。


◆ヨーロッパ諸国の覇権争いと海外進出

〔61〕タバコ

南北アメリカ大陸原産のタバコは、各地でさまざな形で受容されています。その依存性から、安い労働力(植民地の住民や黒人奴隷)を使って大量に生産させる方式(注:プランテーション)もとられました。

慶長6年(1601年)に肥前国平戸(長崎県平戸市)に来航したフランシスコ会員ヒエロニムス・デ・カストロが平戸藩主松浦鎮信にタバコの種子を贈呈している(これを記念して平戸城跡である亀岡神社には「日本最初 たばこ種子渡来之地」の石碑が建てられている)。慶長10年(1605年)には長崎の桜馬場で初めてタバコの種が植えられたとされている。


◆17・18紀世紀の思想と文化

〔62〕博物学

「アジアの物を調べ尽くすのだ!」という学者の欲求が、ヨーロッパ諸国のアジアへの進出と結びつくとどうなるか?―知と権力の結びつきに注目することは、植民地主義を考える上で重要です。

たとえばロンドンのキューガーデンには、植民地拡大と並行し、世界中の植物が集められました。


〔63〕科学革命

イギリスの科学史家H.バターフィールドが提唱した「科学革命」(英語: Scientific Revolution)は、歴史上ただ1回、主に17世紀に生じた科学の大規模な変革を指す固有名詞である。バターフィールドは、1949年の著作『近代科学の誕生』The Origins of Modern Science において、近代を画する時代区分点として、従来のルネサンスや宗教改革よりも、17世紀の近代科学の成立という事象をあて、これを産業革命にならって「科学革命」と呼称した。

バターフィールドには、従来の歴史観があまりにもヨーロッパ中心的であり、歴史の実情からは遠いという反省があった。彼は、17世紀に近代科学が出現するまでのヨーロッパ文明は、世界史の中で必ずしも指導的な立場にはなかったという論点に立ったのである。

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◆第 II 部 近現代の世界史

◆e.近現代で個々の時期を越えるキーワード(77 語)(1-(c)に挙げたものは省略)

〔64〕輸入代替工業化

 いきなり「工業化するぞ!」といっても、まず何から始めるべきか?
 たいていはまず手近な軽工業品から始めていくわけですけれども、いきなり自国で作ったものを自信をもって輸出できるようなプロダクトが作れるわけがありません。
 じゃあ何をつくるべきということなんですけれども、お手本となるたいていはすでに工業化した国から輸入するプロダクトを「代わりに自分の国でつくって、自分の国で売ってみよう!」というところから始まるわけです。
 産業革命も、インドの高品質な綿製品を代替してつくってしまおうというところから始まりました。

 輸入代替工業がある程度軌道に乗ると、次は輸出指向型工業の段階へと向かいます。


〔65〕輸送・情報革命

 蒸気力の利用によって、人間はこれまで考えることができなかったような遠い所に、たくさんの人・物を運搬することが可能になりました。これを輸送革命(交通革命)といいます。

 輸送革命が起きると、国際郵便の制度も整えられるようになり、また、電気の研究が進むにつれ、19世紀後半の有線電信・無線電信技術の開発につながります。
 すると、これまで送ることができなかったようなボリュームの情報が、短期間に世界中に行き交うようになっていくわけです。

 輸送革命・情報革命のプロセスは、20世紀初頭の現在も進行中です。


〔66〕アジア間競争

 〔52〕アジア間貿易と関連する概念です。こちらの概説がわかりやすいと思います。

専門的にはこちら。


〔67〕低開発

 貧しい国はどうしていつまでたっても貧しいままなのか? それは〔58〕近代世界システムというシステムの中で、「貧しい国」という役割分担・キャラ付けがされてしまっているからだというコンセプトです。


〔68〕国際労働力移動

 国を超えた人間の移動のことです。
 「そんなの昔からあるじゃないか」と思われるかもしれませんが、19世紀後半から現代まで続いている「国を超えた人間の移動」は、質・量ともにそれまでの人間の移動とは異なります。
 覇権を握った一部の「工業化した国々」が、まだ「工業化していない国・地域」から人を移動させるだけでなく、「工業化していない国・地域」から自発的に「工業化した国々」へとより良い生活を求めて大移動が起こっていくのです。
 移民たちは、移動した先でしばしば「二級の市民」として扱われることとなります。


