雑記:天王寺界隈

前衛的な山門が印象的で、劇場なども経営する大阪天王寺の一心寺には、大坂夏の陣で戦死した本多忠朝の墓がある。

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忠朝は「徳川四天王」の一人である本多忠勝の次子で大多喜藩主であり、大坂夏の陣の激戦地・天王寺の戦いで戦死したことから一心寺に墓所が営まれた。

墓塔の五輪塔は大型塔で、江戸時代初期の大名墓の特徴をよく示し、両脇にはともに戦死した本多家家臣の五輪塔(二枚目)も並ぶ。

なお、忠朝は深酒のために不覚を取り、その死に臨んで死しての後は酒で身を誤る人の助けになろうと願ったと言う伝説があり、現在五輪塔は禁酒に利益があるとして禁酒の願掛けをする人で賑わっている。


一心寺と通りを挟んだ北向かいにある安居天満宮は、大坂夏の陣の天王寺の戦いで真田信繁が戦死した場所である。

境内には戦死の地の碑と信繁の像がある。

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戦死の際の様子を表現しているのか、妙に疲れ切った感じの像である。

なお、信繁の兄・真田信之の夫人は本多忠勝の娘・小松殿であるので、信繁と忠朝は義理の兄弟に当たる。

義理の兄弟であり、大坂夏の陣では敵同士であった忠朝の墓と信繁の最期の地が現在向かい合わせと言うのは、不思議な因縁と言うべきであろうか。

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一心寺東方には、聖徳太子創建とされる四天王寺もある。

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