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ナインティナイン岡村隆史、知名度が一躍「全国区」となって運命を変えた二つの番組

ナインティナインと言えば、1991年に「吉本印天然素材」のメンバーであり、東京進出の足がかりをつかんだ。翌年にはABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞するも、知名度としてはまだまだ全国区とは言いがたい状況だった。

それから3年後の1995年には、人気を確実なものとし、『笑っていいとも!』『めちゃ2モテたいッ!』『ASAYAN』などに出演するようになるわけであるが、その前に「ナインティナイン岡村隆史」が一躍有名になる番組があった。

まさしくナインティナイン、そして岡村の運命を変えたと言っても過言でもないその二つの番組は『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』『ねるとん紅鯨団』である。

ビートたけしのお笑いウルトラクイズ

93年の『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で、出川と岡村が初めて出会う。出川も2回目の『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』であったが、岡村は初めての出演であり、緊張で目立った活躍はできなかった。

そんな中、出川と岡村に大役が任せられる。それはあまりにも有名であるが、「人間性クイズ」のコーナーである。このコーナーでは、先輩芸人が後輩芸人に「関係を迫る」というものであるが、出川がこの時、ビートたけしから「仕掛け人になれ」と指示をされる。

ところが実際には逆ドッキリであり、出川が呼び出して関係を迫る予定の岡村は、この事情を知っていた。SMプレイをしたいという出川に、岡村は激怒する演技を行い、ムチで出川は叩かれまくる。本気で叩かれた出川は、「ミミズ腫れ」になったと明かしている。岡村は収録後、出川に謝罪をしたという。

この一連のコーナーが長尺で使われ、反響を呼んだ。その時の様子について、岡村は以下のように述懐している(*1)。

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