〔69〕大衆化

 「工業化した国々」では都市への人口集中が起こり、生活水準が上がった人々は「物を買うこと」「余暇を楽しむこと」に専念するようになりました。
 国は、国民を教育・軍隊・経済に動員することを求めるため、さまざまな形で国民に対する「メッセージ発信」を行うようになります。それとともにマスメディアも発達し、多くの国民に向けた「メッセージ発信」が日常的に行われるようなると、「自分はこうしたいんだ!」という意志よりも「みんなはどうしようと思っているんだろう?」と周囲を気にするようになっていきました。
 個々に見ればバラバラな考え方を持っているような大勢の人たちが、マスメディアを通して”時代の空気”のようなものを形成し、「世論」が政治を動かす時代の始まりです。国も「世論」をコントロールするために、さまざまな方法をとるようになります。
 この流れは、第一次世界大戦(総力戦)をきっかけに強まっていくことになります。国がプライベートな領域(私的領域)に首を突っ込むようになるとともに、自由に発言をする場(公的領域、公共圏)は縮小されていきました。


〔70〕近代戦争

 国家のあり方の変化や科学の発達は、戦争のあり方にも変革をもたらしました。

ナポレオン戦争によって軍事戦略は歴史的転換を迎えることになる。クラウゼヴィッツは『戦争論』において絶対戦争の概念を導入して戦争が本来的に持つ暴力化の傾向を明らかにして近代戦争の理論をもたらした。そして戦略が戦争目的を達成するために戦闘を配分することであると論じ、部隊配置や兵站、攻撃地点の選定などを定める戦術がその下位に属しており、兵器の生産を遅延ないし停止させることや、兵站を封じることもその手段のひとつとなると考えた。
またナポレオン戦争の時期にジョミニも『戦争概論』などの著作で実証的な戦略の理論を考案した。戦略とは作戦図上において戦争の計画をする方法論であるという立場をとっており、戦闘に注目した戦略を論じていた。ジョミニの戦略思想の特徴としてはいくつかの主要な原則を導入することで戦争に勝利するための具体的な規則を明らかにしようとしたことにある。
第一次世界大戦や第二次世界大戦においては行政組織の一元化、軍事技術の革新、政治情勢の変化などによって新しい戦略の領域が生まれた。造船技術の開発研究や航空機の発明によって戦場は海洋や空中に拡大し、アルフレッド・セイヤー・マハンやジュリアン・コーベットによる海洋戦略思想、ジュリオ・ドゥーエやウィリアム・ミッチェルによる航空戦略思想が登場した。さらにマルクス主義による革命運動に対応する革命戦争の戦略思想ももたらされており、ウラジーミル・レーニンや毛沢東などが代表的な提唱者として挙げられる。


〔71〕賠償(戦争、災害など)

 戦勝国が敗戦国に多額の「賠償金」を課すという考えは、実はかなり新しい発想です。


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◆第 10 章 近代ヨーロッパ・アメリカ世界の成立(42 語)

〔72〕環大西洋革命

 18世紀後半から19世紀前半にかけ、大西洋をはさむ諸国・諸地域で、従来の政治体制を崩す革命がたくさん起きました。

 従来は「フランス革命とアメリカ独立革命でしょ? 欧米すごい。」となりがちだったわけですけど、ペルー、ブラジル、ハイチ、アイルランド、スイス、西アフリカでも同時代に大きな政治変動が起きています。このコンセプトは「フランス革命とアメリカ独立革命」ばかりを贔屓目で扱う姿勢への疑問に基づいています。

