雑記:二つの淀殿の墓

大阪府大阪市北区の太融寺は、JR大阪駅の近くのお初天神参道のアーケード街を北に抜けたあたりにある。

境内には淀殿の墓と称される層塔が建っているが、元来この石塔は大坂城外の鴫野弁天に隣接する淀姫神社(淀殿の遺骨を埋めてまつったと言う)にあり、明治時代に太融寺に移されたものだと言う。

伝承の通りなら層塔は江戸時代以降に造られたものであろうが、複数の石塔の笠を組み合わせたものと思われ、特に初層部分は戦国時代以前に遡るかも知れない。

もっとも、この石塔は戦災による被害を受け、当初九層だったものが六層になったと言うので、焼け焦げた石に引きずられているのかも知れないが、いづれにせよ極めてバランスが悪いので、初層部分とそれ以外とは元来別物であろうと思われる。

画像1

なお、淀殿の墓と言われる石塔は他にも各地にあるが、京都府京都市右京の三宝寺には、淀殿の供養塔とされる石塔がある。

この石塔は、豊臣家滅亡後に淀殿と縁続きの今出川家の女性が造立したもので、淀殿とともに豊臣秀頼と国松(秀頼の子)も供養されている。

画像2


#大阪 #京都 #太融寺 #淀殿 #豊臣秀頼 #層塔 #三宝寺 #戦国時代 #石塔 #歴史 #日本史

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?