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ガムランをはじめたころ 1

しばらくガムランを始めた頃のはなしを書いていこうと思う。

わたし(やぶ)がガムランをはじめたのは2007年9月。
日本から佐久間新さん、野村誠さんがエディンバラでのワークショップとグラスゴーでのコンサートのためにイギリスに来ていた。その当時、私は文化庁新進芸術家制度での研修がはじまったばかりで、私自身も来て三日目というタイミングだった。
とてもお世話になっているアートコーディネーターの吉野さつきさんが野村さんのことを紹介してくださった。
その当時、野村さんのことをテレビなどを通じて知っていた私にとっては半ばミーハーな気持ちと緊張とで、あまりその時に何を話していたのかうまく話せていたのかもよく覚えていない。
エディンバラ大学でのワークショップは野村さんと佐久間さん、マルガサリが制作した「桃太郎」の場面の一部を中心に行われた。
はじめて触るガムラン。演奏するのに、すぐにいい音が出たのが印象的だった。インドネシアにはこんな楽器があるのか!とイギリスにきてガムランに出会った瞬間だった。

そこから数ヶ月経った頃、留学先のヨークで担当の先生であるブルース・コール先生から「ガムランあるし、参加してみたら?」とのひとこと。即座にガムランの部屋にいって、参加した。参加したものの、当時の私の英語力ではコミュニケーションもおろか、ガムランの古典の音楽の構造もなにもかもはじめて。
民族音楽のコースがあって、ガムランの部屋には先生であるニール・ソレル先生の専門領域であるインド音楽の楽器が壁にびっしり。そして部屋の大半を占めているのがジャワガムラン。片隅にはタイのピパットが置いてあり、さらに奥には箏が4面置いてある。もちろんその当時では、タイの楽器であることは区別がついていない。ちょうど視力検査の丸のあいたやつみたいな土台にガムランのボナンと同じ形の小さいものがたくさん乗ってる楽器が積んであった。
'OK ! Folks !' の掛け声から、しばらく冗談がつづき、本題にはいるニール節。ジョークの境目の見極めなんて上級なことはまだまだ難しい頃、ジャワガムランの古典音楽の魅力にヨーク大学で出会うことになった。

*写真は留学して到着した日に家の前で撮った風景。何もかも新鮮で、不安と希望にあふれていました。多くの写真はハードディスクがクラッシュした時にぜんぶ消えてしまったので、ぼちぼちウェブ上にあったりするのを発掘して載せていく予定。

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