大西洋革命は、アメリカ合衆国(1775年 – 1783年)、フランスとその傘下のヨーロッパ(1789年 – 1814年)、ハイチ(1791年 – 1804年)アイルランド(1798年:ユナイテッド・アイリッシュメン(英語版)による反乱)、スペイン領アメリカ(1810年 - 1825年)など、南北アメリカ大陸とヨーロッパを揺るがした[4]。また、より小規模の蜂起は、スイス、ロシア帝国、ブラジルでも起こった。各国の革命家たちは、他国の状況を承知しており、ある程度までは、他国の先例を模倣していた。
新世界における独立運動は、1775年から1783年にかけてのアメリカ独立革命によって始まったが、このときにはフランス、オランダ、スペインがアメリカ合衆国のイギリスからの独立を支援した。1790年代にはハイチ革命が起こった。スペイン本国が、ヨーロッパにおける諸々の戦争によって動きがとれなくなっている間に、アメリカ大陸のスペイン領植民地は1820年前後に次々と独立した。
長期的な観点から見れば、一連の革命は概ね成功した。その結果、共和主義思想が広く普及することとなり、貴族や王族、既成教会の打倒が広く行なわれることとなった。こうした動きは、例えば万人の平等のような啓蒙時代の普遍的な理念を強調し、その地域を支配する貴族の意向で下される正義ではなく、特定の利害に左右されない法の下での平等な正義が求められた。そこでは近代的な意味での革命の概念が提示され、まったく新しい統治が、実際に機能し得ることが示された。ここで芽生えた革命的な意識は、今日まで脈々と続いている。


〔73〕クレオール(定住白人)革命

 これも〔72〕環大西洋革命と似たコンセプトです。
 「アメリカ独立革命すごい。」となりがちですが、アメリカに移住した白人の子孫が、自由・平等や共和主義(君主のいない国づくり)思想を掲げ本国であるヨーロッパ諸国からの独立を勝ち取ったという点では、アメリカ合衆国の革命もペルーやチリの革命も同質です。


◆工業化
◆近代市民社会の成立

〔74〕近代市民社会

近代市民社会においては、個人の自由が保障されることが、その成立の要件となる。すなわち、各個人(市民)が自らの政治的主張・宗教的立場などを他から強制されないことや、各個人が自らの財産を自由に処分でき(私有財産制)、商活動の自由が保障(ギルド廃止など)されていることなどが求められる。イギリス・フランスでは市民革命を通じて市民が政治の主導権を握ったため、これらのことを政府が保障することになった。


〔75〕人権と市民権の宣言

 「フランス人権宣言」のことです。
 よく読むと、「人の権利」と「市民の権利」を区別していることがわかります。つまり、一般的に人間にはこういう普遍的な権利がありますが、「フランス市民の権利を持つ人は、こういう人だけに限ります」というロジックなわけです。
 つまり、「誰が国民で、誰が国民でないか」「誰が政治的な権利をもつにふさわしく、誰がそうでないか」ということの線引きがハッキリとなされていたということです。

ただし、この宣言において人権が保障されていたのは、「市民権を持つ白人の男性」のみである(Homme=「人」=「男性」、Citoyen=「男性市民」)。これは、当時の女性や奴隷、有色人種を完全な人間として見なさないという観念に基づくものである。これに対し、劇作家オランプ・ド・グージュは、女性にも市民権を与えてその人権を保障するよう要求する、人権宣言を模した17か条からなる宣言文「女権宣言」(女性および女性市民の権利宣言、フランス語: Déclaration des droits de la femme et de la citoyenne)を発表した。

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◆第 11 章 欧米における近代国民国家の発展(83 語)

◆キーワード


〔76〕社会進化論(適者生存論)

 自然界では、環境にもっとも適応できた動植物が生き残る。それと同じで、人間界でも「社会の発展にもっとも適応できたヨーロッパ人が生き残るのは、自然の法則にのっとっているのだ!」という発想です。
 ダーウィンの進化論が、社会思想に利用されてしまったわけです。

社会進化論は19世紀のハーバート・スペンサーに帰せられる。思想史的に見れば、目的論的自然観そのものは古代ギリシア以来近代に至るまでヨーロッパには古くから見られる。しかし、人間社会が進化する、あるいは自然が変化するという発想はなかった。 しかしラマルクやダーウィンが進化論を唱え、スペンサーの時代にはそれまでの自然観が変わり始めていた。スペンサーは進化を自然(宇宙、生物)のみならず、人間の社会、文化、宗教をも貫く第一原理であると考えた。
スペンサーは進化を一から多への単純から複雑への変化と考えた。自然は一定した気温でなく寒冷と温暖を作り、平坦な地面でなく山や谷を作り、一つの季節でなく四季を作る。社会も単純な家内工業から複雑化して行き機械工業へと変化する。イギリス帝国が分裂してアメリカが出来る。芸術作品も宗教の形態も何もかもすべて単純から複雑への変化として捉えるのだが、単に雑多になるのではなくより大きなレベルでは秩序をなすと考えるのである。未開から文明への変化は単純から複雑への変化の一つである。その複雑さ、多様性の極致こそが人類社会の到達点であり目指すべき理想の社会である、と考えられた(ホイッグ史観)。従って、こうした社会観に立つあるべき国家像は、自由主義的国家である。このような考え方が当時の啓蒙主義的な気風のなかで広く受け入れられた。


◆ウィーン体制の成立と崩壊
◆国民国家の形成
◆アメリカ大陸の発展
◆19 世紀の文化

〔77〕ランケ

 ランケは〔1〕史料批判を体系化した19世紀ドイツの歴史学者です。実証的な歴史研究法は、日本の歴史学にも影響を与えています。

 精選案では「近代歴史学」という語句も採録されています。


〔78〕良妻賢母

 19世紀後半にかけて工業化が進み近代市民社会・大衆社会が生まれていった欧米では、「男は外に働きに出て女は家事にいそしむべきだ」という「近代家族」の〔3〕言説が支配的になっていきました。
 夫に対しては「良き妻」としてふるまい、子に対しては「賢い母」として愛情をささげる。
 子・母・父を結ぶ「愛情」の三角形が、「理想の家族像」となっていったわけです。

西欧に発する近代国家の形が成熟するにつれ、行政や事業、さらにそれに含まれない公的サービスすらもが公共圏に移譲されていき家庭から分離されると、もっぱら衣食住や家事労働など家庭内部の部分のみが「家政」として扱われるようになり、家政の中心は正妻の後身的存在である主婦に移る。明治以後、良妻賢母が家政を取り仕切る形が理想とされたが、次第に欧米の家政学を受けて変容し、戦後には家制度的な家政観から脱却した科学的・専門的な家政学・教育(家政学部の設置など)が行われるようになった。

 精選案には「近代家族」「主婦」という語句も採録されています。今当たり前とされる家族像も、昔から当たり前であったわけではないのです。


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◆第 12 章 アジア諸地域の動揺(58語)

〔79〕ウエスタン・インパクト

 19世紀以降のヨーロッパ諸国の軍事進出に対し、アジア諸国ではその対応に迫られました。
 ヨーロッパ諸国の技術・政治体制・思想をうまく採り入れ、危機の打開が図られていきました。南塚信吾氏はその過程を「土着化」と表現しています(「西洋の衝撃(ウェスタン・インパクト)」の立項はなし)。


〔80〕植民地協力者

 植民地にされた地域では、植民地以前にはなかった近代的なインフラが整えられていきました。これを「植民地近代化」(精選案に採録)といいます。
 欧米や日本は、植民地の有力者に協力したりエリートを自国式の教育で育てることで、植民地協力者を確保。支配の円滑化を図ったのです。


◆ヨーロッパの進出とアジアの動揺

〔81〕文明化の使命

 「ヨーロッパはアジアやアフリカの野蛮人のために植民地化してやっているんだ。文明を与えてやってるんだから、それなりの犠牲はやむをえん」という傲慢な思想です。

 「白人の使命」という言葉のほうがよく用いられるかもしれません。


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◆第 13 章 帝国主義とアジアの民族運動(87 語)

〔82〕多角的決済機構

 イギリスは世界のあらゆる場所の貿易を物流ネットワークと港湾インフラ、海軍力によって結びつけ、植民地として支配しているインドからの「本国費」の徴収も含め多くの保険料・利子などを受け取っていました。この決済は実質的に世界の「基軸通貨」であったポンドでおこなわれていました。


◆帝国主義と列強の展開

〔83〕借款

 「工業化した国」が、「まだ工業化していない国」の政府に対して、余っているお金を貸付けることです。
 しばしばその貸付には縛りがありました。
 高い利子を要求されたり、担保として国の一部の土地や利権を「工業化した国」に与えたりといった縛りです。
 「まだ工業化していない国」は重い債務に苦しみ、結果として政治的な圧力を受けるようになっていきます。
 このような関係は、形を変えて現代世界にも残っています。


◆世界分割と列強の対立

〔84〕硝石

 硝石(グアノ)が19世紀後半以降の世界に与えたインパクトは絶大です。
 肥料の原料となるため農業生産量がアップし、人口増加の要因となりました。
 また、火薬の原料となったため、近代戦争の軍事力の源となりました。

フランスでは硝石採取人という職業があり、国王からあらゆる家に立ち入って床下を掘る特権を与えられていた。古土法による硝石は別名「ケール硝石」と呼ばれていたが、輸入物に比べて品質は低かった。生産量は年間300トンほどであり、需要を満たすには足りず、インドなどの輸入が大きな割合を占めていた。フランス革命の時代になると、イギリスとの外交事情からインドからの輸入が困難になった。そのため、風通しのいい小屋に窒素を含む木の葉や石灰石・糞尿・塵芥を土と混ぜて積み上げ、定期的に尿をかけて硝石を析出させる「硝石丘法」が発明される。硝石丘法は採取まで5年余りを要するが、土の2 - 3%もの硝石を得ることができたため、ナポレオン戦争の火薬供給に大きな役目を果たした。硝石丘法は他の国でも行われ、幕末の日本にも伝来している。
 ……1820年ごろ、チリのアタカマ砂漠において広大なチリ硝石の鉱床が発見されており、安価なチリ硝石が大量に供給されるようになっていた。また火薬そのものも進化し、硝石を原料としない火薬に需要が移ったため、土から硝石を得る硝石生産法は、やがて全く姿を消した。


〔85〕制度的革命党

 メキシコ革命の勃発後、1929年に結成。ラテンアメリカ諸国に広く見られるようになるポプリスモという政治体制がとられました。
 知名度は高くはありませんが、アメリカ合衆国という世界的強国と国境を接する難しい立場のメキシコが、どのような政治体制をとってきたのかを見る上で欠かせません。

 党の傘下には、メキシコ労働者総連合 (CTM) ・全国農民連合 (CNC) ・公務員組合連合 (FETSE) などが属し、長年に渡り単に与党というだけでなく、メキシコの体制そのものとして君臨していた。政治的には、ラテンアメリカで人民主義(ポプリスモ)と呼ばれる政治形態の先駆けであり、すなわち、ありとあらゆる社会階層を支持層に取り込み、イデオロギー的には、日本で言えば共産党から自民党の保守派までのすべてを党内に含んでいた(包括政党)
その結果、労働者に対しては社会主義を、資本家に対しては資本主義を説き、ルイス・エチェベリア時代のように産業の国有化を推し進めてキューバやチリの社会主義政権と結びつきを強める反米的な政策を採ることもあれば、カルロス・サリナス時代のように経済の自由化を推し進めてアメリカ合衆国や日本と結びつきを強めてサパティスタ民族解放軍と敵対する親米的な政策も採るなど、ある意味ではその政策は矛盾をはらんだものであった。


◆アジアの民族運動

〔86〕勢力範囲

 ある国を植民地にするのではなく、現地の政権を残したまま、経済的・政治的に首を突っ込むことができる範囲を指します。大国の間で取り合いになっている地域で、直接的な争いを避けながら利益を分け合おうというときに見られる支配の形です。

国際関係論における勢力圏または勢力範囲 (英語: sphere of influence, SOI) は、ある国家もしくは組織が支配する領土外において、文化的、経済的、軍事的、政治的な独占権をもつ地域を指す。
影響力を持つ側と持たれる側ができる背景には、条約や協定など両者の利害に絡む正式な外交関係がある場合もある。ただしそうでなくともソフト・パワーなどによって非公式的な影響関係が生まれる場合がある。逆に正式な同盟関係においても、常に一方が他方を勢力圏に置く関係となるとは限らない。歴史上、上位に立つ勢力が勢力圏下での独占を強めるほど、紛争の火種が増え、激化する元となってきた。
勢力圏の上下関係がさらに進展すると、勢力圏に収められた国家は上位国の傀儡国家となり、さらには事実上の植民地となる場合がある。勢力圏の概念は、超大国や列強、ミドル・パワーといった国際関係上の概念の説明にも用いられる。


◆第 14 章 二つの世界大戦(150 語)

◆キーワード

〔87〕女性の社会進出

 第一次大戦のときに、前線に立つ兵士だけでなく女性も含めた「国のため」の動員があったことが、戦後にかけての女性の社会進出につながりました。
 ただ、国によって度合いはさまざまであることには注意が必要です。


〔88〕前衛党

大衆の戦闘に立って革命を起こすための党。

前衛党(ぜんえいとう)とは、前衛となる政党のこと。マルクス・レーニン主義の立場では、プロレタリアートや大衆運動、革命などを指導する政党。


◆第一次世界大戦とヴェルサイユ体制

〔89〕訓政

 中国が蔣介石主導の「国民党」によって統一されると、まずは臨時的に蔣介石に大きな権限を置いて、国づくりをしていきましょうという方針がとられました。これを訓政といいます(まだ立憲政治ではないということ)。

1911年の辛亥革命の結果、1912年1月1日に孫文を臨時大総統とする中華民国臨時政府が成立するが、わずか2カ月で袁世凱にとって代わられ、当時憲法の役割を担っていた中華民国臨時約法は改変される。袁世凱の死後(1916年)の軍閥割拠のなかで、孫文は中華民国軍政府広東省政府を結成し、大元帥に就任して中国国民党を結成し、北京の軍閥政権に対抗するが、1925年3月、「建国方略」、「建国大綱」、「三民主義」、「第一次全国代表大会宣言」の遵守を遺言として客死する。1928年に蒋介石による北伐が終わり、南京に首都がおかれると、「訓政綱領」が定められ、1931年には国民大会を開催し「中華民国訓政時期約法」が成立した。

 蔣介石は「まずは欧米列強に一人前の国として認められることが急務だ」として、国内の共産党と敵対しながら、関税自主権の回復・幣制改革・鉄道網整備を進めていきました。


◆ファシズムの台頭と第二次世界大戦

〔90〕国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)

 原義に忠実に国「家」ではなく国「民」という訳をとっています。


***

◆第 15 章 冷戦と脱植民地化(137語)


〔91〕ゲリラ戦

 戦争の形態が、一定の規模を持つ舞台どうしの戦闘から小規模な部隊による戦闘へと変化していきました。

近代以降で代表的なゲリラ戦またはゲリラ組織には、19世紀のスペイン独立戦争やボーア戦争、20世紀のアラブ反乱、毛沢東率いる八路軍、第二次世界大戦中の各地でのレジスタンス運動やパルチザン、東西冷戦期のアルジェリア戦争やベトナム戦争、キューバ革命、アフガニスタン紛争などがある。特にパレスチナ・ゲリラは、西側先進諸国でミュンヘンオリンピック襲撃や多数のハイジャック事件を起こして紛争の国際化を狙い、連携したドイツ赤軍、赤い旅団、日本赤軍なども同様のゲリラ事件を発生させた。


◆冷戦と脱植民地化

〔92〕ウラン

 学習項目「アフリカ諸国の独立」に採録されています。

 アフリカ諸国が独立後も、もともとの親分であったヨーロッパ諸国の介入を受けた背景には、核兵器の原料となるウラン鉱山を始めとする潤沢な鉱産資源が分布していることがあります。


◆世界の多極化

〔93〕開発主義(開発独裁)

 「経済発展に集中するには、政治的な安定が不可欠なのだから、政府に異論反論を加えるグループは徹底的に禁止する!」という姿勢をとった政治体制が、20世紀後半の「まだ工業化している途中」の国々で見られました。
 あいつは開発独裁者だ!というように「政治的な意味合いを持つ用語でもあるため、どのような意味で用いられているかには注意が必要です。


〔94〕東アジアの奇跡

 ◯◯の奇跡という言葉は「西ドイツの奇跡」「イタリアの奇跡」などたくさんありますが、この「東アジアの奇跡」というのは2000年代の中国の経済成長以前の東アジア・東南アジアの経済発展を指すときに用いられる語句です。

第二次世界大戦以後の世界経済において20年間程度の短期間に急速に経済成長した国々が幾つかあるが、このうち東アジアの23カ国は1965年から1991年の間に一人当たりのGNPが5.5%と南アジア地域、中東、地中海地域、サハラ以南のアフリカ、OECD諸国、ラテンアメリカ、カリブ海地域などと比べ格段に成長を遂げた。
世界銀行では東アジアの国々のなかで日本と、アジアNIEs4カ国(韓国、台湾、香港特別行政区、シンガポール)と、ASEANのうち3カ国(インドネシア、マレーシア、タイ王国)の、以上8カ国をHPAEs(High-Performing Asia Economics)として取り上げ、そのうち日本とアジアNIEs4カ国を高度成長と不平等の減少を同時に成し遂げた最も公平な国々としている。またアジアNIEs4カ国のことを特に「アジア四小龍」「4匹の虎」などと呼ぶ場合もある。


〔95〕戦時性暴力

 戦争中に主に女性が男性から受ける性暴力を、世界的な視野でとらえようという動きが盛んです(日本語版での立項はなし)。


〔96〕歴史認識問題

 東アジアでは中国や韓国との間の歴史認識問題が盛んに取り上げられます。それにともない様々な形の「歴史修正主義」も問題となっています。
 世界的にはどのような歴史認識問題があるでしょうか? それを乗り越えた事例にはどのようなものがあるでしょうか?


◆冷戦の終結へ
◆グローバル化の時代

〔97〕テロ

 21世紀は「テロの時代」といわれます。

国際連合は、2004年11月、国際連合事務総長による報告書において、テロリズムを以下のように示した。「住民を威嚇する、または政府や国際組織を強制する、あるいは行動を自制させる目的で、市民や非戦闘員に対して殺害または重大な身体的危害を引き起こす事を意図したあらゆる行動」


〔98〕マンガ・アニメ・ゲーム

 軍事力・政治力といったハード・パワーだけでなく、文化やコンテンツといったソフトの持つ力「ソフト・パワー」(用語精選案に採録)の果たす役割が国際社会で重視されるようになっています。日本発のマンガ・アニメ・ゲームもそのひとつです。コンテンツが呼び水となり、外国旅行(用語精選案に採録)のきっかけとなる事例も増えています。



〔99〕ビッグ・ヒストリー

 世界史を「ビッグ・バン(宇宙の誕生)」という人類誕生までのタイムスケールの中で捉えなおそうという、アメリカ合衆国に始まった動きです。
 今回の世界史教育改革や『サピエンス全史』の流行も、も少なからずこの流れの影響を受けています。


〔100〕性的マイノリティ(LGBTQ)

 現代になってくると、「外国旅行」「コンピュータ」といった一般的な語句や、「排外主義的ナショナリズム」「ポピュリズム」といった政治・社会問題系の語句が増えるようになります。
 現代世界を理解する上で不可欠であるという意識に基づいたものですが、「これじゃあ精選しているばかりか増やしているだけではないか」という批判もあります(批判の例はこちら)。


おわりに

 本記事ではあまりご紹介できませんでしたが、固有名詞についてはかなりバッサリと精選されてしまっています。「なかったことにするわけではない」ということですが、「理解すべき語句」をこの精選案の語句数の枠にがっちりはめていくというのも現実的ではないなあという印象です。
 「暗記すべき用語数」が本質的な問題ではなく、それをどうやって教える人間がカリキュラム・デザインしていくか、教科書の用語に命を吹き込んでいくかということが問題なのではないかというのが私の意見です。

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